artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
佐藤貢 展

会期:2011/04/27~2011/05/15
iTohen[大阪府]
和歌山の海岸で拾った漂流物を用いて、詩的なジャンクアートを制作していた佐藤。その後、名古屋に居を移し、昨年に開催した個展では環境の変化もあってか、ドローイングを発表して観客を驚かせた。次はどんな世界を見せてくれるのか、興味津々で待っていたのだが、彼の返答は再びジャンクを用いたオブジェを制作することだった。以前とは環境が違うため素材には変化があり、ガラスやメモ片を多用しているが、作品から醸し出される空気感は以前と変わらない。私自身はこの作風の方が彼らしく思えた。一方で、ドローイングの展開が気になるのも確か。別の機会に新作のドローイングも見たいものだ。
2011/05/05(木)(小吹隆文)
画家たちの二十歳の原点

会期:2011/04/16~2011/06/12
平塚市美術館[神奈川県]
何年か前、兵庫県立美術館で画家の最後の作品を集めた「絶筆」展ってのをやったけど、これはその逆で、画業の出発点に焦点を当てる試み。タイトルの「二十歳の原点」というのは高野悦子の著書から採られた言葉だが、どっちかというと原口統三にどっぷり浸かった経験のあるぼくとしては「二十歳のエチュード」にしてほしかったなあ。ま、ふたりとも20歳でデビューするどころか自殺しちゃうんだけど(自殺することによってデビューしたともいえるが)。ともあれ、ここでいう「二十歳」とは正確な年齢ではなく、画家がデビューする10代後半から20代前半までの幅をもたせた年代のこと。留学先のパリで法律の勉強から画家へ転向しようとした黒田清輝の自画像から、やけに老成した岸田劉生の22歳の自画像、「へえこんないい絵を描いていたんだ」と見直した中川一政の少女像、とても10代の絵とは思えない関根正二の人物画あたりまでは想定内だった。しかし、最初からいまと変わらぬ水玉を描いていた草間彌生、19歳でグラフィックデザイナーとしてデビューした横尾忠則のポスター、なぜか津波に襲われた東北の街を彷彿させる森村泰昌の漁村風景、みずから「糞絵」といいながら「処女作にすべてがある」と認める会田誠の通称「まんが屏風」あたりになるともう想定外。というより、あまりに現在につながっているのが想定外だったのだ。会田のいうとおりまさに「処女作にすべてがある」。いやあおもしろかった。
2011/05/03(火)(村田真)
アーティスト・ファイル2011──現代の作家たち

会期:2011/03/16~2011/06/06
国立新美術館[東京都]
内外8作家が出品。特定のテーマを設けず、いま注目すべき作家を紹介するというコンセプトなきコンセプトのアニュアル展だが、絵画あり陶芸あり写真あり映像ありインスタレーションありと作品は多彩で、それぞれオリジナリティは高い。たとえばクリスティン・ベイカーの具象とも抽象ともつかない荒々しいタッチの巨大絵画。まるでカーレースの事故を思わせる破壊的イメージや、ジェリコーの《メデュース号の筏》を参照したとおぼしき図像が、表面が湾曲したツルツルの合成樹脂の上に描かれていたりして、それが成功か失敗かはともかく、果敢な試みであることは認めたい。というか、もはやこんなところでしか差別化が図られなくなってしまったのか。タラ・ドノヴァンも、100万本はありそうな透明なストローを壁面に沿って積み上げ、ところどころ出っ張らせたインスタレーションをつくっていて、アイディアとしては感心しないけど、それだけに真似するヤツもいないだろうという「独走性」は感じさせる。それらにはさまれて松江泰治の写真とビデオは一見おとなしく映るが、その質の高さは圧倒的だ。やはり基本に忠実なアートこそ人の心に残るし、歴史にも残ると思う。
2011/05/02(月)(村田真)
田辺由美子 展「After dish─皿の後─」

会期:2011/04/23~2011/05/08
應典院[大阪府]
自分が食したり商店で分けてもらった魚の骨を下処理して、群青色の毛氈の上に美しい模様を描き出した作品を展示。ほかには、魚の頭骨を分解して左右対称に並べた作品や、煮干しの頭部を用いた作品もあった。どれも驚くほど美しく、素材に気付くまでは優雅さを感じたほどだ。彼女の作品を見たのは約4年ぶりであり、その時の卵をモチーフにした作品とは全然違うが、鮮やかな手際は相変わらずだった。
2011/05/02(月)(小吹隆文)
モホイ=ナジ/イン・モーション

会期:2011/04/16~2011/07/10
神奈川県立近代美術館 葉山[神奈川県]
歴史的な芸術家の展覧会を見ていて常々思うのは、そこで展示されている「作品」がはたしてほんとうに「作品」なのかどうかということだ。とくに芸術家が撮影したプライベートなフィルムなどを見ると、その疑いがますます大きくなる。本展でもモホイ=ナジによる映像が数多く展示されていたが、新たなテクノロジーへの好奇心こそ感じ取れるにせよ、それ以上の意味と価値を見出すことはなかなか難しい。のちのビデオ・アートは好奇心を出発点としながらも、たんなる技術論を越えて、ビデオ・アート独自の表現に到達したが、本展の場合は、ただただ旅先での風景や街の日常をとらえた映像がひたすら続くことに終始しているようにしか見えない。とはいえ趣味的な映像が「作品」に当たらないわけではない。問題なのは当人がそこに「作品」としての価値を認めていたかどうかとは別に、それらを展覧会に「作品」として位置づける学芸員や研究員の言説的な枠組みである。偉大な芸術家が手がけたものを、すべて「作品」として並べるだけであれば、キュレーションなど有名無実の流れ作業にすぎなくなる。なぜ「作品」として展示するのか、その根拠を丁寧に説明してはじめて、学芸員の本領が発揮されるといえるのではないか。
2011/05/01(日)(福住廉)


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