artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

手塚治虫のブッダ展

会期:2011/04/26~2011/06/26

東京国立博物館[東京都]

サブタイトルに「仏像と漫画でたどる釈迦の生涯」とあるように、おもに東博コレクションの仏教彫刻と手塚治虫の漫画「ブッダ」の原画を交互に並べ、おシャカさまの生涯をたどる展示。なんか先月まで開かれていた平山郁夫の「仏教伝来展」でも見たような仏像があるぞう。使いまわしか。それにしても東博が仏像と漫画を並べて展示するなんて、30年ほど前のカビの生えたような陳列品やお役所的な職員の態度を知る者にとっては、ずいぶん軟らかくなったもんだと感慨もひとしお。ひとつだけ難を申せば、いったい仏像を見せたいのか手塚漫画を見せたいのか、それとも釈迦の生涯を知ってほしいのか、ビミョーに焦点が合わないこと。もちろんそのすべてを紹介したいのだろうけど、手塚漫画を読んでると仏像がその参考資料にしか見えないし、仏像を見てると手塚漫画がその解説に思えてきて、いったいどっちに肩入れしたらいいのか悩んでしまうのだ。これはひょっとして、ぼくにとって漫画も仏像も(ついでに釈迦も)ほぼ等距離にあり、いずれにも特別な思い入れがないからなのかもしれない。

2011/04/25(月)(村田真)

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高田冬彦『Many Classic Moments』(高田冬彦+平川恒太「第2回 道徳」展)

会期:2011/04/13~2011/04/24

Art Center On Going[東京都]

高田冬彦は今年度東京藝術大学大学院に進学した若い作家だが、作品にはすでにある一定の方向性が垣間見える。多くは、彼自身を被写体にした映像作品で、とくにこの1-2年で顕著なのは、自宅のアパートと思われる小部屋を舞台に、夜な夜なブリトニー・スピアーズになりきったり、あるいはペニスサックにしたハリボテの日本列島で部屋をぐしゃぐしゃにしたりといった妄想的パフォーマンス。そこでは、ナルシシズム、露出願望、性的な興奮、破壊衝動、ジェンダーの攪乱などといったテーマが、YouTubeに投稿される動画の雰囲気でまとめあげられる。本作でも主役は若い男(高田本人)で、単身者用アパートの一室でなにやら彼は興奮を増幅させている。三つ編み制服姿の男による奇怪なショーごっこ。本作の特徴はひもの束を引っ張るとスカートの端がつまみ上げられる装置で、スカートが上がると裸の脚と(ペニスを股で隠した)下腹部があらわになる。この装置を拵えたことが最大の勝因。これをマルセル・デュシャンの《大ガラス》に比肩しうるものだといったらほめ過ぎだろうか。この類比がより明瞭なのは、映像展示とともに会場で行なわれていた本人によるパフォーマンスで、装置を会場に設置し、会期中毎日、部屋の真ん中で一日中立つと、高田は観客にひもを下げさせた。はにかむ作家にうながされて、望んだつもりのないままひもを引っ張ると、観客は見たかったわけではない姿態とご対面させられる。覗きの装置によって、自動的に、発情する覗きの主体に観客は勝手に役づけられてしまう。映像に示された「独身者の一人遊び」の装置が、観客を巻き込んで「花嫁と独身者の戯れ」へと転換しているわけだ。《大ガラス》では構造的に絶対に出会えない「花嫁」と「独身者たち」が、本作ではひもによってあっさりつながってしまっている、なんということだ。

2011/04/24(日)(木村覚)

澄毅「光」

会期:2011/04/22~2011/04/28

Port Gallery T[大阪府]

その「写真新世紀大阪展」で佳作入賞者として作品が展示された澄毅(すみ・たけし)の個展が、大阪・京町堀のPort Gallery Tで開催されていたのでそちらも見てきた。
「光」と題されたシリーズは、A0の大判サイズのプリント2点とA1サイズのプリント15点で、壁にピンで止められている。澄の呉市在住の祖父は戦艦大和の建造にもたずさわった技術者で、広島の原爆投下も目撃しているのだという。その祖父の写真アルバムに貼られた写真を複写して画用紙にプリントし、被写体の輪郭をなぞるように小さな穴をたくさんあける。その裏側から光をあてて、それが白っぽい点の集合として見えてくる様を撮影した写真が、このシリーズの骨格を形成している。古い写真が現実の光に晒されることで、あらたな生命力を得て再生しているといえるだろう。さらに澄自身の身辺を撮影した写真を合わせることで、過去と現在、記憶と現実とが混じり合い、溶け合うような効果が生じる。同じテーマで制作された映像作品(約8分)も含めて、よく練り上げられたコンセプトがきちんと形になったいい作品だと思う。
ただ、会場のインスタレーションにはもう一工夫必要だろう。A1サイズのプリントは、大きさや展示の仕方がやや中途半端に感じる。もう一回り小さなサイズにするなど、アルバムのページをめくっていくような親密な雰囲気を大事にした方がいいと思う。

2011/04/23(土)(飯沢耕太郎)

写真新世紀大阪展 2011

会期:2011/04/05~2011/04/27

アートコートギャラリー[大阪府]

東日本大震災を経ることで、作品の見え方が変わってくることがある。2010年度の「写真新世紀展」は昨年11月に東京都写真美術館で開催され、優秀賞に選ばれた齋藤陽道、佐藤華連、柴田寿美、高木考一、谷口育美のなかから、佐藤華連の「だっぴがら」がグランプリを受賞した。その時の展示はむろん見ているのだが、それが大阪市・天満橋のアートコートギャラリーに巡回したのをあらためて見て、特に齋藤陽道の作品「同類」の印象が違ってきていることに気づいたのだ。
齋藤は彼自身が聾唖のハンディを負っており、作品のなかにも障害を持つ人たちが登場してくることが多い。波打ち際に置き忘れられたように写っている車椅子に、裸の赤ん坊がぽつんと座っている写真などもあり、人間の存在の寄る辺のなさ、にもかかわらずいきいきと輝きを増す生命力を捉えようとしているのがわかる。作品に寄せたコメントに「大きな連なりの流れのなかにいる、ひとつのものたち。その意味においてすべては同類だ」とあったが、自分を含めて連綿とつながっていく命の流れを、肯定的に実感しつつ写真を撮っているのだろう。単純に明るい写真というだけではなく、ほの暗い闇の部分にもきちんと目配りができている彼の作品世界の広がりが、震災後のいま、切実に胸に迫ってくるように感じた。赤々舎から写真集の出版が決まったという話も伝わってきた。それもとても楽しみだ。

2011/04/23(土)(飯沢耕太郎)

岡本光博 BATTAMON forever

会期:2011/04/17~2011/05/01

GALLERY CN[神奈川県]

昨年、神戸ファッション美術館で催された「ファッション奇譚」展に出品された岡本光博による《バッタもん》。某ブランドからのクレームにより会期中に会場から撤去させられたが、その後大阪での「BATTAMON returns」(2010年11月6日~2010年11月27日、CAS)を経て、このほど藤沢のギャラリーに巡回し、東日本でのお披露目となった。贋物を意味する「バッタもん」と昆虫のバッタを掛け合わせたセンスが光っているのはもちろん、バッタの表面にはブランドバッグのラグジュアリー感が醸し出され、ロゴをそのまま目玉に援用するなど小技も効いている。セレクトショップのような空間の質も、《バッタもん》の逆説的なアウラを巧みに照らし出していたようだ。

2011/04/20(水)(福住廉)