artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

前田郁子 展「窓」

会期:2011/04/12~2011/04/17

立体ギャラリー射手座[京都府]

京都造形芸術大学通信教育部の日本画コースで学んだ作家の個展。作家自身と身近な人々を描いた肖像画が展示されていた。それぞれには建物の窓や壁、ドアなども描かれているのだが、それらは背景とは限らず、窓の格子が人物の顔を遮るように前面に描かれているものもある。写真館で撮影された記念写真のような、あるいは証明写真のような、微妙な緊張感につつまれた、人々のなんとなく硬い表情をさらに強調してみせるドアや窓というフレームの効果と色彩のせいか、強烈な存在感で印象に残る個展だった。

2011/04/16(土)(酒井千穂)

江戸民間画工の逆襲

会期:2011/04/02~2011/05/08

板橋区立美術館[東京都]

同館の所蔵品を見せる展覧会。酒井抱一、鈴木其一、司馬江漢、加藤信清、歌川広重、月岡芳年など56点が、幕府御用絵師の狩野派に相対する「民間画工」として位置づけられて展示された。大きな特徴は、お座敷コーナー。36枚の畳を敷き詰めた大広間に、河鍋暁斎の《龍虎図屏風》や英一蜂の《士農工商図屏風》などをそのまま置いて見せた。ガラス越しに眼を細めて鑑賞する通常の鑑賞法とは対照的に、珠玉の屏風絵を間近に座布団に座りながら心ゆくまで堪能できる仕掛けが心憎い。ただ、この露出展示という方法が、市井の人びとによって楽しまれた「民間画工」という文脈を効果的に際立たせていることは十分理解できるにしても、その一方でいくぶん中途半端な印象も否めなかった。というのも、せっかくここまで空間をつくり込んだにもかかわらず、照明には一切工夫が見られなかったからだ。屏風絵が生きていた空間を忠実に再現するのであれば、思い切って館内の照明を落とし、行灯のおぼろげな光だけで鑑賞させるべきだったように思う。むろん江戸時代には「電力」も「美術館」もなかったのだから、江戸の空間を完全に甦らせることはどだい無理があるのかもしれない。けれども、現代社会を代表する両者がいずれも隘路に陥っていることを思えば、いっそのこと「江戸」にあわせて「電力」と「美術館」のかたちを内側からつくり変えていくことも考えるべきではないか。社会革命や文明批判のためだけではない。そのほうが、「作品」がよく映えるに違いないからだ。

2011/04/16(土)(福住廉)

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米子匡司「街の道具・その他のこと」

会期:2011/03/26~2011/05/08

梅香堂[大阪府]

川沿いに並ぶ古いトタン板の倉庫の一角に入ると、アートや思想関係の本が壁面に並べられた作業場のような空間に、なにやらわからないふたつの箱がある。良く見ると手作りの自動販売機とジュークボックスだ。OSB合板で無造作につくられた自販機は内部が丸見えで、配線コードの先からガラクタの瓶や美空ひばり、ゴダイゴのレコードなどがぶら下がっている。前面には「10円」「90円」「300円」などと手書きされたシールが貼ってあり、硬貨投入口らしき孔に恐る恐るお金を入れてボタンを押すと、商品がクッション敷きの底面に落ちてきた。ジュークボックスは制作途中で試せなかったが、仕組みとしては、観客が楽器などを用いて演奏したり歌ったりしたものを録音、番号をつけてジュークボックスに蓄積し、次に訪れた人が番号を押せば、それが聞けるというものらしい。
作者の米子匡司は1980年生まれ、トロンボーンやピアノ、コンピュータなどを用いた音楽活動とともに電話機や電光掲示板を用いた参加型アートを精力的に展開している。米子氏の話は聞けなかったが、このオルタナティヴ・スペース「梅香堂」を主宰する後々田氏によれば、作者は自販機やジュークボックスといった街の道具でありながら、その仕組みが秘匿的なもの、いわばブラックボックス的なものを解明し、将来的にはそれらを誰もが作り出せることを意図しているという。
自販機やジュークボックスはフェティシズム論的には、人間の本能的欲求とは無関係な、根拠を欠いた「過剰」な欲望の実体化と見なされうるだろうか。とはいえ、日本中にはびこる自販機は、われわれにとってはもはや「過剰」の象徴どころか、「自然」と化したものに違いない。それは景観においても「自然」と化したものだが、自販機で物が買えたり、音楽を吹き込んでそれを聴く行為自体、現代人にとっては疑似本能的、自然な行為だ。その「自然」のブラックボックスを解明し、それを誰もがつくれるようにするという米子氏のコンセプトは、それをわれわれにとっての完全な「自然」──たとえば、身体のように扱えるもの──にしてしまいたいという欲望の顕れなのだろうか。あるいは別の見方をすれば、コンビニやiPodなど、自販機やジュークボックスの代替物はいくらでもあるが、疑似本能的な欲求とわれわれとの関係性を実体化するという目的においては、自販機やジュークボックスというモニュメンタルなモノこそ相応しいということなのか。前者の解釈はアートの側からの、後者のそれはデザインの側からのとらえ方といえる。これ以外にこのふたつの作品については、記号論やノスタルジー論の立場から解釈しても面白いだろう。いずれにせよ、今回の彼の試みが、フェティッシュな文化に対するわれわれの意識のあり様を重層的かつ複雑に提示したものであることは間違いない。 [橋本啓子]

2011/04/16(土)(SYNK)

MAM PROJECT 014:田口行弘

会期:2011/03/26~2011/08/28

森美術館ギャラリー1[東京都]

ギャラリーは無惨にも壁が破壊され、向こうが丸見え。その解体した建材で椅子や小屋がつくられ、なにか工事現場のように活気があって楽しい。ビデオを見ると、数枚の板が外に出てあっちこっち移動するさまをアニメ化していて笑える。その板もこの壁をはがしたものらしい。反対側の壁には鉛筆や水彩でラフに描かれたスケッチが数百枚びっしり貼られている。これを見ると相当の才能であることがわかる。「フレンチ・ウィンドウ展」に放り込んでもヒルシュホーンと1、2位を争うほどの実力であることは間違いない。帰りにショップに寄ったら建材の破片に絵を描いたものを売っていたので、迷わず買った。

2011/04/12(火)(村田真)

フレンチ・ウィンドウ展

会期:2011/03/26~2011/08/28

森美術館[東京都]

震災のため開催が1週間ほど遅れた企画展。遅れただけでなく、天井から吊ったりする作品はいまだ展示を見合わせている。まあ展覧会自体が中止にならなかっただけでもよしとしなければ。「デュシャン賞に見るフランス現代美術の最前線」とのサブタイトルのついた同展は、フランス最大の現代美術コレクターの団体ADIAFが主催する「マルセル・デュシャン賞」の10周年を記念し、グランプリ受賞者らの作品やデュシャンの代表的レディ・メイドを出品するもの。驚いたのは、フランスには現代美術コレクターの団体が(しかも複数)あること、そのひとつがデュシャン賞を主催していること。これはおそらく年々注目度を高めているイギリスのターナー賞に対抗しようとしたものだろうけど、それをコレクターの団体が(ポンピドゥー・センターやFIAC[International Contemporary Art Fair]とともに)主催するというのだからスゴイというか、むしろマーケットの動向に左右されないか心配になるくらいだ。作品はデュシャン賞らしくレディ・メイドが多いなか、リヒターばりの都市風景を描くフィリップ・コニェ、煙の上がる中世の街並を他人に描かせたローラン・グラッソらの絵画や、廃物を寄せ集めたトーマス・ヒルシュホーンのインスタレーションにそそられた。ちなみにデュシャン作品はすべて国内(大半は京都近美)からかき集めたもの。日本はデュシャンの大コレクターなのだ。でもこれはレディ・メイドのレプリカのマルチプルだから、比較的入手しやすいけどね。

2011/04/12(火)(村田真)

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