artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

黒田光一「峠」

会期:2011/03/15~2011/03/27

AKAAKA[東京都]

黒田光一の『弾道学』(赤々舎、2008)は、スケールの大きな写真作家の誕生を告げるいい写真集だった。ただ、静岡県御殿場市の北富士演習場で撮影された凄絶な美しさを持つ夜間演習の弾道の光跡のイメージと、どちらかと言えば雑駁な街頭スナップとを、うまく関係づけるのが難しかったと思う。それから3年ぶりの新作の発表になる今回の「峠」では、あえて被写体の幅と距離感を狭めることによって、緊張感と集中力を感じさせる展示となった。
被写体になっているのは、彼が日々撮影し続けている、これといって特徴のない街の眺めである。鷹野隆大の『カスババ』を、よりクローズアップで展開したようにも見えなくもない。縦位置に切り取られ、壁にピンで止められたり、机の上にテープで貼付けられたりした40点あまりの作品では、都市を表層のつらなりとして見る視点が貫かれている。そこから浮かび上がってくるのは「もっともらしく整った景色」に刻みつけられた、「生き物と、やはり生き物の自分とのおびただしいクラッシュの痕跡」だ。それらの手触りを、傷口を指先で確かめるように写しとるというのが、黒田の今回のもくろみと言えるだろう。その試みは展覧会の会期中も続けられており、震災以後の東京を撮影した画像を上映して見せるコーナーも設けられていた。まだ途中経過という感じではあるが、その作業の全体が見渡せるようになれば、見所の多い作品として成長していくのではないだろうか。

2011/03/24(木)(飯沢耕太郎)

Girlfriends Forever!

会期:2011/02/26~2011/03/27

トーキョーワンダーサイト本郷[東京都]

アーティストの松井えり菜と村上華子が共同で企画したグループ展。参加したのは、松井と村上のほかに、辰野登恵子、今津景、中村友紀など11組の女性アーティストで、女性の私室に見立てた空間にそれぞれ作品を展示した。全体的に見ると、少女性を過剰に充満させた空間に仕上げられていたが、個別的に見ると、壁に掛けた絵画や写真をはじめ、家具や寝具に仕込んだ映像インスタレーションなど、それほど大きくはない空間を巧みに使いこなしているのがわかる。ひときわ際立っていたのは、村上の作品。かつての恋人の印象やエピソードを記した言葉からモンタージュさせた似顔絵を、紗幕で囲んだベッドに吊るして見せた。ガーリーで柔らかい空気感と、いかにも容疑者の風体で描かれた男性の硬質なイメージの対比が著しい。

2011/03/23(水)(福住廉)

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鴻池朋子 隠れマウンテン 逆登り

会期:2011/03/09~2011/04/09

MIZUMA ART GALLERY[東京都]

〈3.11〉の衝撃。そのひとつは、どんなアートも、地震と津波、そして原発のイメージと重なって見えてしまうことだ。とりわけ黒々とした波が次々と押し寄せ、街を一気に呑みこんでいく、あの恐ろしい映像は、当分私たちの脳裏から離れることはないだろう。このことは、おそらくアーティストにとっても同じで、突如として現われた強烈な現実を前に、いったいどんな豊かな想像の世界を創り出すことができるのか、それぞれ自問自答を繰り返しているに違いない。なにしろシュルレアリスムでしか見られなかった光景が、被災地では半ば現実となってしまっているのだから、そんじょそこらの想像力ではとても太刀打ちできないことは誰の眼にも明らかだ。鴻池朋子の新作は、もちろん震災以前に制作されたものだが、以前にも増して画面に強く立ち現われた自然性と神話性、すなわちアニミズムが、大震災で疲弊した私たちの心に深く滲みこんでくる。人間と動物が融合した神話的な生物は、もしかしたら自然の脅威を目の当たりにした太古の人間が、魂の救済を求めて止むにやまれず創り出したものではないか。そのように考えてしまうのも、あるいは少なからず大震災の影響なのかもしれないが、文字どおり言語を絶する被害の大きさには、それ相応の言語を超越した視覚的イメージが必要不可欠であることは間違いない。

2011/03/23(水)(福住廉)

シュテーデル美術館所蔵 フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展

会期:2011/03/03~2011/05/22

Bunkamuraザ・ミュージアム[東京都]

有名なフェルメールの絵画《地理学者》の背景を読み解くための、社会的な背景を紹介する展覧会。17世紀のオランダ絵画は、窓の描き方において重要な時代だが、とくに興味深い作品、ピーテル・ヤンセンス・エーリンハ《画家と読みものをする女性、掃除をする召使いのいる室内》の実物に出会えたことが良かった。これは、扉の向こうの部屋の窓という折り畳まれた重層的な空間構成や、絵画と鏡に囲まれた大きな窓がさまざまなリフレクションを起す複雑な関係性など、表象分析の題材として楽しめるだろう。

2011/03/23(水)(五十嵐太郎)

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中村 趫「メランコリアの楽園」

会期:2011/03/19~2011/04/09

parabolica-bis[東京都]

中村 は1970年代にサイケデリック・ロックバンドに参加し、その後写真家に転身したという変わり種。フェティッシュな美意識に裏打ちされた、装飾過剰のゴシック・ロマン風のイメージに徹底してこだわり続ける姿勢も、日本ではかなり珍しい。主に『夜想』や『TH(トーキングヘッズ)』などの耽美系の雑誌で作品を発表してきたが、今回の東京・浅草橋parabolica-bisでの個展は、彼の作品世界の全貌を見渡すことができる貴重な機会となった。
1Fと2Fの3つの部屋を使って「interference 」「ruinous flowers」「elysian fields」の3部作が展示されていた。異形の人物たちの畸形的なポートレート「ruinous flowers」、寺島真理が監督した映画『アリスが落ちた穴の中』(中村が写真と照明デザインを担当)のスチル写真として制作された「elysian fields」もなかなか見応えがあったが、なんといっても圧巻なのはこれまでの彼の作品の集大成というべき「interference」のパートである。人体、物質、風景が有機的に絡みあい、全体に湿り気を帯びたイメージのタピストリーを織り上げている。その眺めは、たしかに日常世界の秩序から逸脱するものだが、どこか懐かしい見世物小屋を思わせるところもある。甲斐庄楠音とヤン・シュヴァンクマイエルを合体させたような幻想空間の強度の高まりを、しっかりと確認することができた。
なお、1Fのショー・ウィンドーには人形作家の清水真理とコラボレーションした作品が展示してあるのだが、そこに津波の写真が大きく使われていた。彼のイマジネーションを触媒として、何か予感のようなものがひらめいたのだろうか。

2011/03/23(水)(飯沢耕太郎)