artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
松本市、長野市の建築をまわる
[長野県]
長野の新しい建築をまわった。まず伊東豊雄による信濃毎日新聞松本本社《信毎メディアガーデン》(2018)である。松本市では、《まつもと市民芸術館》(2004)に続くプロジェクトだが、今回はコミュニティデザイナーの山崎亮が入り、ワークショップを経て、設計された。ルーバーや木の格子による印象的な外観に対し、手前に大きな広場、横に水路をもうけ、一階は自社ビルにもかかわらず、カフェ付きのほとんどオープンスペースである。インテリアは、《せんだいメディテーク》をほうふつさせる仕上げだ。

《信毎メディアガーデン》外観
今春、宮崎浩が設計した《長野県立美術館》がオープンした。《長野県信濃美術館》(1966)の建て替えだが、隣接する谷口吉生の《東山魁夷館》(1990)や近くの善光寺、そして高低差のある地形など、様々な環境を読み取りながら、それらをつなぐモダニズム的なデザインになっている。ちなみに、宮崎の師匠である槇文彦による《長野市第一庁舎・長野市芸術館》(2016)も、周辺の都市の文脈をふまえた建築だった。

《長野県立美術館》外観

《長野県信濃美術館》(2009年筆者撮影)

《長野市第一庁舎・長野市芸術館》外観
長野県立美術館は、あいだに大階段や水辺テラスを挟んで(中谷芙二子の《霧の彫刻》はここで発生する)、《東山魁夷館》と向きあう一方、善光寺に対しては屋上広場から眺める絶好の視点場を提供している。無料ゾーンでは、交流スペースで「新美術館みんなのアートプロジェクト Something there is that doesn’t love a wall─榊原澄人×ユーフラテス」を開催し、L字の壁に連続する横長の映像を投影すると同時に、オープンギャラリーで開催されていた「美術館のある街・記憶・風景 日常記憶地図で見る50年」展によって過去の思い出を掘り起こしていた。

中谷芙二子《霧の彫刻》の向こうに見える《東山魁夷館》

《長野県立美術館》3F屋上の「Shinano Art Cafe」より善光寺を眺める
オープニングの「長野県立美術館完成記念 未来につなぐ~新美術館でよみがえる世界の至宝 東京藝術大学スーパークローン文化財展」は、文化財を3D スキャンして、かたちを複製する最新の技術を紹介する興味深い企画だった。仕上げは、やはり人の手を加える必要があるものの、最後にエイジングしていくと、本物らしさを獲得する。たとえハリボテでも、表層をつくりこむとわれわれの目を欺くことができるのは、映画や舞台の美術と同じだろう。が、それを文化財で突きつけられると、複雑な気持ちになる。

「長野県立美術館完成記念 未来につなぐ~新美術館でよみがえる世界の至宝 東京藝術大学スーパークローン文化財展」展示風景
長野県立美術館完成記念 未来につなぐ~新美術館でよみがえる世界の至宝 東京芸術大学スーパークローン文化財展
会期:2021/04/10~2021/06/06
会場:長野県立美術館 展示室1・2・3
ウェブサイト: https://nagano.art.museum/exhibition/superclone
新美術館みんなのアートプロジェクト Something there is that doesn’t love a wall─榊原澄人×ユーフラテス
会期:2021/04/10~2021/08/15
会場:長野県立美術館 交流スペース
ウェブサイト: https://www.culture.nagano.jp/event/5399/
美術館のある街・記憶・風景 日常記憶地図で見る50年
会期:2021/04/10~2021/06/27
会場:長野県立美術館 オープンギャラリー
ウェブサイト: https://www.museum.or.jp/event/101855
2021/06/03(木)(五十嵐太郎)
牛腸茂雄 写真展 「SELF AND OTHERS〈失われた瞬間の探求、来たるべき瞬間の予兆〉」

会期:2021/04/29~2021/06/02
BOOKS f3[新潟県]
牛腸茂雄が1983年に亡くなってからもう40年近いのだが、彼の仕事への関心は若い世代にも持続している。新潟市で写真集書店BOOKS f3を運営する小倉快子もそのひとりで、今回、長年あたためていた「牛腸茂雄展」を実現した。
展示の中心になっているのは、牛腸の桑沢デザイン研究所リビングデザイン研究科写真専攻の同級生、三浦和人がプリントした「SELF AND OTHERS」のモダン・プリント15点だが、むしろ小倉が新潟県加茂市の牛腸の実家を訪ねて借りてきたという、周辺資料が興味深かった。使用していたカメラ(ミノルタオートコード、キヤノネットQL−25、キヤノンAE−1)、生前の展覧会のDM、写真集『SELF AND OTHERS』(白亜館、1977)の台割表、印刷用の青焼、桑沢デザイン研究所の卒業記念展カタログなどもある。自筆のノートには子供の頃の顔写真が貼られ、几帳面な字で、「あの しじまの広がりの中で/脈打つものは/波が蹴散らす火花の音か?」という詩の一説が記されている。生前、牛腸が好んで読んでいた、みすず書房の心理学関係の書籍も棚におさめられていた。これらの資料と写真とを照らし合わせることで、あらためて牛腸にとっての「失われた瞬間」「来たるべき瞬間」を探り当てる、とても実りの多い時間を過ごすことができた。
新潟市美術館、三鷹市美術ギャラリー、山形美術館で、回顧展「牛腸茂雄 1946−1983」が開催されたのが2004年なので、その後の調査・研究の成果も含めて、そろそろ彼の新たな像を作り上げていくべき時期に来ている。ぜひどこかの美術館で、大規模展の企画を進めてほしいものだ。
2021/06/02(水)(飯沢耕太郎)
南相馬の震災10年 岡部昌生 余震
会期:2021/06/01~2021/06/06
トキ・アートスペース[東京都]
広島、夕張、パリ、ローマなどさまざまな歴史を刻む場所を、紙に鉛筆で擦りとるフロッタージュの手法で記録してきた岡部昌生の個展。今回は東日本大震災後から福島県南相馬市に足を運び、被災した建造物や石碑などの表面をフロッタージュで写しとってきた作品を展示している。
写しとられたのは、破壊された巨大な防波堤の断面(高さが5メートルくらいあって会場に収まらないので横倒しに展示)、津波に襲われた小学校の教室の床、災害復興祈願で建てられた「おらほの碑」をはじめとする石碑など。鉛筆で擦りとるのではなく、紙を置きっぱなしにして雨水や砂、風、日光などの自然に表面を擦らせた《風の、光の、空気のフロッタージュ》もある。フロッタージュは物(ブツ)の表情を直接写しとるものだから、絵画や写真と違って対象を突き放した描写はありえず、物質感をダイレクトに伝える強度がある。ひょっとしたら、その場に付着していたかもしれない放射能や新型コロナウイルスまで写しとってきちゃったんじゃないかってくらい臨場感があるのだ。ちょっとたとえが悪かったですか。
同展はこの春、南相馬市博物館で開かれた「南相馬の震災10年」の巡回展。タイトルに「余震」を加えたのは、3.11から10年目の今年2月に起きた最大震度6強の福島県沖地震(震度6強といえば烈震だが、そんな地震あったっけ? てくらい珍しくなくなったことに驚く)のことを指すようだが、「本震で歪んだ地殻を安定させ整えようとするのが余震だとすれば、ときに、痛みや怖れを想起させる文化、芸術も人間の歪みを緩やかに回復させる余震なのだと思います」という、福島県立博物館の川延安直氏の言葉に感化されてのことでもあるだろう。

展示風景[筆者撮影]
2021/06/01(火)(村田真)
イサム・ノグチ 発見の道

会期:2021/04/24~2021/08/29(※)
東京都美術館[東京都]
※日時指定予約を実施
香川県牟礼町のイサム・ノグチ庭園美術館を私が訪れたのは、もう十数年以上も前のことである。見学には事前に往復ハガキによる申し込みが必要で、入館してからは「写真撮影はいっさいNG」とずいぶん厳しい対応ではあったけれど、わざわざ足を運んだ甲斐があった。そのときに感じたのは、彫刻は設置される環境が重要ということである。庭やアトリエ、住居の至るところに鎮座する数々の彫刻はまさにそこに生きていた。「自然石と向き合っていると、石が話をはじめるのですよ。その声が聞こえたら、ちょっとだけ手助けしてあげるんです」とイサム・ノグチは語ったと建築家の磯崎新が明かしているが、その自然石ならではの生命力を強く感じたのだ。それから10年以上経った5年前、米国ニューヨークのイサム・ノグチ庭園美術館へも出張のついでに訪れることができたのだが、やはり同じように感じたことを覚えている。

この彫刻の活力を見せるという点において、本展は優れていた。これまでにも都内などで催されたイサム・ノグチの展覧会をいくつか観てきたが、ホワイトキューブの中に置かれた彫刻はどうにも居心地が悪そうに見えて仕方がなかったからだ。本展の「第1章 彫刻の宇宙」では、ノグチの代表作である光の彫刻「あかり」を150灯も吊るした大規模なインスタレーションが中央に配され、その周りや下を周回できるようになっていた。これを観た瞬間、こう来たか!とテンションが思わず上がった。明滅する「あかり」150灯の周囲には、ノグチの壮年から最晩年に至るまでの多様な作品が点在し、それらまでも不思議と生き生きとして見えた。
展示風景 東京都美術館
展示風景作品 ©2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS, NY/JASPAR, Tokyo E3713
続く「第2章 かろみの世界」と「第3章 石の庭」でもそれは同様だった。全体がシンプルな3部構成で、いずれも広い空間に彫刻を点在させて周囲の照明を少し落としていたためか、解説を読んだり頭で考えたりするよりも心で感じることができたのである。ザラザラ、ツルツルとした石の豊かな地肌、いろいろな想像力を掻き立てる形、前から横から後ろから観たときに異なる印象……。こうした彫刻の純粋な姿に見入ることができた。実は緊急事態宣言が発令されて、本展は開始早々に一時休室に追い込まれてしまったが、そんな人々の心が病んでしまいかねないコロナ禍だからこそ、芸術の力が必要だ。奇しくも、ノグチは現代の我々に生きる勇気を与えてくれたように思う。
展示風景 東京都美術館
展示風景作品 ©2021 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS, NY/JASPAR, Tokyo E3713
公式サイト:https://isamunoguchi.exhibit.jp
2021/06/01(火)(杉江あこ)
「みみをすますように 酒井駒子」展

会期:2021/04/10~2021/07/04(※)
PLAY! MUSEUM[東京都]
※土日祝に限り、日付指定券を販売。
誰しも経験があると思うが、大人から見ればくだらないものや些細なことでも、子どもにとってそれが特別なものに見えることがある。絵本作家の酒井駒子は、そんな子どもの目を通して見える密やかな世界を丁寧に描く。明るく愉快にではなく、静かにゆっくりと。もう何年も前、『金曜日の砂糖ちゃん』で私は初めて彼女の絵本を知ったのだが、そのとき、心をハッとつかまれた覚えがある。子ども向けの絵本はまさに明るく愉快に描かれることが多いが、自分自身を振り返ってみても、子どもだからといって毎日のすべてが明るく愉快であるはずがない。それは大人が押し付ける概念である。むしろ静かにゆっくりと、自分の内面(というか想像の世界)と向き合う時間が長かったような気がする。『金曜日の砂糖ちゃん』に収録された3作は、大人が望む子どもの無邪気さとは別のベクトルで、そんな子どもの内面がありのままに描かれているように感じた。
さて、本展は酒井駒子を特集した初めての展覧会である。彼女が実際に居を構える「山の家(アトリエ)」を彷彿とさせるような音や映像、そして無垢の杉材を使った額やケース、什器で会場が構成されていた。これまで刊行された絵本などのなかから厳選された約250点の原画が、形も大きさも高さもまちまちな額やケースに収められており、散策するように巡りながら覗き込んだり屈み込んだりして鑑賞した。彼女の原画を見るのは初めてだったのだが、画用紙だけでなくダンボールにまで描かれているのには驚いた。黒い絵具を下塗りした上に配色するという独自の技法が、彼女の絵の持ち味なのだが、ダンボールを画用紙代わりにすることで、さらに独特のざらつきが加わるようだ。そんな種明かしもあり、印刷では味わえない原画の生の迫力を十分に堪能できた。
展示風景 PLAY! MUSEUM[撮影:吉次史成]
展示風景 PLAY! MUSEUM[撮影:吉次史成]
本展を観た後、酒井駒子への興味が俄然と増してさまざまな絵本を手に取ってみた。やはり大人が読んでも心を動かされる作品が多い。なかでも歌人の穂村弘と共作した絵本『まばたき』は、シンプルゆえに力強く、最後の1ページを開いたときの衝撃は非常に忘れがたいものとなった。
展示風景 PLAY! MUSEUM[撮影:吉次史成]
公式サイト:https://play2020.jp/article/komako-sakai/
2021/06/01(火)(杉江あこ)


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