artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

岸幸太「連荘 1」

会期:2021/07/26~2021/08/08

photographers’ gallery[東京都]

興味深いことに、岸幸太の個展「連荘 1」に出品されたのもカラー写真だった。岸も渡辺兼人と同様に、これまで多くの作品を黒白写真で発表してきた。15年あまり撮り続けた大阪・釜ヶ崎、東京・山谷、横浜・寿町などの「ドヤ街」の写真を集成して3月に刊行した写真集『傷、見た目』(写真公園林)も、全ページがモノクロームの図版である。

今回の個展からスタートする「連荘」シリーズも、撮影場所、被写体の選択、撮り方はそのまま踏襲されている。「ドヤ街」の街路や建物、路上にちらばり、積み上げられているゴミと現代美術のオブジェの中間形態のような事物、その間を浮遊するように行き来し、所在なげにたたずむ人物たち……。それらをストレートに切り出してくる眼差しのあり方は、黒白写真でもカラー写真でも変わりはない。だが、これまた渡辺兼人の写真と同じく、それらを包み込む空気感が、丸ごと写り込んでいることに大きな違いがある。そのことによって、写真家と被写体の間の距離感がより縮まり、観客(読者)は、岸とともに「ドヤ街」のなかに踏み込んでいくような臨場感を共有することができるようになった。このシリーズも、写真集『傷、見た目』のようにまとまるには時間がかかりそうだが、新たな視覚的体験が期待できそうだ。

これまで黒白写真を中心に発表していた写真家が、カラー写真に移行することが多くなってきた理由のひとつとして、カラープリント、特にデジタル処理によるカラープリントの精度が、以前と比較して飛躍的に上がってきたということも大きいのではないだろうか。モノクロームプリント並みの画像コントロールが可能になることで、その表現の可能性はより高まりつつある。なお、展覧会に合わせて、KULAから同名の写真集も刊行されている。

2021/07/29(木)(飯沢耕太郎)

渡辺兼人 写真展「墨は色」

会期:2021/07/19~2021/07/31

巷房・2[東京都]

記憶している限り、これまで渡辺兼人がカラー作品を発表したことはないはずだ。街歩きのあいだに見出した被写体を、画面上に厳密に配置し、ぎりぎりまでシャープに、しかも濃密かつ豊かなグラデーションで描き切った、ハードエッジな黒白写真こそが渡辺の真骨頂であり、それらを見るたびにいつでも「写真表現の極北」という言葉を思い浮かべていた。その渡辺がカラー作品を発表するということで、期待と不安が交錯するような気持ちで会場に足を運んだ。

そこに出品されていた20点の8×10インチ判のプリントは、「渡辺兼人のカラー写真」そのものだった。被写体も、それらを矩形の画面におさめる手つきも、黒白写真の作品とほぼ変わりはない。いうまでもなく、大きな違いは色がついているかいないかだが、それもあまり気にならない。網膜を刺激するような、原色に近い色味の被写体を注意深く避けているためだろう。

それだけでなく、渡辺は今回のシリーズで、明らかにある意図をもって写真を選んでいる。20点のうち、かなり多くの作品に「雨に濡れたアスファルトの地面」が写っているのだ。その墨のように黒々とした色面に目が引き寄せられる。水に濡れた箇所や水たまりは光を反射し、そのぬめりのある触感が強調されている。むろん、モノクロームでも「雨に濡れたアスファルトの地面」を描写することはできるが、カラー写真のように、風景から生起してくる、官能的とさえいえるような空気感を捉えるのは無理だろう。渡辺はそのことに気がつき、まさに「墨は色」であることの写真的な表明をもくろんで、このシリーズに取り組んだのではないだろうか。

2021/07/29(木)(飯沢耕太郎)

没後20年 まるごと馬場のぼる展 描いた つくった 楽しんだ ニャゴ!

会期:2021/07/25~2021/09/12

練馬区立美術館[東京都]

『11ぴきのねこ』と『11ぴきのねことあほうどり』は私にとって大変懐かしい絵本だ。子どもの頃に何度も繰り返し読んだ。食いしん坊でちょっと間抜けな11匹の猫たちが、大きな魚を捕らえたり、コロッケ店を開いたりと、いずれもユーモラスな物語が展開される。11匹の猫たちはとても人間臭く、喜怒哀楽がはっきりしていて、子ども心に親しみが持てた。本展を観て、この絵本シリーズの著者、馬場のぼるが実は漫画家でもあったことを知り、なるほどと合点がいった。

馬場は1950年に少年誌で漫画連載を始め、手塚治虫らとともに「児童漫画界の三羽ガラス」と呼ばれるほど人気を博したという。実際に彼らは仲良しだったようで、手塚の漫画のなかに馬場がキャラクターとして何度も登場したり、「鉄腕アトム」と「11ぴきのねこ」が夢の共演をした作品が残っていたりと、本展でもその交友録が紹介されていた。その後、馬場は大人向けの漫画雑誌にも活躍の場を広げ、さらに絵本も手がけるようになった。『11ぴきのねこ』シリーズが世代を超えて愛されるロングセラーとなっても、馬場自身はあくまで漫画家であることを軸としていたようだ。漫画家ゆえの豊かな発想力や自由奔放さが、『11ぴきのねこ』シリーズを生き生きと輝かせたのかもしれない。


『11ぴきのねことぶた』(こぐま社、1976)印刷原稿 特色刷り校正用リトグラフ・紙 こぐま社蔵


そんな物語の魅力もさることながら、改めて感心したのは絵の完成度の高さだ。本展で初めて知ったのだが、『11ぴきのねこ』シリーズはリトグラフを応用した特殊な製作工程で印刷されたものだという。CMYKのプロセスインキではなく、すべて特色インキを使い、それらを何版も重ねて1枚の絵を完成させていたのである。しかも作家自身が(1色ごとに)版にする原画を描き分けたというのだから驚く。なぜなら色と色とを重ねた際にどのような色に仕上がるのかを綿密に計算しなければならないし、原画を描く手間も何倍も掛かるからだ。それでも発行元のこぐま社が「画家の手の温もりが感じられる美しい色の絵本を届けたいと願い」、この手法を採用してきた。まさか製作にこんなに手が込んでいたとは、子どもの時分には知る由もない。私はずいぶん贅沢な絵本を楽しんできたわけだ。さて、馬場の漫画家としての実力は風刺画にも発揮されていた。1980年代の中曽根政権時代と思われる風刺画も展示されており、思わずニヤリとする。これも子どもの時分には味わえなかったウイットのひとつだ。大人になって馬場作品の魅力に改めて触れられて幸せに思う。


『11ぴきのねことあほうどり』(こぐま社、1972)印刷原稿 特色刷り校正用リトグラフ・紙 こぐま社蔵


展示風景 練馬区立美術館



公式サイト:https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202104211619004534

2021/07/24(土)(杉江あこ)

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小林紀晴「深い沈黙」

会期:2021/07/20~2021/08/16

ニコンプラザ東京 THE GALLERY[東京都]

小林紀晴は長野県の諏訪盆地の出身であり、子供の頃から冬の山を間近に見て育った。秋から冬にかけて、次第に雪に覆われていくその景色は、もの寂しく、死の匂いを感じさせたが、見続けていると、同時に不思議な安らぎをも感じさせるのだった。そんな「原風景」としての冬山の眺めがずっと気になっていたのだが、ある時ヴァルター・ベンヤミンの以下の言葉を読んで、腑に落ちるものがあったという。

「植物がわずかに葉の音をたてているところにさえ、つねにその嘆きが共鳴している。自然は黙するがゆえに悲しむのである。」 (「言語一般および人間の言語について」[『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』久保哲司訳、ちくま学芸文庫、1995])

小林は、その植物の「深い沈黙」を、自らの記憶や体験を踏まえて捉えようと試みる。こうして、長野だけでなく、福島、山形、青森、北海道などの冬山を撮影した写真シリーズが形をとっていった。今回の展覧会には、そこから11点が厳選され、モノクロームの大判プリントで展示されていた。その選択、レイアウトはとてもうまくいっていたと思う。数が多いと繰り返しが避けられないし、小さなプリントでは、彼が冬山に対峙しているときの思いの深さが伝わりにくいからだ。画面上のグレートーンと漆黒の配合も、繊細かつ丁寧に詰められていた。

このシリーズが、小林の写真家としての軌跡のなかでどのような意味をもつのかはまだわからないが、ひとつの区切りとなる作品となることは間違いない。なお、ふげん社から同名の写真集が刊行された。また、本展は9月30日~10月13日にニコンプラザ大阪 THE GALLRYに巡回する。

2021/07/22(木)(飯沢耕太郎)

大和田良 写真展「宣言下日誌」

会期:2021/07/22~2021/08/15

Roll[東京都]

新型コロナウィルス感染症の拡大にともなう緊急事態宣言は、2021年8月後半現在も、東京をはじめ各地で発令中である。とはいえワクチン接種の加速化もあって、感染者数は増えているものの、昨年4月から5月に第1回目の緊急事態宣言が出された当時の緊張感はもうない。いまふり返ってみると、あの時期に「パンデミック」という多くの日本人にとっては初めての経験にどんなふうに対応したのかは、写真家たちにとってもかなり重要なテーマなのではないだろうか。

今回の「宣言下日誌」展は、そのことにいち早く取り組んだ作例といえる。大和田良は、当時ほとんどの仕事がキャンセルかリモートになり、「巣ごもり」を余儀なくされた。そのことで、逆に「『写真とはなにか』という本来的な関心」に立ち戻らざるを得なくなる。日々の出来事を記したテキストを書き、写真を撮影し(当然、家の中や身近な環境が多くなる)、それらをプリントし、配列していくことで、彼もまた多くの写真家たち同様に「原点回帰」を意識するようになった。

この時期に撮影した写真を、古典技法であるサイアノタイプでプリントしたのもそのためだろう。自分で調合した感光乳剤を紙に塗ってプリントすることによって、手作業を重視してきた写真のあり方を再考することができた。さらに、このプリント技法によって得られる深い青味を帯びたトーンが、当時の気分にぴったり合っていたということもありそうだ。

今回の展覧会は、藤木洋介がプロデュースする新ギャラリーRollのお披露目を兼ねていた。会場には大和田の旧作も並んでおり、そのために企画意図がやや拡散してしまったことは否定できない。「宣言下日誌」だけに絞った方が、よりすっきりとした展示になったのではないだろうか。

2021/07/22(木)(飯沢耕太郎)