artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
木村友紀「無題」

会期:2010/09/05~2011/01/11
IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]
2010年の最後に木村友紀の展覧会を見ることができて本当によかった。IZU PHOTO MUSEUMの展示は会期が長いので、逆にうっかりするとまだまだと思っているうちに見過ごしてしまうことになりかねない。この展覧会も危うくそうなりかけていたのだが、年末近くになって何とか間に合った。
木村友紀の作品は、さまざまな写真を蒐集するところからはじまる。自分が撮影したものもあるが、家族のアルバムの中から見つけだしたもの、滞在先の街の「蚤の市」のような場所で買い集めたもの、友人から送られたものなどもある。つまり自分自身の制作物、所有物として徴づけられたものはむしろ少なく、多くは「他者」に帰属するものだ。木村はそれらを大きく引き伸ばし、再配置し、写真同士、また他のオブジェなどと組み合わせてインスタレーションする。その手際がとても洗練されていて、見ていて実に楽しい。
たとえば、どこともしれないオフィスを撮影した写真の前には、鉢植えの観葉植物が写真に触れるように置かれているが、それは写真の中に写っている観葉植物と対応するものだ。黒胡椒の実が写真の上に散乱しているインスタレーションがあるが、それは写真の中の雑然としたモノの状態に呼応している。また、海外で購入したセピア色に変色した飛行機の前半分のカラー写真には、祖父のアルバムに貼られていたというモノクロームの「飛行機型のハリボテの建物」のイメージがつけ合わされている。
つまり、木村の作品は「内と外」「自己と他者」「イメージの内側の世界と外側の現実の世界」との対応関係を、巧みな操作によって浮かび上がらせるところに特徴がある。そのことによって彼女がもくろんでいるのは、写真をある特定の意味や文脈に固定することなく、開放的な場に解き放ち、さまざまな形のイマジネーションを発動する装置として、積極的に「利用」していくことだろう。その作業を目にすることで、鑑賞者もまた、映像を巡ってめまぐるしく飛躍し、変転していく彼女の思考の渦に巻き込まれていく。その巻き込まれ方に、固い殻が破れて液体化していくような妙な快感がある。以前は彼女の作品には、底意地の悪さ、微妙な悪意を感じさせるものが多かった。それが今回はほとんど鳴りを潜めているのがちょっと気になる。木村にはただの趣味のいいインスタレーション作家にはなってほしくない。もちろん、本人もそのあたりは十分に承知しているとは思うのだが。
2010/12/26(日)(飯沢耕太郎)
オイルショック!──90年代生まれのオイルペインター

会期:2010/12/23~2010/12/28
Hidari Zingaro[東京都]
最近、秋葉原や中野にしばしば通っているのだが、中野ブロードウェイ3階に店を出す村上隆プロデュースのHidari Zingaroでけっこう衝撃的な展示を見た。これは、0000(オーフォーと読む)という京都を基盤にする4人のイケメン風アートオーガナイザーたちが企画したもので、4週連続の展覧会「0000 Fest」のひとつ。この週は10代の女性画家5人の油絵が紹介されていたのだが、驚くのは彼女たちの絵のうまさではなく、まったく逆に、油絵のスキルがないのに(または無視して)臆面もなく少女マンガチックに描いていること。ぼくらの基準では、こんなイラスト風の絵は恥ずかしくて人前には出せないし、そもそも油絵では描かないものだ。それをなんのてらいもなく出し、あろうことか半数近くが売れているのだ。ただヘタな絵を並べるだけならだれでもできるかもしれないが、それが売れるとなると話は別。売れるということは作品が公認されたということにほかならない。逆にいえば、これまでぼくらが公認していたような作品の価値基準が少数派になりつつあるということだ。そんなことはポストモダンが叫ばれた80年代から徐々に感じていたはずだが、ここまで自分とは異なる価値観を見せつけられるとうろたえてしまう。企画者の意図どおり、まさに「オイルショック」。
2010/12/26(日)(村田真)
中村協子 展「アナログなダビング」

会期:2010/12/03~2010/12/26
eN arts[京都府]
中村協子の過去作から最新作までのドローイングが展示された個展。こんなにまとまった量の中村の作品を見たのは初めてかもしれない。ペンや色鉛筆を使った細密な表現でどちらかというと小さなサイズの作品を発表してきたイメージがあるが、今展では、会場の入口すぐの壁面いっぱいに大きな画面を数枚つなげた大作も展示されていた。ただそれでもあり余るほどの広い空間。そのためにどちらかというと量感は感じられずすっきりとまとまっていた印象だ。他愛もない“ガールズトーク”を繰り広げるバービー人形たちの連作、 かるたのような短い言葉と絵を組み合わせた大量のドローイングなど、イメージと記憶に働きかける独特のユーモアはこれまでどおり、だが、今回は言葉と絵の関係の面白さよりも色彩やこまやかな描写のほうが印象に残った。
2010/12/25(土)(酒井千穂)
孤高の画家 長谷川潾二郎展

会期:2010/10/23~2011/12/23
宮城県美術館[宮城県]
探偵小説家の一面もあった画家の回顧展。晩年の静物画を凝視すると、食器に外からの光があたり、窓や作家自身の姿がリフレクションし、映り込む。外界の鏡としての静物は興味深い。普通のモノを並べているだけなのに、シュールな雰囲気を漂わす静物画のコンポジションは、砂丘という異なる背景とはいえ、どことなく植田正治の写真も思い出される。眠り猫の絵描きということで、一般から眠り猫の写真も募集し、展示する関連企画によって、巡回展ながらも、宮城県美術館ならではの演出を試みていた。
2010/12/23(木)(五十嵐太郎)
「Neo New Wave Part 2」展

会期:2010/12/03~2010/12/26
island ATRIUM[千葉県]
2010年9月にPart 1が行なわれた同名展覧会のPart 2。Part 1の作家たちの多くが「自分の感覚」を創作の端緒にしているように見えたのに対して、Part 2の6名の作家たちがともに「他者をどう自分の活動に巻き込むか」というテーマに取り組んでいたのは印象的だった。なかでも、小学生が公園で基地をつくるみたいに、加藤翼は仲間たちと一階のギャラリースペースを占拠、ベニヤ製の箱、二つのこたつ、すべり台などで一杯にした。ひとが通れるくらいの大きさの箱には、こぶしで突き破ったような穴が空いていて、入ると、空洞に点在する複数のモニターに映るのは、やんちゃな若者たちが実行した遊びの過程。映像と諸々のオブジェとの関係は、泉太郎のそれに似ている。集まった人びとが「ゲーム」に興じる点も共通している。ただし、女性も多く混じっているプレイヤーが黙々とゲームを遂行する泉作品に対して、加藤の場合は、同性の仲間を巻き込んだことで、わいわいと楽しい雰囲気が詰まっている分、良くも悪くも「内輪」感が目立つ。閉じることで高まるボルテージは疎外感を観客に与えもする。加藤とは対照的に、久恒亜由美は、35才の男が自分を口説く音声や占い師が自分を占う音声を作品にし、他人を作品に巻き込む。予期せぬ仕方で作品という場に他人を引き込む仕掛けは巧み。また他人の評価を通してしか自分が確認できないリアルな若者像として理解もできる。けれど、他人を作品に巻き込む残酷さに心がひりひりする。知り合いの高校生に亡き父への思いを語らせる原田賢幸の作品も同様の「ひりひり」を感じた。社会に介入する際の作家の手つき、その妙(デリカシー)が気になった。
2010/12/23(木)(木村覚)


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