artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

大﨑のぶゆき展─dimention wall─

会期:2010/11/29~2010/12/18

ギャラリーほそかわ[大阪府]

近年の大﨑の作品といえば、水溶性の紙に描いた絵を水面に浸し、イメージが崩壊する瞬間をスローモーションで撮影した映像作品が思い浮かぶ。しかし本展では、今までとは異なるタイプの映像作品が展示された。その作品とは、壁一面に投影された壁紙の模様からインクが滲み出て、模様が徐々に塗り潰されていくというものだ。本人が在廊していたので説明を受けたところ、「ゲシュタルト崩壊」という単語がしばしば発せられた。これは、例えば漢字を凝視し続けた時に陥る、意味と形態が分離したような感覚を指す単語だ。つまり大﨑の新作は、人間の空間認識を撹乱する効果を狙ったものと言えるだろう。私自身は本作でそこまでの感覚は得られなかったが、視界全体を覆うような映像ならゲシュタルト崩壊が味わえるのかもしれない。新シリーズは始まったばかりなので、今後のブラッシュアップに期待したい。

2010/11/29(月)(小吹隆文)

日比野克彦 個展「ひとはなぜ絵を描くのか」

会期:2010/10/30~2010/12/13

3331 Arts Chiyoda[東京都]

日比野克彦こそ、じつは純粋芸術を限界芸術の地平に解き放とうとしているのではないか。東京では約8年ぶりという本展を見て、真っ先に思い至ったのはこの点である。というのも、80年代のデビュー当時のダンボール絵画から近年盛んに取り組んでいる世界の辺境で描くスケッチの数々までを見てみると、そこにあるのは専門的で高度な技術というより、非専門的で日常的な手わざだからだ。日比野が用いているクレヨンやパステル、水彩絵具、ダンボール、刺繍の糸などは、文字どおり誰もが子どもの頃に親しんだことのある画材であり、ダンボールを組み合わせて厚みをもたせたマチエールは、絵画というより、むしろ工作といった方がふさわしい。たしかに、イラストレーションにおける「ヘタウマ」に相当するような稚拙さが、日比野を絵画の歴史に位置づけることを困難にしてきたことは否定できない。けれども、従来の「現代美術」に代わって「現代アート」という言葉とともに台頭した80年代のニューウェイブが、それまで積み上げられてきた戦後美術の歴史を切断したパラダイム・チェンジだったとすれば、その嚆矢とされる日比野は限界芸術によって純粋芸術の歴史を切り離したと考えることができないだろうか。言い換えれば、限界芸術によって純粋芸術を内側から撹乱することで、それまで離れていた双方の境界線を接近させ、溶け合わそうとしたのではないだろうか。現在のアートシーンで活躍するアーティストたちによる作品に、非専門性、作者と鑑賞者の交換可能性、純粋芸術にも大衆芸術にもなりうる両生類的な原始性といった限界芸術の要素が顕著に見出せるとすれば、それはもしかしたら日比野克彦が切り開いた系譜に由来しているのかもしれない。

2010/11/29(月)(福住廉)

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築山有城「DYNAMO」

会期:2010/11/19~2010/11/30

ギャラリー301[兵庫県]

築山有城の新作展。壁面全面に稲妻をモチーフに描いた巨大な作品が展示されていた。昨年自宅から見たという閃光の強烈な印象をもとに制作されたもので、画面が鉛筆のみで黒く塗りつぶされた力強いシンプルな作品。その制作の発端となった小さなドローイングも入口近くに展示されていた。日が暮れてあたりが暗くなると、壁面の反対側の窓ガラスに反射した画面の稲妻が映りこむ。これは作家の意図にはなかったことなのだそうだが、通りを隔てた向かいのビルのオフィスの様子や、そこで働く人々の姿もすぐそこに見えるというガラス窓に浮かぶ鏡面の像がまた美しい。数カ月を費やし、闇に突如現われる圧倒的な閃光を表現しようとただ黙々と鉛筆を握り動かす作家の意欲と消耗と、その愚直な態度をくっきりと映し出していると感じる光景だった。

2010/11/29(月)(酒井千穂)

SHINCHIKA SHINKAICHI

会期:2010/11/15~2010/12/05

神戸アートビレッジセンター[兵庫県]

SHINCHIKAとは、2002年に結成された5人組のアーティスト・ユニット。映像、アニメ、音楽、立体、インスタレーションなどが渾然一体となっており、エンタテインメント性に富んだ作風で注目を集めている。ちなみに本展のタイトルは、彼らのユニット名と、会場の地名「新開地」の語呂合わせである。今回は、彼らの代表作を本展用にアレンジしたスペシャル・バージョンと、メンバー個々の作品が出品された。作品を見て驚いたのは、クオリティの高さと、ジャンルをシームレスに扱う柔軟な感性だ。アナログ世代の自分とは明らかに違うセンスを前に、羨ましいやら茫然とするやら……。1990年代後半にキュピキュピに出会った時の驚きを思い出した。関西出身ながら関西での活動がなかった彼らだが、今後は是非地元での活動を増やしてほしい。

2010/11/27(土)(小吹隆文)

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森田麻祐子「パプリカのCAN」

会期:2010/11/22~2010/11/27

Oギャラリーeyes[大阪府]

森田麻祐子の新作展。数年前に旅先のハンガリーで買ってきたものの、未開封のまま現在も自宅の棚で置物のようにあるというパプリカの缶をタイトルに、旅の思い出からイメージを広げた作品が展開していた。展示されたドローイングやペインティングは、それぞれが独立したタイトルをもつものの、色やモチーフの形など、どの作品にも画面のどこかに他の作品と連関する記号的な要素がある。 緑の中に赤い三角屋根の家々が並ぶハンガリーの風景の印象をもとに描かれた《樹のある家》や、画中の女の子が缶を開けようとする動作の映像が投影される作品など、具体的なイメージをもつものがほとんどなのだが、 画面に描かれた図形やパターン、配置など、それらは反復する要素が鍵となったパズルのようで、さまざまな物語の連想を導いていく。 空間全体がひとつのインスタレーション作品として成立するのも面白い魅力的な個展だった。

2010/11/27(土)(酒井千穂)