artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
冨倉崇嗣 展

会期:2010/07/19~2010/07/31
O gallery eyes[大阪府]
冨倉崇嗣の新作展。断片的な記憶のイメージを巡って表現されるその世界には、物質の存在や風景が混じり合い、時間を追って意識と無意識の境界が交錯していくような印象を受ける。本展では、目に見えない透明なもの、感情や自然現象など、表現をさらに追究した作家の試みがうかがえた。百合の花や天使のような人物が描かれた《それぞれの教え》は油彩画だったが、色彩の重なりに透けるようなモチーフの浮遊感があり、画面に空間的な奥行きが生まれていた。不可視の存在がふわりとたち現われるような時間性も感じさせる。発表ごとに表現方法の研究や「見る」ことを丁寧に観察する作家の眼差しがうかがえて次も楽しみだ。
2010/07/25(日)(酒井千穂)
高嶺格「~いい家、よい体~」展
会期:2010/04/29~2011/03/21
金沢21世紀美術館[石川県]
正確にいえば、高嶺格の本展示は現時点でレビューすることはできない。なぜならこの展示は金沢21世紀美術館の長期インスタレーションルームにおいて、二つの展示を行なうものであり、筆者が7月末の時点で見ることができたのは前半の「よい体」のみだからである。後半の「いい家」は8月末からはじまる予定だというが、前半にだけでも触れておこう。前半の展示は、ある古い民家を解体して運ばれてきた引き戸や欄間などが壁などに配置され、また中央に設置された民家の一部の床には映像が投影されたものであった。映像は、ガラスの上を動く何人かの人々を、その下から撮ったようなものであり、床下に床上で動く人々の痕跡が残像のように浮かび上がるような仕掛けである。音声は金沢弁での問いかけに英語が答え、英語の問いかけに金沢弁で答える(答えはすべて「あんやと」「Thank you」)ものであり、さらにしばらくいると轟音が鳴り、全体がまるでリセットされたかのようになった後、再び映像と音声が始まる。民家に残る記憶の痕跡と遠い時空(他者)との対話とでもいったらよいのだろうか。轟音は、雨の多い金沢にいると時々信じられないような豪雨が降ることもあるので、感覚的に金沢の民家における時空間を引き寄せていると感じられた。ただし前半のこの展示だけでは、高嶺氏の展示意図は、まだよく分からなかった部分もある。おそらく土嚢や廃材を用いて家を構築するという後半の展示によって、その意図が明らかになってくるのではないだろうか。
展覧会URL:http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=45&d=855
2010/07/24(土)(松田達)
「ヤン・ファーブル×舟越桂」展

会期:2010/04/29~2010/08/31
金沢21世紀美術館[石川県]
ヤン・ファーブルと船越桂という、ベルギーと日本の現代美術家の二人展。接点がなかったはずの二人に、必然的ともいえる接点を見出していこうとする展示は、見ていて緊張感があった。東西の二人が対話するだけでなく、ファーブルの作品にはフランドルの絵画が、船越の作品には明治期の仏教絵画が対置され、また挟まれることで、それぞれが古典とも対話するという、キュレーションの構造が見えてくる。実際、扱っているテーマはふたりとも似ている。ファーブルは自分の血や昆虫、剥製など、生命にまつわる素材を用いた作品によって、船越は楠を用いた異形の人間像の彫刻から両性具有のスフィンクスにまで至る作品によって、生と死というテーマが深く探求されている。二人とそこに対置された古典というそれぞれに接点があるのかどうか、それが問題ではなく、現にこのようにして接点が設けられ、ベルギーと日本、古典と現在という関係を超えていくような思考を可能にする、興味深い展覧会だった。ところで、ヤン・ファーブルは『ファーブル昆虫記』で知られるジャン・アンリ・ファーブルの曾孫だと聞いて、妙に納得した。生命に対する並々ならぬ関心とともに、作曲家であり詩人であったというジャン・アンリ・ファーブルと、現代美術家でありながら演出家、振付家でもあるというヤン・ファーブルの間にも、時空を超えた関係性を感じてしまう。とはいえ、このような有り得そうな関係性を飛び越えた、今回の二人の組み合わせによる展覧会は、キュレーションの自由度と可能性といったものを感じさせた。
展覧会URL:http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=19&d=853
2010/07/24(土)(松田達)
トロマラマ

会期:2010/07/24~2010/11/07
森美術館 ギャラリー1[東京都]
トロマラマはインドネシア在住の3人組で、大量のボタンやビーズなどでコマ撮りアニメーションを制作するユニット。とりわけ抜群だったのが、木版画の版木をもとにミュージック・ビデオに仕立て上げたアニメーション作品。(音楽も含めて)その映像が「クール」だとは到底言えないが、しかしローテクならではの奇妙な映像体験をもたらしているのはまちがいない。アップテンポのロックに合わせて次々と変化していく画面は、たしかに高速の時間を体感させるが、それらが版画とコマ撮りというそれぞれ長大な時間を費やして制作されたという背景を知ると、圧縮された時間のなかから部分的に解凍された時間が果てしなく漏れ出てくるかのように錯覚して、時間を二重に経験することができる。デヴィッド・ハーヴェイはポストモダン社会の条件として「時間と空間の圧縮」を挙げていたが、トロマラマはこうした時間の多重性こそポストモダン社会の同時代的なリアリティーであることを端的に示している。これは、同時期に隣接する会場で催されている「ネイチャー・センス」という恐ろしく大味で、無常というより、ただ空疎な展覧会などよりも、よっぽど時間と空間に根ざした現在の自然観を的確にとらえていた。
2010/07/23(金)(福住廉)
三宅砂織 展

会期:2010/07/09~2010/08/06
FUKUGAN GALLERY[大阪府]
フォトグラム技法で浮遊感漂う世界を描き出す三宅砂織。今年はVOCA賞を受賞し、その注目度は今や全国区だ。絵画とも写真ともつかない独特の画面は何度見ても不思議。少女たちが戯れる絵柄も手伝って、甘美な夢想空間へとわれわれを誘ってくれる。本展ではそれら作品だけでなく、制作に使用したフィルムなどのパーツを一部展示していたので驚いた。彼女の個展を何度か見たが、このような展示は初めて。次なる展開の兆しと言ったら大げさかもしれないが、三宅は何か新しいことを考えているのかもしれない。
2010/07/23(金)(小吹隆文)


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