artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

Summer Open 2010 BankART AIR Program

会期:2010/07/30~2010/08/05

BankART Studio NYK[神奈川県]

前回の「Spring Open」がなかなか面白かったので、横浜のBankART Studio NYKのアーティスト・イン・レジデンスの作家たちのオープン・スタジオにまた出かけてきた。6~7月にBankARTに滞在、あるいは通って作品を制作していたアーティスト、45組の成果発表の催しである。学園祭的な乗りの作品もないわけではないが、相当にレベルの高い展示もあって、逆にその落差が普通の展覧会にはない活気を生み出している。
写真を使った作品ということでいえば、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科の鈴木理策研究室による「私にも隠すものなど何もない」展に出品されていた、金川晋吾の「father」が気になった。「蒸発をくり返している」父親をモデルにする連作のひとつ。今回は家で何をすることもなく暮らしている父親にコンパクトカメラを渡し、セルフポートレートを撮影させている。生そのものに不可避的にまつわりつく澱のようのものが、じわじわと滲み出てきている彼の顔つきがかなり怖い。有坂亜由夢「風景家」も日常の恐怖をテーマとする映像作品。部屋の中の物が生きもののように少しずつ移動しつつ、その配置を変えていく様子をコマ撮りの画像で淡々と見せる。カフカが描き出す日常と悪夢との境界の世界の感触を思い出した。
別なのブースで展示されていた藤村豪、内野清香、市川秀之のコラボ作品「迷いの森」は夢を物語化して再演する試み。フランスパンを持った男女の儀式のような写真(「誰かの夢」を演じたもの)を見せて、その夢がどんなものだったかを想像して「誰かが見た夢の話」の物語を書いてもらうというプロジェクトだ。まだ、あらかじめ設定された枠組みを超えて、物語が野方図に拡大していくような面白さにまでは達していないが、写真、テキスト、パフォーマンスを組み合わせていく手法はかなり洗練されている。今後の展開の可能性を感じさせる作品だった。

2010/08/01(日)(飯沢耕太郎)

マン・レイ展 知られざる創作の秘密

会期:2010/07/14~2010/09/13

国立新美術館[東京都]

マン・レイの大々的な回顧展。活動の拠点だったニューヨークやパリ、ロサンゼルス、そして再びパリというように、時系列に沿った構成で、幼少時に描いた絵から、いわずと知れた実験的な写真の数々、そして老年まで嗜んでいた絵まで、約400点あまりの作品が一挙に公開された。解説によると、本人は写真家としてではなく、あくまでも画家として評価されることを望んでいたようだが、本展の展観を見るかぎり、残念ながらそのような評価には同意できない。魅力的だったのはやはり写真や映像であり、絵画はとてつもなく凡庸で、見るべきものは皆無だったからだ。そして見逃してはならないのが、本展の後半で発表されているジュリエットへのインタビュー映像。パートナーによる貴重な証言とアトリエの内観を目撃できるだけでなく、奇天烈なサングラスやメガネを次々とかけかえながらカメラの前でおしゃべりに興じるジュリエットのキャラクターがおもしろい。

2010/08/01(日)(福住廉)

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綿谷修「Juvenile」

会期:2010/07/23~2010/08/25

RAT HOLE GALLERY[東京都]

綿谷修の前作の写真集『CHILDHOOD』(RAT HOLE GALLERY, 2010)は、「Amsterdam」「Hokkaido Hometown」「Boy at 12」「Capability」の4部構成で、写真家としての軌跡を辿り直そうとする意欲作だった。そのなかから、くっきりとひとつの水脈が浮かび上がってきたように思える。「Juvenile」、すなわち「幼いもの」「年少のもの」に対する写真家の偏愛である。その水脈は、今回のRAT HOLE GALLERYでの個展と、同名の写真集の発行によって、より強い流れとして見えてきたのではないだろうか。
「Juvenile」はいうまでもなく「失われたもの」の代名詞だ。それがひりつくような憧憬や、どうにも回復しようがない悔恨や追憶と結びつくことが多いのは、例えばラリー・クラークの「Teenage Lust」や「The Perfect Childhood」のシリーズを見れば明らかだろう。ところが、綿谷修の今回の展示からは、そのようなどちらかといえばネガティブな感情の傾きはほとんど感じられない。ウクライナで撮影されたという、水辺で屈託なく遊ぶ少年や少女たちに向けられた綿谷の視線は、大人が保護者としてふるまうようなものでは決してなく、むしろ同年齢、あるいはやや年下の弟のそれであるように見えるのだ。何の衒いもなく、慣れ親しんだ存在に対して向けられた、親密さとうざったさが混じり合った眼差し。逆に言えば、ここまで同じ目の高さに執着し続けることに、綿谷の覚悟を見ることができるともいえるだろう。あえて写真家としての成熟を拒否することによって、「Juvenile」の時期以外にはあらわれてこない、どこか痛みをともなった輝きが、写真にきちんと写り込んできている。

2010/07/31(土)(飯沢耕太郎)

3331 Arts Chiyoda

3331 Arts Chiyoda[東京都]

秋葉原と湯島のちょうど中間辺りにあり、2005年に廃校となった旧練成中学校を改修したアートセンター。改修は佐藤慎也、メジロスタジオ他。2010年6月にグランドオープンし、3月のプレオープン時以降、様々な展覧会やイベントが行なわれている。1階にはギャラリーやカフェ、ラウンジ、地階から3階までの部屋には、多くのアーティストやクリエイターが拠点を構え、それとは別にシェアオフィスも完備している。廃校の活用事例自体はすでに多くあり、雰囲気的には例えば旧世田谷区立池尻中学校を改修したIID(世田谷ものづくり学校)などに似ていると感じたが、3331 Arts Chiyodaの特徴は、第一にアートセンターであるという点であろう。福住廉はその二つの画期的な特徴として、イベントや展示の多彩さと、(BankART1929と比較して)ホワイトキューブを施工した点を挙げている。特に後者は近年の美術館の動きに引きずられておらず、アートスペースとしての今後の存在感を獲得する可能性が指摘されている。一方、筆者は隣の練成公園との一体再生の手法に興味を惹かれた。公園と学校を幅24mの広いウッドデッキでつなぎ、広い芝生を持つ公園からアクセスが可能となっている。芝生では、多くの人々がくつろいでおり、秋葉原に程近い場所に急に現われたオアシスのように感じた。たまたま訪れたのが週末であったからか、東京で公園がこれだけ有効に使われている例は見たことがない。それほど大きくない公園であり、くつろいでいる人の密度が相当高かったことが、これまでにない印象を生み出していたのかもしれない。例えば、代々木公園や新宿御苑における人々の公園の使い方とは、まったく別の使い方である。これだけの密度で人々がくつろいでいる様子は、実は筆者はパリでの人々の公園の使い方ととてもよく似ていると感じた。その密度が生む親密感は、独特のものがあり、東京でこのような場所が生まれていたことに驚きを感じた。それほど広くないけれども豊かな芝生をもつ公園と、廃校をリノベーションしたアートセンターという、不思議にマッチした組み合わせが興味深い。

2010/07/31(土)(松田達)

~展

会期:2010/07/30~2010/08/05

BankARTスタジオNYK[神奈川県]

多摩美芸術学科が企画し、絵画学科や情報デザイン学科の学生が出品する展覧会。担当教官の海老塚耕一と上田雄三は男だが、キュレーター(3人)もアーティスト(25人)も大半が女の子。さらに韓国からの留学生が5人も入ってる。タイトルの~は「なみ」と読み、現代人のコミュニケーションの揺らぎや人々の心の波を表わすらしい。ま、個々の作品もキュレーションの切れ味も「並」だな。

2010/07/31(土)(村田真)