artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
高木こずえ『MID』/『GROUND』

発行所:赤々舎
発行日:2009年11月1日
高木こずえは一作ごとに脱皮し、作品のスタイルを変えつつある。1985年生まれ、25歳の彼女のような年頃では、まだ自分が何者かを見定めるのは無理だしその必要もないだろう。だが、赤々舎から2冊同時に刊行されたデビュー写真集『MID』と『GROUND』を見ると、この若い写真家の潜在能力の高さにびっくりしてしまう。特に『MID』の方は、東京工芸大学在学中にほぼ形ができていたポートフォリオを元にした写真集なので、彼女の作品世界の母胎がどんなものなのかが、鮮やかに浮かび上がってきているように思える。
とはいえ異様にテンションの高いイメージ群が、闇の中に明滅するようにあらわれては消えていくこの写真集を、きちんと意味付けていくのはそう簡単なことではない。というより、高木本人もなぜそれらに強く引き寄せられていくのか、はっきりと理解しているわけではないだろう。ただいえることは、牛、猫、鳥、犬、山羊などどこか神話的な動物たち、エメラルドのような瞳でこちらを見つめる「ロックスター」、闇を漂う赤ん坊といった断片的なイメージ群が、何かを結びつけ、媒介する「中間的」な役割を果たしているように見えることだ。それがそのものであることだけに自足するのではなく、別の何者かへと生成・変容するその過程でフリーズドライされてしまったようなイメージ群──それがおそらくタイトルの『MID』に込められている意味なのだろう。
その生成・変容のプロセスをより加速させ、齣落としのようにめまぐるしく変化していく画像を、今度は一瞬のうちに白熱するミクロコスモスとして凝固させたのが『GROUND』の作品群だ。写真集は2009年2月~3月のTARO NASU GALLERYでの個展のレプリカ的な造りなので、この作品が本来持つスケール感を完全に伝え切ってはいない。だがこれはこれで、高木こずえの創作エネルギーの高まりと集中力を証明してはいる。
2009/12/10(木)(飯沢耕太郎)
アートの課題

会期:2009/11/21~2010/01/17
トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]
段ボール箱が散乱している。なかをのぞくと、箱の奥にスクリーンのように映像が映し出され、その前の箱にプロジェクターが隠されている。しかも手の込んだことに、箱には出入口みたいな造作がしてあってちゃんと劇場っぽくなっているのだ。段ボール劇場。そこで流される映像も、ニューヨークあたりの路上の水たまりに小さな舟を浮かべて風で走らせるという、いかにも段ボール劇場にふさわしいプログラム。これはすばらしい。たまにこういうヒット作に出会えるからTWSはあなどれない。作者は照屋勇賢。あとふたり作品が出てたけど霞んでしまった。
2009/12/08(火)(村田真)
M-ポリフォニー09

会期:2009/12/07~2009/12/12
東京造形大学大学院棟1階ギャラリー[東京都]
大学院2年の4人展。タイトルの「M」は担当教授の母袋俊也のイニシアルかと思ったら、ドイツ語の「Malerei(絵画)」のMだった。薄く解いた絵具でサラッとファッションやぬいぐるみなどを描いたり、ブランドもんの紙袋でインスタレーションした佐藤翠、タダモノではないな。勝手にM賞だ。
2009/12/07(月)(村田真)
河口龍夫 展 言葉・時間・生命

会期:2009/10/14~2009/12/13
東京国立近代美術館[東京都]
「グループ位」で知られる河口龍夫の回顧展。言葉や物質、時間、生命といったテーマに沿って150点ほどの作品が発表された。鉄の箱に閉じ込められ、発光を決して確認することができない電球や、広辞苑に記載されている言葉をその意味内容に対応した物に添付する《意味の桎梏》(1970)など、おもしろいものもなくはない。けれども、全体的に一貫しているのは、観念過剰な傾向と物としての作品に美しさを欠落させていること。物理学的な関心と作品の形式が一致していないといってもいい。あるいはその違和感が作家のねらいなのかもしれないが、鑑賞者の立場からすれば、たとえば同じ関西出身の野村仁が双方を有機的に統一しているのと比べると、この不一致が気になって仕方がない。電流を熱や光に変換するインスタレーション《関係─エネルギー》(1972)は、広い床面にガジェットを点在させた作品だが、空間の容量にたいして作品のボリュームが足りないため、なんとも侘しい印象を与えてしまっているし、そもそも電流を熱や光に変換するという発想じたいが貧弱である。現実世界の因果関係はもっと錯綜しているし、明確な因果関係を特定できないほど、偶然的であり流動的でもある。放射能を通さない鉛で植物の種子を封印したシリーズにしても、鉛の冷たさが伝わるばかりで、そこに閉じ込められる種子には何の可能性も感じられない。寒々しい未来しか待ち受けていないのではないかと絶望的な気分になってしまう。もちろん明るい未来など思い描くことはもはやできないのは事実だとしても、もう少し温もりのある未来を見てみたいものだ。そのためであれば、だれだって多少の放射能を浴びることも厭わないのではないだろうか。
2009/12/06(日)(福住廉)
ローマ未来の原風景 by HASHI

会期:2009/09/19~2010/12/13
国立西洋美術館(新館2階版画素描展示室)[東京都]
12月5日、国立西洋美術館の講堂でHASHIこと橋村奉臣と「出たとこ勝負」のトークをした。トーク自体はかなり盛り上がったのだが、その前に、もう一度同館で開催中の「ローマ未来の原風景 by HASHI」をじっくり眺めてきた。
最初はその技巧的な操作が目立つ作品にまったく馴染めなかった。ニューヨークに拠点を置いて活動してきた彼の代名詞というべき、10万分の1秒の高速ストロボで被写体を定着した「Action Still Life」のシリーズを封印し、「HASHIGRAPHY」と称する暗室作業によって、ローマで撮影された遺跡の風景や街頭スナップを、筆のストロークの跡が目立つ絵画的な画像に変容させている。「21世紀の光景を千年後の未来に発見する」というコンセプトはわからないでもないが、それを強引に実現しようとすることで、せっかくの写真家としての被写体の把握力や高度な画面構成力を活かしきっていないように感じた。
だが暗闇のなか、一点一点の画面にスポットライトの光を絞り込んで当てるという工夫を凝らした展示室で時を過ごすうちに、これはこれでやりたいことを自由にやっていきたいというHASHIの欲求の高まりを形にしたものなのではないかと思いはじめた。厳しい制約のある広告写真の世界で生きてきた彼にとって、「HASHIGRAPHY」での子どもの泥遊びのようなのびやかな表現が、次のステップに進むのに必要だったということではないだろうか。おそらく「Action Still Life」と「HASHIGRAPHY」のちょうど間のあたりに、これからの彼の仕事の可能性が潜んでいるような気がする。なお、美術出版社から同展のカタログを兼ねた写真集『HASHIGRAPHY Rome: Future Déj Vu 《ローマ未来の原風景》』が刊行されている。
2009/12/04(金)(飯沢耕太郎)


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