artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
内藤礼「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」

会期:2009/11/14~2009/01/24
神奈川県立近代美術館鎌倉[神奈川県]
BankARTスクールの元生徒たち6人と、いざ鎌倉へ。新館(といっても1966年の竣工なので老朽化している)が閉鎖中なので、本館と下のピロティでの展示。本館の作品は、豆電球を10個ほど花丸形につなげたものが18輪、陳列ケースに置かれている。かたわらにはガラス瓶や風船やたたんだ布も。展示室の照明は消され、明かりは豆電球のみ。陳列ケースには入ることもできる。つまり展示室全体をひとつの異様なインスタレーションにしてしまったというわけ。この美術館をこんなふうに使った作品は初めて見た。繊細にして強度のある世界を構築できる内藤ならではの展示。
2009/11/28(土)(村田真)
東松照明「色相と肌触り 長崎」

会期:2009/10/03~2009/11/29
長崎県美術館[長崎県]
東松照明の展覧会を会期ぎりぎりで見ることができた。わざわざ自費で長崎まで出かけた甲斐があったというもの。なんとも凄みのある展示に衝撃を受けた。
総点数310点。まず会場を埋め尽くす作品数に圧倒される。展示のスタイルは、このところ東松がずっと試みている、撮影年代、テーマごとのまとまりを無視して、全作品をシャッフルして撒き散らす「マンダラ」形式だが、それがこれまでで一番うまくいっているのではないだろうか。1960年代以来撮り続けている長崎原爆の被災者たちのポートレート、そして長崎国際文化会館(現長崎原爆資料館)に保存されている、熱でドロドロに溶けたビール瓶や原爆投下の「11時02分」を示したまま止まっている時計などの遺品・資料の写真などが、長崎の「町歩き」のスナップと混じり合って展示されている。そのことによって、写真に写し出されている時空間に奥行きと歪みが生じ、見る者を引き裂き、連れ回し、ひっさらってしまうようなパワーが生じてくる。さらにチャーミングだがやや不気味でもある、半導体などの電子部品で作られた虫のようなオブジェ(「キャラクターP」)がその間を動きまわり、一つの方向に流れていこうとする観客の意識を攪乱する。それらのバラバラな写真群を、それでも強力に結びあわせているものこそ、東松のたぐいまれな眼力、画像の構築力だろう。まったく衰えを見せないスナップショットの切れ味は、驚嘆に値する。
東松が完全にデジタル・プリントに移行したのは2000年代以降だが、ここでも旺盛な実験意欲を発揮している。ハレーションを起こすような緑と赤の発色にはかなりの違和感があるが、それは当然ながら確信犯的に色味を変化させているのだろう。そのことによって、長崎という街が長い時間を駆けて醸成してきた、エキゾチックで混乱した「色相」の構造がくっきりと浮かび上がってくる。さらに衝撃的なのは、「熱線跡を示す孟宗竹」や「被爆した山モミジ」を撮影した画像をデジタル処理して、現在の風景と合成する操作までおこなっているということだ。「ドキュメンタリー写真家」の枠組みを踏み越えようとするようなこれらの作品も、東松が今なお現在進行形の写真の創造者としての意識を保ち続けていることを示している。
2009/11/28(土)(飯沢耕太郎)
医学と芸術 展:生命と愛の未来を探る

会期:2009/11/28~2010/02/28
森美術館[東京都]
文字どおり医学と芸術をキーワードにした展覧会。ダ・ヴィンチの素描から人体解剖図まで、河鍋暁斎からデミアン・ハーストまで、手術器具から義足・義眼まで、古今東西の芸術作品と医学資料200点あまりを一挙に並べた展示がじつにスリリングでおもしろい。たとえばアルヴィン・ザフラの《どこからでもない議論》(2000)は、人間の頭蓋骨をサンドペーパーの上で幾度も研磨して仕上げた平面作品。骨の粒子で構成されたミニマルな絵画の美しさは、人間の死を即物的にとらえる厳しさに由来している。ヤン・ファーブルの《私は自分の脳を運転するII》(2008)は、題名どおり男が自分の脳を運転する様子を描いた小さな立体作品だが、見ようによっては逆に脳にひきづられているようにも見える。すべての原因を脳に帰結させる唯脳論が世界を席巻している現状を皮肉を込めて笑い飛ばしているかのようだ。渾然一体とした会場を歩いて思い至るのは、これほどまでに生と死の謎を解明しようと努力してきた人類の知的な営みだ。「死」をできるだけ遠ざけることによって「生」を可能なかぎり持続させること。これこそ今も昔も人類にとっての普遍的な問いである。けれども本展に唯一欠落している点があるとすれば、それはそうした知的な営みが歴史的に繰り広げられてきたのは疑いないとしても、それと同時に、人間は人間の生殺与奪を繰り返してきたということもまた揺るぎない事実だということだ。生と死の謎を根底的に解明するのであれば、この暗いアプローチを無視するわけにはいかない。そこで本展を見終わったあとに、駿河台の明治大学博物館に出掛けることをおすすめしたい。そこには数々の拷問器具が立ち並んでおり、苦しみを与えながら生を奪い取ってきた人間の業の深さを体感できるからだ。
2009/11/27(金)(福住廉)
SYNCHRO-THEISM(シンクロ・ティズム):スピロデザイン(宇野裕美/河合晋平/常見可奈子)

会期:2009/11/25~2009/12/06
海岸通ギャラリーCASO[京都府]
宇野、河合、常見はこれまで、動植物、細胞、微生物など、自然世界からインスパイアされた有機的なイメージのオブジェをそれぞれに発表してきた。互いの作品にシンクロニシティを感じて共同制作を試みたという今展は谷本研のコーディネートによる展覧会。タイトルの「SYNCHRO-THEISM」は、一神論とも多神論とも異なる新たな自然観を表わした造語で、“同期神論”という意味らしい。2つのインスタレーションがあったが《SYNCHRO-THEISM-X》は、まるで一人の作家の作品かと思うほど。宇野のファイバーアート、生きものに見立てた河合のオブジェ、常見の工芸的な要素が見事にひとつになって、奇妙な生物世界(イメージ)を創出していて、強烈な個性の集合でもこれだけ違和感のない作品ができるものなのかと感心してしまった。
2009/11/27(金)(酒井千穂)
孫遜 Sun Xun展

会期:2009/11/27~2009/12/09
ZAIMギャラリー[神奈川県]
横浜市・北京市アーティスト・イン・レジデンス交流事業で来日し、ヨコハマ国際映像祭にも参加した孫遜の個展。本のページに墨でドローイングを描き、それをつなげてアニメにしている。なにか政治的メッセージがこめられているのだろうか、人物は透明人間のように頭と手がなく(服だけ)、中国の地図が変形しつつ登場する。意味はわからなくてもなにか伝わってくる作品。
2009/11/27(金)(村田真)


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