artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
ファッションとアート 麗しき東西交流
会期:2017/04/15~2017/06/25
横浜美術館[神奈川県]
なぜ横浜美術館で「ファッション」なんだろうと頭に「?」を掲げつつ、会場を一巡して「ああそうか」と納得。ファッションとは洋装のことで、幕末に開港した横浜が西洋文化の窓口として「洋服」を採り入れていったからなのだ。といってもみんなすぐに洋服に着替えるわけでもなく、揺り戻しや和洋折衷があったりして、定着するには長い年月が必要だった。だからサブタイトルに「東西交流」の文字が入っているのだ。でもそれをいえば「食とアート」でも「住とアート」でもよかったはずだが、まあ展覧会として見栄えがするのはなんといってもファッションだからね。そんなわけで、展示は幕末の横浜浮世絵から明治初期の日本製洋服(早くも輸出用!)、洋装の肖像画、鏑木清方の美人画、アクセサリーや陶芸、調度品、そして東西交流のツボともいえるファッションに現われたジャポニスムまで、広範囲にわたっている。キモノの型や柄を採り入れたジャポニスムファッションなどは、いま流行してもおかしくないほどハマってる。ハマだからね。
2017/04/14(金)(村田真)
横浜美術館コレクション展 自然を映す
会期:2017/03/25~2017/06/25
横浜美術館[神奈川県]
ファッションを堪能したあとで、こんどは自然。このギャップが快い。セザンヌの風景画あたりから始まるが、次に来る日本の近代絵画がすべからく西洋の猿真似に見えてしまうのが悲しいところ。と思ったら、チラシにも使われている丸山晩霞や大下藤次郎の清新な水彩画に救われた。日本人はやはり油より水に親和性があるのだろうか、と短絡してみるのも一興かと。
2017/04/14(金)(村田真)
ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝─ボスを超えて─
会期:2017/04/18~2017/07/02
東京都美術館[東京都]
ブリューゲルの《バベルの塔》が来る。もちろん1点だけではなく、ロッテルダムのボイマンス美術館から16世紀を中心とするネーデルラントの絵画、彫刻、版画89点が来るのだが、こういうタイトルだとそれ以外の作品が前座みたいでちょっと哀しい。最初は彩色木彫の聖人たちが並んでいて面食らう。その後、ディーリク・バウツやヘラルト・ダーフィットらの生硬な宗教画が続き、やや眠くなってくるが、ヨアヒム・パティニールの不穏な空気を漂わせる風景画で目が覚め、ボスの謎解きみたいな《放浪者(行商人)》と《聖クリストフォロス》の2点で立ち止まり、版画はサーッと横目で見ながら通りすぎて、ようやく真打ちの《バベルの塔》にたどりつく仕掛け。絵を拡大したディスプレイの向こうに鎮座するホンモノを見て、だれもが思うのは「こんなに小さいの!?」。縦60センチ、横75センチだから20号程度なので、実際はそんなにちっちゃいわけではないけど、なにせ壮大な建造物をこと細かに描き込んであるものだから、つい大作をイメージしてしまうのだ。拡大写真もあるけど、せっかくホンモノが来ているんだから、ここはやはり単眼鏡を持参してじっくり堪能したい。
2017/04/14(金)(村田真)
花代「hanayoⅢ」
会期:2017/04/08~2017/05/13
タカ・イシイ・ギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
昨年、ベルリンで生まれた娘の点子をテーマに沢渡朔と共作した写真集(『点子』Case Publishing)を刊行し、写真展(ギャラリー小柳)を開催したことで、花代の写真家、アーティストとしての活動にはひとつの区切りがついたようだ。今回のタカ・イシイ・ギャラリー フォトグラフィー/フィルムでの3回目の個展は、原点に回帰するとともに、新たな方向に踏み出していこうという強い意欲を感じさせるものになった。
長年愛用しているハーフサイズのオリンパスペンで撮影された写真群は、何が写っているかということにはほとんど無頓着に、色彩とテクスチャーの戯れにのみ神経を集中しているように見える。その眩惑的なイメージは、まさに何かが生まれ落ちようとしている未分化のカオスそのものだ。さらに今回は静止画像だけでなく、8ミリフィルムによる映像作品も出品している。生まれたばかりの赤ん坊、ウーパールーパー、唇や指、水面の反射などを写したループ状のフィルムには、引っ掻き傷やドローイングが加えられ、映写機がキシキシ、カタカタとノイズを発しながら壁に映像を投影していた。写真、映像を一体化したインスタレーションは、まだとりとめのないつぶやきの反復の段階だが、むろん目指すべきなのは成長や完成ではなく、この子宮内の胎児の段階に永遠に留まり続けることなのではないだろうか。
ギャラリーに置かれていたプレス用のペーパーには、展覧会の協力者として畠山直哉と手塚眞の名前が挙がっていた。かなり異質なこの2人を取り込んでしまうところに「花代ワールド」の広がり具合を見ることができそうだ。
2017/04/13(木)(飯沢耕太郎)
露口啓二『自然史』
発行所:赤々舎
発行日:2017/03/01
これまでは、自身が住んでいる北海道の風景を中心に撮影してきた露口啓二だが、今回赤々舎から刊行された写真集『自然史』では、その撮影範囲が大きく広がってきている。北海道の沙流川と漁川の流域、空知地方の炭坑跡だけではなく、東日本大震災の被災地(岩手県、宮城県、福島県)、福島原子力発電所事故による帰還困難区域、同区域の境界線の周辺、その外側の居住制限区域と避難指示解除準備区域、さらに露口の生まれ故郷である徳島に近い吉野川流域にまで視線を伸ばしているのだ。
このシリーズもまた、先に紹介した大塚勉と同様に、東日本大震災を契機として、変質していく風景のあり方を、写真を通じて探究・定着しようとする取り組みといえる。だが、露口のアプローチは、あくまでも個人的、偶発的な写真撮影の行為を基点とする大塚と比較すると、『自然史』というタイトルにふさわしく、より客観的、包括的であり、厳密な方法論に裏打ちされたものだ。注目すべきなのは、緻密に組み上げられたカラー写真の画面のそこここで繰り広げられている、自然と人工物の争闘のすがたである。漁川の「本流シチラッセ」の河岸に散らばっている食器類や酒瓶、夕張市近辺の炭鉱地帯の廃屋、福島の帰還困難区域に凶暴なほどの勢いで生い茂っていく植物群など、露口の写真のあちこちに、複雑に絡み合う自然と人間の営みの断面図が、上書きに上書きを重ねるように錯綜しながら露呈している。
ただ、写真に地名、あるいは「N37°35' E140°45' 12"_2016」というふうに、緯度/経度をキャプションとしてつけるだけでは、そこに写しとられた重層的な時空間の構造を明確に伝えるのはむずかしい。露口は旧作の「地名」(1999~2004、2015に再開)のキャプションに、アイヌ語の音に即した和語の地名と、その元になったアイヌ語の地名とその原義を併記したことがあった。この「自然史」の連作においても、そのような、より広がりを備えたテキスト操作が必要になってくるのではないだろうか。
2017/04/12(水)(飯沢耕太郎)