artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
木×仏像─飛鳥仏から円空へ 日本の木彫仏1000年
会期:2017/04/08~2017/06/04
大阪市立美術館[大阪府]
仏像の展覧会といえば、時代、様式、仏師などをテーマに構成するのが一般的だが、本展は一味違う。素材の「木」に着目して、飛鳥時代から江戸時代まで約1000年にわたる変遷をたどるのだ。仏像の素材には、金属、石、木などがあるが、木彫仏が広く普及し、技術的にも高度なレベルに達しているのが我が国の特徴だ。技法的には、一木造から割剥造、寄木造へと進化し、樹種も技法の進化に伴って、クスからカヤ、そしてヒノキへと主たる素材が移り変わっていく。また、造仏にあたって由緒のある霊木を用いる、寺社の建て替えや災害等で発生した廃材を転用するといった例もあり、日本人と木の深くて長い関わりを、仏像を通して知ることができた。展示総数55件と中規模で、仏像の所蔵元も大阪、奈良、京都など地元の寺社からお借りしたものが大部分を占める。隣県の奈良国立博物館で行なわれている「快慶」展と比べたら地味な印象が強い本展だが、じつは独創的な着眼点に基づく見応え満点の企画なのであった。
2017/04/07(金)(小吹隆文)
よみがえる画家──板倉鼎・須美子展
会期:2017/04/08~2017/06/04
目黒区美術館[東京都]
2015年に松戸市教育委員会が主催して「よみがえる画家──板倉鼎・須美子展」というタイトルの展覧会が開催された(松戸市立博物館、2015/10/10~11/29)。筆者は二人の名前も作品も知らなかったのだが、チラシに掲載された作品と二人のプロフィールがとても気になっていた。残念なことにそのときは足を運ぶことができずに会期が終わってしまってのだが、今回、目黒区美術館で同じ監修者により同名の展覧会が開催されるとのことで、さっそく出かけた。展覧会タイトルや図録はそのときの展覧会と共通だが、目黒区美術館が所蔵する同時代の作品を加えて再構成されている。昭和の初めに夭折した二人の画家の仕事を伝える、とても印象的な展覧会だ。
夫である板倉鼎は明治34年(1901)に埼玉県の医者の家に生まれた。大正8年(1919)に東京美術学校西洋画科に入学し、岡田三郎助、田辺至に指導を受け、大正13年(1924)に卒業した。在学中の大正10年(1921)には第3回帝展に入選を果たしている。美校卒業の翌年大正14年(1925)に昇須美子と結婚し、大正15年(1926)2月に海外留学に出発。ハワイ、アメリカを経由して同年7月にパリに到着した。パリではアカデミー・ランソンで画家ロジェ・ビシエールの指導を受け、それまでの写実的な描法を捨て、キュビズムの影響が見られるモダンでシンプル、華やかな色彩の作品を生み出していった。サロン・ドートンヌに入選したり、日本に送った作品で帝展に入選するなど将来を嘱望されていたが、昭和4年(1929)9月、歯の治療中に敗血症となり、28歳でパリに客死した。
妻 須美子はロシア文学者昇曙夢の長女として明治41年(1908)に東京に生まれた。創立したばかりの文化学院で音楽とフランス語を学んでいたが、大正14年(1925)に中退し、17歳で鼎と結婚した。パリに渡った後、昭和2年(1927)に夫の手ほどきで絵画制作を始めた。ハワイでの思い出を素朴な筆致で描いた作品は、同年サロン・ドートンヌに初入選。鼎が亡くなり帰国するまでに3回連続で入選しているという。帰国後は有島生馬に絵の指導を受けるなどしていたが、昭和9年(1934)、25歳で亡くなった。
突然の死によってスタイルが未完のままに終わってしまったがゆえ、二人の作品はその人となりを抜きにして見ることは難しい。そして生涯と言うにはあまりに短いその人生という点では、鼎以上に須美子に同情する。17歳で結婚し、18歳でパリへ。19歳で長女を生み、21歳で生まれたばかりの次女を亡くし、その3ヶ月後には夫を亡くし、帰国。22歳で長女を亡くし、自身も結核のために25歳で亡くなった。夫や長女と写ったパリでの幸せそうな写真や映像から、どうしてその後に彼らを待ち受けていた過酷な運命を想像できようか。
作品と同様に重要なのは、鼎と須美子の没後、鼎の妹 板倉久子氏によって大切に保管されていた二人の作品、資料類だろう。松戸市に寄贈された資料には、500通にのぼる書簡が含まれ、それらはパリでの展覧会や日本人画家、交友のあった文学者たちの動静を知る手がかりとしても重要なものだという。現在、刊行を目指して準備を進めているとのことで、今後の美術史研究に資することが期待される。[新川徳彦]
2017/04/07(金)(SYNK)
Subjective Photography vol.2 大藤薫
会期:2017/03/29~2017/04/15
スタジオ35分[東京都]
ドイツのオットー・シュタイナートが1950年代に提唱し、展覧会の開催や写真集の刊行などで、世界的に反響を呼んだのがSubjective Photography(サブジェクティブ・フォトグラフィ)。日本では「主観主義写真」と訳され、当時一世を風靡していた「リアリズム写真」に対抗する、新しい写真運動として注目された。1956年には日本主観主義写真連盟が結成され、「国際主観主義写真展」(東京・日本橋高島屋)も開催されている。広島市出身の大藤薫(おおとう・かおる、1927~)もその運動の担い手として活躍した一人で、シュタイナートが編集した写真集『Subjective Photography1』(1952)と『Subjective Photography2』(1954)にも作品が掲載されている。今回、東京・新井薬師のスタジオ35分で開催された個展には、ヴィンテージ・プリントから複写して焼き付けたニュー・プリント20点が展示されていた。
いま見ると「主観主義写真」には、戦前の「新興写真」のスタイルに遡ってそのスタイルを受け継いでいくという側面と、造形意識を研ぎ澄ませることで新たな写真表現を打ち立てていこうという意欲とが同居していたように見える。戦前に中国写真家集団の一員だった正岡国男の指導で写真制作を始めたという大藤の写真にも、やはり過去と未来とに引き裂かれていく当時の状況が反映されている。とはいえ、廃船を撮影したシリーズなど、現実世界をフォルムとテクスチャーに還元して再構築しつつ、まさに彼の「主観」的なリアリティが色濃くあらわれている作品もある。大藤に限らず、「主観主義写真」の運動の周辺にいた写真家たちの動向を、もう一度細やかに見直していく必要があるのではないだろうか。
なお、今回のスタジオ35分の展示は、昨年の「vol.1新山清」に続く「Subjective Photography」展の第2弾になる。さらに同時代の写真家たちの発掘を積み重ねていってほしいものだ。
2017/04/06(木)(飯沢耕太郎)
小島えいゆ個展 風雷雲龍ズ漫画
会期:2017/04/04~2017/04/16
アートライフみつはし[京都府]
漫画家の小島えいゆに出会ったのは5年前のこと。彼は俵屋宗達の《風神雷神図屏風》から着想した巨大な屏風作品で個展を開催していた。その力強い線描、漫画家ならではの大胆な構図と画面構成、なにより画面からみなぎるパワーに圧倒されたことを覚えている。そして今回、5年ぶりとなる個展で小島が選んだ題材は、やはり俵屋宗達の《雲龍図屏風》だ。ストーリーは前回から繋がっており、タツノオトシゴから転生した龍に乗る風神と、瀧登りする鯉から転生した龍に乗る雷神が再び対決するまでを、四曲一隻の屏風3点で表現している。しかも本展では会期前半を公開制作とし、観客に制作過程を見せるサービスぶりだ。小島によると、この屏風シリーズは3部作として構想しており、本作は第2部に当たる。こうなったらぜひ完結編まで漕ぎ着けてほしい。また5年後になるかも知れないが、次回の個展を今から楽しみにしている。そして、第1部から第3部までの全作品を一挙に公開する機会を設けてもらえるとありがたい。
2017/04/05(水)(小吹隆文)
いまふくふみよ 回帰する時間/Natural Dyeing
会期:2017/04/04~2017/04/09
アートスペース虹[京都府]
道路に面したガラスドアから3つの壁面が見えるアートスペース虹。そのうち一面はカラフルな水玉模様で埋め尽くされ、残る2面にはマリメッコのテキスタイルにも似た花模様や色面分割の図柄が、絵画の要領で展示されていた。驚いたことに、これらはすべて天然染料(素材は主として植物)による型染め、引き染めで、色は日本の伝統色だという。筆者が見たことのある日本の伝統色は、書籍だともうもう少し原色に近くて強め、布地だと逆に渋めの色合いだった。本展の作品では、色調は淡いパステルトーンで、作品によってはグラデーションも見られる。作者のいまふくによると、布地を渋めの色合いで仕上げるのは、現代人の思い込みによるところが大きいという。かつてクラシック音楽で古楽ブームがあった時(1980~90年代)、作曲家が生きていた当時の音色、テンポ、リズムで演奏された楽曲の斬新さに驚いた記憶があるが、染色でも同じことが言えるのだろうか。いまふくは本展にあたって、日本の伝統色にまつわる調査研究をまとめた冊子も制作している。地道な活動を結実させた彼女に敬意を表わしたい。
2017/04/05(水)(小吹隆文)