artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

没後110年 カリエール 展

会期:2016/09/10~2016/11/20

損保ジャパン日本興亜美術館[東京都]

カリエールって地味であまり人気はないけど、けっこう好きな画家。1849年生まれだから印象派やポスト印象派と同世代で、ぼんやりとした画風も印象派に近いが、ほとんど色彩がなく印象派でもポスト印象派でもない。しばしば象徴主義に括られるけど、描いてるものは身近なモチーフが多く世俗的。しかもモノでも光でもなく、そのあいだにある空気を描いてるような印象だ。また、顔などに焦点を合わせて服や背景をぼかし、色彩もほぼセピア色である点は写真を意識したのか。あえていえばフェルメールに近い。そんな微妙な立ち位置もあるのか、作品を見る機会は少なく、10年前に西洋美術館で開かれた「ロダンとカリエール展」以来だ。ちなみに作品の大半は画家の子孫にあたるフランスの個人コレクションと、新潟市美術館から借り入れたもの。カリイレール展、なんてね。

2016/09/09(金)(村田真)

Triennale di Milano トリエンナーレ・ディ・ミラノ

会期:2016/04/02~2016/09/12

パラッツォ・ダルテ、トリエンナーレ会場、蒸気工場、ハンガー・ビコッカ、工科大学キャンパス、IULM大学キャンパス、ミラノ文化博物館ほか[イタリア、ミラノ]

パラッツオ・アルテにて、ミラノ・トリエンナーレを見る。メイン会場では、原研哉×ブランジの「100の動詞」による日本のデザイン紹介、充実したリサーチによるイタリアデザインと女性、11の居住空間モデルの展示、アートとしての建築パヴィリオン群などが主なプログラムだった。なお、洗練されたデザインによる韓国の工芸紹介のコーナーに比べて、隣の富山を紹介するコーナーはいかにも日本的な展示手法で、世界に届かない感じがしたのは残念である。

写真:左=上から、《パラッツォ・ダルテ》、「100の動詞」、イタリアデザインと女性 右上2枚=アートとしての建築パヴィリオン群、右下=11の居住空間モデル

2016/09/09(金)(五十嵐太郎)

昼馬和代展

会期:2016/09/06~2016/09/18

LADS GALLERY[大阪府]

極薄の粘土板を数十あるいは百以上も重ねたミルクレープ状の構造を持つ昼馬和代の陶オブジェ。《記憶する大地》や《記憶》と題した作品はまるで地層の断面のようであり、《青い記憶》と《甦る─大地》は断崖絶壁の頂上に水源をたたえた姿が印象的だ。つまり彼女は、幻想的な風景によって悠久の時の流れを表現しているのであろう。作品を見た当初は特徴的な層構造の制作法が分からず、表面を削って層に見せているのではないかと疑った。しかし、そのようなやり方ではリアリティーが出ず、薄い粘土板を愚直に積み重ねることでしか、重厚な存在感を表現できないそうだ。昼馬は1947年生まれのベテランだが、団体展や地元(堺市)での活動が多く、筆者は本展まで彼女の存在を知らなかった。陶芸界は広くて深い。私はまだまだ勉強不足だ。

2016/09/08(木)(小吹隆文)

公文健太郎「耕す人」

会期:2016/08/25~2016/10/11

キヤノンギャラリーS[東京都]

公文健太郎は1981年、兵庫県生まれのドキュメンタリー写真家。1999年にネパールを訪れて以来、ブラジルやセネガルなどにも長期滞在し、被写体になる人々との個人的な関係に根ざしたドキュメンタリーのあり方を模索してきた。今回キヤノンギャラリーSで開催された「耕す人」では、一転して北海道から沖縄八重山諸島まで、各地の農家を訪ね歩いて撮影を続けた。ブラジルの日系人農家まで足を伸ばしたのだという。2013~15年にかけて撮影された本シリーズから浮かび上がってくるのは、後継者に悩み、TPP参加の問題に翻弄される現代の農家の暮らしぶりであり、日本の農業環境のドラスティックな変化(むしろ解体、崩壊)の様相だった。公文の撮り方は決して肩肘張ったものではなく、軽やかなスナップ写真のスタイルだが、農業を取り巻く現場の危機的な状況は切々と伝わってくる。作業中の農民たちの「身振り」を抽出する視点の取り方も、とてもうまくいっていた。
気になったのは写真展示のインスタレーションである。会場は観客同士が知らずにぶつかりそうになるほど暗く、小さめの写真が壁にほぼ一列に並んでスポットライトで照らし出されている。プリント自体もやや暗めなので、画像の細部の情報を読み取るのはとてもむずかしい。しかも展示の総数は181枚とかなり多く、一点一点に目を凝らしながら会場を巡っていくのは、観客にかなりの負担を強いることになる。また、写真にはキャプションがないので、それがどこでどのように撮られたかは画面から想像するしかない。
公文は従来のドキュメンタリー写真とは一線を画した“表現”志向の強い展示を試みた。それは結果的にはうまくいかなかった。だが、僕はむしろこの失敗をポジティブに考えたい。今回は展示に過剰なバイアスがかかってしまったが、それをうまくコントロールできれば、写真による視覚伝達の新たな方向性が見えてくるのではないだろうか。なお、展覧会にあわせて平凡社から同名の写真集が刊行された。

2016/09/07(水)(飯沢耕太郎)

驚きの明治工藝

会期:2016/09/07~2016/10/30

東京藝術大学大学美術館[東京都]

最近、超絶技巧の明治工芸が人気を集めている。理由は一目瞭然、驚くほど緻密でリアルだからだ。例えば宮本理三郎の《葉上蛙》は、文字どおり葉の上に止まったカエルの彫刻だが、これがひとつの木から彫り出されていることに舌を巻く。《竹塗水指》はどう見ても竹筒を利用した器だが、じつは木で彫られているとかね。「自在置物」と呼ばれる金属彫刻はもっとすごい。エビや魚や昆虫が本物そっくりにつくられているが、それだけでなく鱗や節を結節点にリアルに動くのだ(もちろん展示物は動かせないが)。でもこれらはあまりに本物そっくりで、あまりに楽しすぎるので芸術としての評価は低く、「置物」どまりだったのだ。その評価が変わったのは、「芸術」の価値観そのものがひっくり返った最近のことでしょうか。驚くのはこれらのコレクションがひとりの台湾人、宋培安がここ20数年のあいだに集めたものだということ。ってことは、つい最近までそれほど高くない値段で市場に出回っていたということだ。それも驚き。

2016/09/06(火)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00036699.json s 10128561