artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
プレビュー:チャンネル7 髙橋耕平──街の仮縫い、個と歩み
会期:2016/10/15~2016/11/20
兵庫県立美術館[兵庫県]
注目の若手作家を紹介する “チャンネル”7回目は、主に映像作品を手がける髙橋耕平。初期作品では、同じ映像を鏡像のように左右反転させた映像と対で並置する、録画した自身の映像と「対話」する自己分裂的な状況をつくり出すなど、映像における同一性を撹乱させる試みを行なってきた。このように、身体性を介入させつつ、「複製(イメージの複製、行為の複製)」「反復とズレ」「同一性と差異」といった映像の構造に自己言及的な作品群から、近年の髙橋は、具体的な人物や場所に取材したドキュメンタリー的な制作方法へとシフトしている。
とりわけ、「編集」に対する意識の先鋭化において秀逸なのが、《となえたてまつる》(2015)。この映像作品は、三重県伊賀市島ヶ原にある観菩提寺に伝わる御詠歌を、本尊の秘仏が御開帳される33年ごとに継承する村人たちを取材したものである。前回(33年前)と前々回(66年前)の御開帳を経験した老婦人たちの語る思い出話は、しかし、無音のショットの挿入によって繰り返し中断させられる。音声的な空白として映される、歌の継承稽古の風景。私たちは、老婦人たちの思い出話に耳を傾け、かつての継承時に起きた出来事の記憶を共有する時間を過ごしたのちに、ラストで初めて御詠歌を「音声」的に経験する。こうした反復と分断によって「編集」の作為性を顕在化させた本作は、33年ごとに繰り返される御詠歌の継承を構造的に身に帯びるとともに、忘却と想起を繰り返す記憶のメカニズムや、世代から世代へと記憶が口承伝達される共同体の存続のありようを追体験させるものでもある。
一方、本展「街の仮縫い、個と歩み」では、21年前の阪神・淡路大震災以降の、都市の経験や記憶をテーマにした映像や写真作品が発表される予定。同じ街に暮らす人々が、個々に異なる身体や認識で、街を違ったふうに経験し、記憶を更新させていくさまを、「それぞれの身体にあわせ街を更新し続ける仮縫いのようだ」と髙橋が捉えていることが、タイトルに表われている。過去と現在、記憶の個別性と共有、歩くという行為の身体性と記録、リサーチベースの作品のあり方など、さまざまなトピックを考えさせる展示になるのではと期待される。
関連レビュー
記述の技術 Art of Description:artscapeレビュー
2016/08/29(高嶋慈)
第5回 新鋭作家展 型にハマってるワタシたち
会期:2016/07/16~2016/08/31
川口市立アートギャラリー・アトリア[埼玉県]
この新鋭作家展は公募で作家を選ぶのだが、ただ作品を審査して入選作を展示するのではなく、市民も作品づくりに参加し、一緒に展覧会をつくっていく1年がかりのプロジェクトなのだ。そのため審査もポートフォリオ、プレゼンテーション、面談と3段階に分けて慎重に行なわれる。で、今年選ばれたのが大石麻央と野原万里絵という同世代のふたり。大石は、ハトのかぶりものと黄色いTシャツを着けたハト人間のポートレートを展示。これは会期前に開かれた「着るアート体験&撮影大会」で、100人を超す市民にかぶりものと黄色いTシャツを着けてもらって撮影。これらの写真に加え、ハト人間の等身大の像も展示している。野原は高さ5メートル、幅10メートル近い大絵画2点の出品。木炭でステンシルの技法を使って描かれたモノクロ画面だ。こちらは「パンと炭で巨大壁画に挑戦」というワークショップを開催。子供たちが型紙を使って野原とともに協働制作を行なった。大石は同じマスクとTシャツを使い、野原は型紙をステンシルとして用いる点で、どちらも「型」を重視していることから、タイトルは「型にはまってるワタシたち」になったそうだ。美術館ほどの規模もコレクションもない施設だが、それだけに市民に密着した活動に磨きがかかっている。
2016/08/28(日)(村田真)
Gallery街道 オープニング展
会期:2016/08/20~21、27~28、09/03~04
Gallery街道[東京都]
尾仲浩二が東京・南新宿の青梅街道沿いのビルの3階にGallery街道をオープンしたのは1988年。壁を銀色のペンキで塗り、のちに写真集『背高あわだち草』(蒼穹舎、1991)にまとめられる「背高あわだち草」のシリーズを28回にわたって展示した。1992年にいったん閉廊するが、2007年に南阿佐ケ谷のアパートを改装して第一次Gallery街道をオープンする。こちらは中断期間を挟んで2014年まで続いた。
写真家たちが自分たちで運営する自主ギャラリーには、どうやら抗しがたい魅力があるようだ。一度メンバーになれば、仲間たちと苦労をともにしながら活動を続けていくなかで、さまざまな出会いと別れがあり、ギャラリーの生き死ににも立ち会うことができる。尾仲もまた、そんな自主ギャラリーの引力に引き寄せ取られてしまった1人と言えるだろう。
そのGallery街道が、今回、中野駅北口近くにリニューアル・オープンすることになった。メンバーは尾仲のほかに岡部文、佐藤春菜、鈴木郁子、中間麻衣、河合紳一、小松宗光、酒巻剛好、本庄佑馬、藤田進である。そのお披露目の展示は、とりあえずの顔見せ展という感じだったが、尾仲とともに第一次Gallery街道を立ち上げた藤田進や、第二次Gallery街道のメンバーだった佐藤春菜など、自主ギャラリーの展示空間を熟知しているメンバーがいるのが心強い。彼らと新人メンバーとがうまく噛み合って、活気のある意欲的な展示活動を展開していってほしい。
9月からは岡部文展(9月10~18日)を皮切りに、メンバーの写真展が次々に開催される。メンバーだけだとマンネリになりがちなので、ゲスト作家の展示もうまく挟み込んでいくといいと思う。
2016/08/28(飯沢耕太郎)
softpad/横谷奈歩「剥離と忘却と With detachment and oblivion」
会期:2016/08/27~2016/09/10
MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w[京都府]
softpadと横谷奈歩、それぞれの個展が並置された「剥離と忘却と」展。本評では、横谷奈歩の写真作品《剥離された場所》について取り上げる。「大久野島、乙女峠、キリシタン洞窟」という地名の情報だけがキャプションに記された横谷の写真は、一見すると、ピンホール写真のように像が曖昧にボケて、ブルーがかった色調ともあいまって、夢の中の光景のような幻想的な光に満ちている。梁や階段が朽ち、窓や扉が破れ、ガレキの散乱した廃墟のような室内。暗い洞窟の中に差し込む、厳かな光の柱。別の写真では、円環状に組まれた石の傍らに柄杓が置かれ、小さな池や人工的な貯水池の名残だろうかと思わせる。これらのベールに包まれたような痕跡のイメージは、具体的な土地の固有名から半ば遊離するとともに、どこか不穏な違和感をかき立てる。
その違和感は、展示台に置かれたオブジェの存在によって、ある確信へと変わる。海岸で拾ってきたらしいサンゴのかけらや陶片とともに、ミニチュアの地球儀とコップが置かれている。そして、小指の先ほどしかない地球儀とコップは、写された廃墟の床にも転がっていたのだ。一気に反転する真偽の境界。展示台の密やかなオブジェたちは、横谷自身が現実の場所に「行った」ことの物的証拠であるとともに、写されたイメージの真実を覆す、二重の仕掛けを帯びている。
このように横谷は、歴史的痕跡をとどめる場所を訪れ、リサーチや伝え聞いた話を元に模型を作成し、写真化するという二重の手続きによって、虚実の曖昧な世界を出現させている。今回、参照された3つの場所は、戦時中の毒ガス製造やキリシタン迫害に関わる土地である。広島県の瀬戸内海に浮かぶ「大久野島」は、戦時中、毒ガスを製造していたため、軍の機密事項として地図から消されていた島。横谷は、今も残る巨大な発電所跡をモチーフに模型を作成し、写真イメージへと変換した。廃墟の中をあてどなくさまようように、少しずつアングルを変えて撮られた写真のシークエンスは、虚構の空間の中に、別種の時間の流れをつくり出す。また、長崎県の五島列島にある「キリシタン洞窟」は、船で海上からしか入れない険しい断崖の洞窟で、迫害を逃れたキリシタンたちが潜伏していた場所である。亀裂から差し込む荘厳な光の柱は、安藤忠雄の「光の教会」を連想させ、受難と救済の物語を匂わせる。島根県の津和野にある「乙女峠」は、流罪となったキリシタン百数十名が、棄教を迫られて拷問を受けた場所。池に張った氷を役人に柄杓でかけられた氷漬けの刑が最も過酷だったというエピソードが、作品の背景となっている。
模型をつくって写真化する行為が虚構をリアルへと反転させる構造は、例えばトーマス・デマンドとも共通するが、メディア報道によって流通・共有されたイメージを再虚構化するデマンドに対し、横谷の作品は、実証的な手続きを踏まえ、国家権力による抑圧と忘却の過程を扱いつつ、唯一の真実の回復ではなく、「真正さ」をどこまでも曖昧にズラしていく。それは、写真/歴史の真正性への疑義を呈しつつ、幻想的で極めて美しいイメージとして結晶化させている。そうした写真とリアリティの関係に加え、歴史の痕跡の(不)可視化、時間の積層と写真のシークエンスがつくり出す時間の流れ、「閉じた部屋の窓」や「光の差し込む亀裂」が暗示するカメラ・オブスクラの構造など、写真をめぐる重層的なトピックをはらんだ展示だった。
2016/08/28(高嶋慈)
小沢さかえ「わたしたちのいた地球」
会期:2016/08/27~2016/09/25
MORI YU GALLERY[京都府]
関西では約3年半ぶりとなる個展を開催した小沢さかえ。作品はキャンバスに描いた大小の油彩画18点と、紙に水彩や色鉛筆などで描いた小品6点だった。作品の内容は、草原を飛び交う鳥たちの中心で舞う女性、岩山と一体化し、恍惚の表情を浮かべる女性(いずれも自然の精?)、森の中で戯れる動物たちや人間、色とりどりの花であり、現実、幻想、神話、アニミズムが混然一体となった世界を形成している。それらは一種SF的でもあり、筆者は若き日に読んだレイ・ブラッドベリの短編小説を思い出した。現実と空想が地続きだった子供時代の感覚を思い出させてくれること。それが小沢作品の魅力ではないか。
2016/08/27(土)(小吹隆文)