artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

安藤栄作「約束の船・2016」

会期:2016/08/19~2016/09/25

Gallery OUT of PLACE[奈良県]

帰りに奈良市内のギャラリーに寄ってみる。安藤栄作は福島県いわき市に住んでいたが、大震災により作品や家財を失っただけでなく、原発事故により移転を余儀なくされ、現在は奈良県に住んでいるという。展示はまず、ギャラリーの床にカヌーのような木の船が2隻。だが、どちらも片側が切れている。つまり2隻をつなげれば1隻の大きな船になりそうな感じ。壁には10~30センチ程度の木彫のヒトガタが数百、いや千はありそうなくらい貼りついている。ヒトガタといっても細長い紡錘形の上端が丸くなってるだけなので、かろうじて人のかたちであることがわかる程度。あるいは風化した円空仏か、包帯グルグル巻きのミイラか、羽化する前のサナギか、身体を切っても再生するプラナリアか。どれもアレゴリーとして悪くない。ほかにも脚のついたミミズや、髪の毛で立つ首像などもあって、けっこうオチャメ。

2016/09/04(日)(村田真)

古都祝奈良─時空を超えたアートの祭典─(ならまちアートプロジェクト)

会期:2016/09/03~2016/10/23

ならまち[奈良県]

一泊して「ならまちアートプロジェクト」を見て回る。「八社寺アートプロジェクト」がエスタブリッシュされたアーティストによるものだとすれば、昔ながらの町家が残る「ならまち」を舞台にしたこちらは、おもに奈良や京都出身の7人の若手アーティストを特集した展示。前者とは場所も予算の掛け方も違うが、そんななかでも注目したのは西尾美也と宮永愛子のふたり。西尾はならまちの住人から古着を集め、矩形に裁断してつなぎ合わせ、パッチワークの家をつくって集会場にした。外したボタンは糸でつないで神社に展示。これはプロセスもさることながら、視覚的に美しい。宮永は古い木造の染物屋倉庫で、地面に染み込んだ染料を布に写し取り天井に張ってみせた。着眼点もインスタレーションも見事だが、残念なのは地面に置かれた台車や樽の跡を白く残していること。地面に置かれた物と天井に張られた布が天地対称になってわかりやすいのだが、実際に写し取ればこうはならないので、トリックに見えてしまう。惜しい。


西尾美也《人間の家》(撮影=筆者)

2016/09/04(日)(村田真)

Modern Beauty─フランスの絵画と化粧道具、ファッションにみる美の近代

会期:2016/03/19~2016/09/04

ポーラ美術館[神奈川県]

ファッション、テキスタイルに関して多彩な主題の展覧会が多数開催されている今年、本展は美術・絵画のモチーフに現れた同時代のファッションを実物で見せるという構成になっている点、世田谷美術館で開催された「ファッション史の愉しみ」展にコンセプトが近い。ただし、「ファッション史の愉しみ」が20世紀初頭までのメディアとしてのファッションブック、ファッションプレートというファッションそのものを主題としていたのに対して、「Modern Beauty」は主にポーラ美術館が所蔵する19世紀後半から20世紀前半のフランス絵画を、そこに描かれた女性のファッションという視点から考察し、背景にある同時代の社会、経済、文化、思想、批評を通じてひも解こうというものだ。
19世紀後半、オートクチュール、百貨店、ファッション誌などの登場でファッションは産業化してゆく。工業や商業の発達は新たな富裕層を生み、彼らは自分たちのステータス、名誉を示すものとして肖像画を欲した。マネ、ルノワールらはそうした需要に応えた。肖像画に描かれた女性たちのファッションについてはそれを同定する研究がおこなわれているそうだ。本展には出品されていないが、ルノワールの肖像画にはシャルル・フレデリック・ウォルトのメゾンのドレスが描かれていたり、モネが描いた女性のドレスと同様のものを当時のファッションプレートに見ることができるという。新しい都市や郊外の風景、行楽地もまた絵画の主題になった。クロード・モネ《貨物列車》(1872)には、蒸気機関車に牽かれた貨物列車、奥には煙を上げる煙突が立ち並ぶ工業地帯、手前の草原には上品な身なりをして散歩するブルジョワの男女が小さく描かれている。描かれていないが向こう側の密集した工場では粗末な身なりをした人々が働いているはず。線路を挟んだ風景の対比には分断された社会層の存在がうかがわれる。19世紀半ばからヨーロッパでは公衆衛生学が発達するが、水、お湯の使用は贅沢であり、人々は体臭を緩和させるために香水を使用していたことや、化粧においては鉛毒がなく安価な亜鉛華白粉が普及したことと絵画に描かれた女性たちとの関係が、香水瓶や化粧道具の展示で示唆される。娼婦の身づくろいの場面に描かれた男性──すなわちパトロンの視線の指摘も興味深い。展示の最後はコルセットからの解放、すなわちポール・ポワレの登場だ。ポワレはデュフィにファッション画や広告デザインを依頼したり、共同でテキスタイルデザインを手がけるなど、画家と密接な関係を持ったデザイナーでもある。展示がこの時代で終わっているのは(ポーラ美術館の絵画コレクションが理由でもあるかもしれないが)、ファッションや風俗を描くメディアが絵画から写真へと移ったから、と理解してよいだろうか。
現代において印象派の画家たちの作品を見るとき、ついつい画家も古い時代の風俗を描いていたように錯覚してしまうことがあるのだが、古典を主題とした絵画とは異なり、これらが当時の最新のファッション、新しい風景を描いていたことがよくわかる好企画。出品作品だけで解説を完結させず、他美術館所蔵作品の写真も用いた具体的な解説も説得力を増している理由だろう。空調にのせたほのかな香りの演出もよい。[新川徳彦]

★──「ファッション史の愉しみ─石山彰ブック・コレクションより─」展(世田谷美術館、2016/02/13-04/10)。


関連レビュー


ファッション史の愉しみ──石山彰ブック・コレクションより:artscapeレビュー|SYNK(新川徳彦)

2016/09/04(日)(SYNK)

artscapeレビュー /relation/e_00034269.json s 10127794

古都祝奈良─時空を超えたアートの祭典─(八社寺アートプロジェクト)

会期:2016/09/03~2016/10/23

東大寺+春日大社+興福寺+元興寺+大安寺+薬師寺+唐招提寺+西大寺[奈良県]

奈良市内の名だたる寺社に、アジアのアーティストがインスタレーションを展開するというので見に行った。当初これも2、3年に1度の芸術祭かと思っていたが、これは日中韓が進める東アジア文化都市の文化交流プロジェクトのひとつで、今年の開催都市・奈良市が繰り広げる1回限りの「時空を超えたアートの祭典」なのだ。アドバイザーを務めた北川フラム氏は、日中韓をはじめインド、イラン、シリア、トルコまで広くアジア圏のアーティストを集め、8つの寺社に作品を絡めている。最初に行ったのが、開会式の行なわれた大安寺。その塔跡隣地に川俣正が高さ20メートルを超す《足場の塔》を建てた。これは遠くからでも見え(そもそも奈良には高い建物が少ないので見晴らしがいい)、よく目立つ。しかしこのモニュメンタリティは川俣らしくないなあと思ったが、おおまかな骨組みはすでにつくられており、川俣はその周囲に足場を組むだけだったという。なるほど、本体のない足場だけの塔。やっぱり川俣らしい。
中国の蔡國強は先行して3月から木造船を制作、遣唐使船を思わせるこの船は、東アジア文化交流のシンボルとして東大寺の鏡池に浮かんでいる。韓国のキムスージャは元興寺の石舞台に鏡を張り、その上に漆黒に塗った楕円形のオブジェを立てた。おそらくブラックホールのような異次元への穴を想定したのだろうが、完璧な黒が得られず半端感は否めない。これを見て思い出したのがインド出身のアニッシュ・カプーア。彼はそれこそ完璧な黒い穴の作品で知られるが、光の99パーセント以上を吸収する黒い顔料のアートにおける独占使用権を買い取った、というニュースを聞いたことがあるからだ。キムスージャはこれを使いたかったに違いない。ちなみにカプーアは今回出ておらず、インドからは若手のシルパ・グプタが参加。カプーアはギャラが高いので声もかけなかったそうだ。そのグプタは薬師寺の広場に、頭部が家や雲のかたちをした輪郭だけの人間像を設置。これは記憶や思考を可視化した彫刻と捉えることもできるが、彼女の過去の作品や薬師寺の建築群の圧倒的な存在感に比べればものたりない。しかしそれを言い出せばきりがない。そもそも寺社に絡むといっても核心部に触れるものは少なく、裏の池とか境内の外とかちょっと外れた場所が多いのも事実。とはいえ20~30年前に比べれば、現代美術がよくぞここまで踏み込んだものだと感心する。


左=川俣正《足場の塔》
右=キムスージャ《演繹的なもの》
(いずれも撮影=筆者)

2016/09/03(土)(村田真)

山本雅紀×平良博義×瀬頭順平写真展

会期:2016/09/03~2016/09/17

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

ZEN FOTO GALLERYで2015年6月に個展「鑑と灯し火」を開催した布施直樹がキュレーションした3人展。彼がここ1年余りで出会った写真家たちの中から「普段コマーシャルギャラリーや写真雑誌の製作現場の視点からは見過ごされがちな」3人の写真家たちの作品を選んで展覧会を構成した。
山本雅紀(1989- 兵庫県生まれ)は「ハラワタ」で彼の家族たちとの混沌とした日常に肉薄し、平良博義(1987- 東京都生まれ)は「日々の川」で彼がたまたま荒川河川敷で出会ったホームレスの人たちの暮らしぶりを記録する。瀬頭順平(1978- 埼玉県生まれ)は「西海岸」で兵庫県須磨近辺の海水浴場に群れ集う若者たちをスナップしている。それぞれ方向性は違っているが、「身体的に写真に接し……被写体となる生身の人々の声、その時の写真家と人々との関係、感情を肌で感じ取れる」(布施によるコメント)ということでは共通している。だが、これから先がむずかしくなりそうだ。さらにステップアップしていくためには、闇雲に写真の数を増やすだけではなく、どのように写真をまとめていくかを、よりクリアーに確定していく必要がある。テキストと写真との関係をどのように構築するのかも課題になる。また、3人ともモノクローム作品なのだが、「なぜモノクロームなのか?」を一度きちんと考えてみるべきだろう。ぜひ写真集の刊行、あるいは個展の開催をめざして、写真のクオリティを上げていってほしいものだ。
3人の写真家の作品展示のほかに、「8名の新人作家によるブック形式ポートフォリオ展」も併催されていた。コマーシャルギャラリーとしてはかなりユニークな企画である。何度か続けていくと、思いがけない大物が登場してきそうな気もする。

2016/09/03(土)(飯沢耕太郎)