artscapeレビュー
降り落ちるものを 今村遼佑
2016年04月15日号
会期:2016/03/08~2016/03/20
アートスペース虹[京都府]
なんとも詩的なタイトルに、詩的なインスタレーション。「降り落ちるもの」、つまり時間の流れや変容を感じさせる作品が、視覚、音、匂い、手触りを刺激させながら、ゆるやかな連想を描くように配置されている。
白い地に、白や灰色、クリーム色、薄いブルーや黄色の筆致が舞うように散る絵画作品は、雪が雨粒へと変化していく様子を描いたもの。大きな雪片に見える白い塊が落下する絵画は、ハクモクレンの花びらが散る情景を描いている。雪解けと花びらの落下。冬から早春へ。その季節の移り変わりは、沈丁花が植えられた植木鉢と呼応する。白い小さな花が放つ、甘くかぐわしい香り。舞い落ちる雪が感じさせた、張りつめた空気の冷たさが、ゆるやかにほどけていく。
一方、沈丁花の植木鉢には、ミニチュアの街灯が添えられている。街灯の灯る夜の帰宅路、視覚よりもまず匂いで沈丁花に気づいたときの記憶がよみがえる。日常の中で、ふと訪れる情景の変化。別の作品では、ポリバケツの中に置かれたiPhoneの画面に、バケツに張った氷が映っている。突然、小石が投げ込まれ、ひび割れる氷の表面。液晶画面が薄い氷の層と一瞬、重なり合う。もうひとつのiPhoneの画面は、どこかの住宅の窓辺を映し出すが、静止画のように変化しない画面のフレーム外から聴こえる音が、さまざまな情景をかき立てる。車の音、子どもの遊び声、どこかから聴こえる美しいピアノ曲。日常にふと差し込んだ劇的な瞬間は、室内外の生活音にかき消されていく。傍らに吊られたカーテンが、画面の内と外、ギャラリー空間と「ここではないどこか」との境界を、一瞬、曖昧に溶解させる。
季節の変わり目が、肌で感じられながらも明確な境目として区切られないように、今村の作品世界は、部屋の内と外、昼と夜、「いま」と記憶の中の手触り、「ここ」と「どこか」が一瞬混じり合って溶け合うような体験をつくり出す。それは、仕掛けやガジェットを見せながらも、イメージの多重化や現象的なものを扱い、複数の異なる時間の流れをひとつの空間の中に呼び込み、観客の身体と五感をとおして体感させるという点で、人物は不在であっても、ある種の演劇性をたたえていると言えるかもしれない。
2016/03/13(日)(高嶋慈)