artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

流麻二果──一葉

会期:2015/09/05~2015/10/03

ユカ・ツルノ・ギャラリー[東京都]

大小さまざまなサイズのタブローを一列にではなく、壁面のあっちこっちに散らしたディスプレイ。タイトルの「一葉」とは、1枚の葉が落ちるのを見て秋の訪れを知るという「一葉知秋」からとったもので、まさに葉が舞い散るような展示だ。そう思って見ると、絵柄もなんとなく秋らしく感じてしまうのは気のせいか。比べるのもなんだが、フォルムだけ見ればクリフォード・スティルを想起させるけど、スティルが硬質の岩山だとしたら、流はもっと透明でもっと柔らかくもっと湿潤な空気を感じさせるのも事実。これは日米の違いとか男女の違いというより、絵画制作のモチベーションの違いでしょうね。

2015/09/12(土)(村田真)

西野達「写真作品、ほぼ全部見せます」

会期:2015/09/05~2015/10/31

TOLOT/heuristic SHINONOME[東京都]

巨大なホワイトキューブ(形状は櫛形だけど)の空間に、西野達の写真やドローイング、映像が計20点ほど。ニューヨークのコロンバスサークルに建つ高さ20メートルの石柱の上のコロンブス像の下に足場を組み、像を囲むように完璧なリビングルームをこしらえた《ディスカバリング・コロンブス》や、シンガポールの象徴であるマーライオンの上半分だけホテルの1室に取り込んだ《マーライオン・ホテル》など、代表的なプロジェクトの写真が並んでいる。道路標識のポールに子豚が丸焼き状態で刺さってる妙な写真があるが、これには映像もあって、男たちが路上の標識を抜いて持ち去り、ポールに子豚を串刺しにして焼き、それを同じ場所に戻すまでが収められている。なるほど、そういうことだったのね。彼のプロジェクトは短期間しか存在しないため、実物を体験できるものは限られているだけに、こうした写真や映像は記録としても商品としても貴重だ。

2015/09/12(土)(村田真)

井川健個展

会期:2015/09/05~2015/09/13

祇をん小西[京都府]

流麗な曲線美を特徴とする井川健の漆オブジェ。しかし新作は、クワガタムシを思わせる一対の角のような形状や、老木の樹皮のような複雑な凹凸を持つフォルムへと変化していた。実はこれらの素材はヤシの葉。井川が現在住んでいる佐賀には街路樹としてヤシが植えられており、風の強い日の後にはヤシの樹皮が道路に落ちているのだという。本作は、形状の面白さはもちろん、複雑な形状での漆の仕上げなど、技術的な見所も多い。井川が京都から佐賀に移って約7年、地元の素材を駆使することにより、彼は新たな段階に入った。

2015/09/12(土)(小吹隆文)

おおいたトイレンナーレ2015

会期:2015/07/18~2015/09/23

大分市中心市街地各所[大分県]

大分市の繁華街で催された芸術祭。昨今、都市型の芸術祭はおびただしいが、この芸術祭の特徴は「トリエンナーレ」ではなく「トイレンナーレ」という名称にあるように、会場をトイレに限定している点にある。だから来場者は市内に点在する公共施設から百貨店、雑居ビル、飲食店、商店、公園などにあるトイレを探し歩くことになる。もちろん、尿意を解消するためではない。作品を鑑賞するためである。
参加したのは、西山美な子や藤浩志、藤本隆行、眞島竜男、松蔭浩之ら、16組。トイレという狭い空間に展示する必要性がそうさせたのだろうが、大半の作品はサイズが小さく、たんなる装飾と化しているものも多い。そうしたなか、その狭小空間を逆手にとってひときわ強い印象を残したのが、「目」である。
「目」はアーティストの荒神明香、ディレクターの南川憲二、制作統括の増井宏文によるチーム。
先頃閉幕した「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2015」でもコインランドリーを使った作品を発表して大きな話題を呼んだ。今回、彼らが作品を展示したのは、商店街の一角にある寝具店。色とりどりの寝具が立ち並ぶ店内を抜けると、バックヤードの暗がりにトイレがあった。室内にはトイレットペーパーや神棚が置かれた、いたって普通のトイレだが、唯一風変わりなのは、ひとつの壁面に映像が投影されているところ。鉄道車両の先頭から撮影されたのだろうか、どこかで見た覚えのある景色が次々と流れていく。その記憶の源がこの寝具店の店内であることに気がついた瞬間、トイレの壁面に沿って小さな鉄道模型がゆっくりと通過していった。そう、彼らの作品は店内にNゲージの線路を縦横無尽に張り巡らせ、そこを走る鉄道模型から風景を撮影した映像をトイレで鑑賞させるというものだったのだ。
むろん映像を見ていると、まるで小人になったかのように、店内を移動していく楽しさがあるし、直線の線路の傍らにプラットフォームの模型が設置されているため、駅を通過するような感覚も味わえる。だが、この作品の醍醐味はそのような映像を、まさしくトイレという狭い空間で鑑賞するところにある。
トイレとは、言うまでもなく、他者の視線が遮られた、ごくごく個人的な空間である。だが、そのような没社会的な空間であるにもかかわらず、いやだからこそと言うべきか、人間の想像力はその密閉された空間を越えて、どこまでもはてしなく広がりうる。ひとつの肉体を収める程度の狭小空間を基点にしているからこそ、想像力は大きく飛躍すると言ってもいい。「目」の鉄道模型は、たんに狭い空間を有効活用した作品ではない。それは、私たちが常日頃トイレで繰り広げている孤独な想像力の軌跡を美しくなぞっているのである。

2015/09/12(土)(福住廉)

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そこにある、時間──ドイツ銀行コレクションの現代写真

会期:2015/09/12~2016/01/11

原美術館[東京都]

有数の現代美術コレクションで知られるドイツ銀行から、「時間」をテーマに約40組60点の写真作品を選んで展示。写真とは流れゆく時間を輪切りにした断面と考えれば、その表面には一瞬の姿が映し出されているはずだし、また、シャッタースピード分を時間の厚みと捉えれば、それは断面ではなく時間軸を含む立体ともいえる。どっちにしろ写真は時間を採り込み、時間を写し(映し)出すメディアであり、その意味では時間芸術と呼んでもいい。時間を断面と捉えた写真としては、各地の類型的なガスタンクを撮って標本のように並べたベルント&ヒラ・ベッヒャー、その教え子で美術館や劇場を撮るトーマス・シュトルートとカンディダ・ヘファー、また、木目の壁面に円や矩形を描いたような(じつは家族の写真を外した跡)イト・バラーダの抽象的な写真も、ここに含まれるだろう。一方、時間の厚みを見せるのは、1本の映画が終わるまでスクリーンを写した杉本博司、ペンライトを持って歩き回った軌跡を長時間露光で撮影した佐藤時啓のほか、コンサートホールを埋める全員が同一人物というマルティン・リープシャーのパノラマ写真も、デジタル処理を施しているとはいえ時間が積層されている。懐かしいのはクラウス・リンケ。少しずつカメラから離れていく作者自身の姿を映して1枚のプリントに収めた《瞬時の移動》は、ドクメンタ5で発表された作品で、たしか70年代の『美術手帖』の表紙を飾ったんじゃなかったっけ。この写真などは時間の断面と厚みを同時に表現したものだといえる。こうした写真を集めることは、とりもなおさず時間をコレクションすることではないか。

2015/09/11(金)(村田真)

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