artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

緑の森の一角獣座 1995-2015 記録

会期:2015/08/03~2015/08/29

ギャラリー福果[東京都]

《緑の森の一角獣座》は、東京・日の出町のゴミ処分場建設に疑問を抱いてトラスト運動に参加した彫刻家の若林奮が、建設予定地の森のなかにつくった作品のこと。作品といっても森の下生えを整備して道や階段をつけ、石を積んで椅子とテーブルにし、せせらぎに橋を渡すといったように、その土地全体を作品化したもので、どっちかというと作庭に近い。こうした方法をとったのは、作品の撤去命令が出ても土地と作品が一体化したものだから撤去できないし、もし撤去(破壊)されたら著作権侵害に当たるという論理で戦うため。文字どおり「地の利」を生かした不動産美術の闘争だったといえる。ところが、作品がつくられたのは事業認定後なので訴えは無効とされ、最終的に行政代執行により「庭」を構成する石や木は撤去されてしまう。この間に「日の出の森と作品を守る会」が結成され、現地を訪れる鑑賞会が何度も行なわれ、ファクスによる『UNICORN NEWS』が配信され、各地で展覧会が開かれてきた。同展ではそれらの写真、映像、文書のコピーなど関連資料を公開している。敗れた(といっていいのか)とはいえ、「芸術の著作権」を盾に戦った日本では珍しい例として、これらの記録は今後ますます重要性が増すだろう。

2015/08/27(木)(村田真)

知っていますか・・・ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾

会期:2015/08/04~2015/08/30

JCIIフォトサロン[東京都]

「戦後70年」ということだけではなく、8月に原爆投下直後に広島、長崎撮影された写真をあらためて見直すことには大きな意味がある。極限状況下で写真家たちによって遂行されたドキュメントがもたらす衝撃を、どんなふうに受け止め、咀嚼し、投げ返していくべきなのかを、より身近に、生々しく感じとることができるからだ。
今回JCIIフォトサロンで開催された「知っていますか・・・ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾」展には、広島を撮影した深田敏夫、松重美人、岸田貢宜、尾糠政美、川原四儀、宮武甫、佐々木雄一郎、菊池俊吉、林重男、田子恒男、長崎を撮影した山端庸介、林重男の写真、約60点が展示された。中国新聞社の写真部員だった松重、陸軍船舶司令部写真部員だった尾糠、陸軍西部軍管区報道部員だった山端など、公的な立場で撮影にあたった者もいれば、偶然カメラを手にしていた者もいる。菊池俊吉、林重男、田子恒男は、1945年10月に文部省学術会議原子爆弾災害調査研究特別委員会の調査団に同行して、広島と長崎を撮影した。いずれにしても、写真家たちには、眼前の惨状を個人的な感情を抜きにして、できる限り平静に、克明に記録しようという強い意志が共有されていたと思う。
原爆の被害状況の写真の発表は、GHQの報道規制によって1952年まで封印されていた。写真家たちはその間、貴重なネガを守り続けていたのだ。そう考えると、2011年の東日本大震災や原発事故の直後に撮影された「発表できない」写真群も、いつか公開できる日が来るかもしれない。記憶をきちんと受け継いでいくことの重要性を、写真家たちの仕事から学び取るべきだろう。

2015/08/26(水)(飯沢耕太郎)

裸って何? 現代日本写真家のヌードフォト2015

会期:2015/08/25~2015/08/30

ギャラリー新宿座[東京都]

1990年代は「へアヌード」のブームなどもあり、写真におけるヌード表現はより開放的な方向へ向かうのではないかと思われた。ところが、2000年代以降のネット社会の成立とともに、逆に裸体の露出に対して、自己規制を含めた圧力が強まっているように感じる。TVや新聞などでは、おとなしいヌード写真でも発表がむずかしくなってきているし、昨年8~9月に愛知県美術館で開催された「これからの写真」展に出品された鷹野隆大の作品「おれと」が、官憲の介入で画像の一部を布で覆って展示せざるを得なくなったことも記憶に新しい。
そんな中で、写真における「裸」の意味について、あらためて考え直そうという意図で企画されたのが「「裸って何? 現代日本写真家のヌードフォト2015」展である。出展者は大坂寛、金澤正人、菅野秀明、憬(Kay)、小林伸幸、小山敦也、今道子、白鳥真太郎、杉浦則夫、鈴木英雄、高井哲朗、谷敦志、東京るまん℃、中村 、中村成一、永嶋勝美、ハヤシアキヒロ、舞山秀一、水谷充、宮川繭子、村田兼一、山田愼二、善本喜一郎の23人。過激な緊縛写真の菅野秀明や杉浦則夫から、日本広告写真家協会会長の白鳥真太郎の「芸術的なヌード」まで、まさに百花繚乱の作品が並んでいた。プリントのクオリティにこだわる大坂寛や今道子の作品と、チープなデジタル写真が同居し、最年少25歳の宮川繭子は、プライヴェートな空間でのセルフヌードを披露した。写真家たちの年齢、経歴、作風はまったくバラバラ、表現の幅も驚くほど広い。逆にいえば、ヌードというテーマに潜む奥深さ、底知れなさが、極端に引き裂かれた写真群に露呈しているといえるだろう。
このような企画は、一回限りで終わるのはもったいない。回を重ね、さらに参加者の数を増やし、海外の写真家たちにもアピールしていけば、ヌード写真の冬の時代に、新たな展望が開けてくるのではないだろうか。

2015/08/25(火)(飯沢耕太郎)

蔡國強展:帰去来

会期:2015/07/11~2015/10/18

横浜美術館[神奈川県]

蔡國強の個展。日本国内では7年ぶりだという。世界的なアーティストの個展と聞けば、否が応でも期待値が高まるが、展示の実際は全体的に大味で、大いに不満が残った。
大味というのは、第一に、展示空間に対して作品の点数が少なすぎる点を意味しているが、むろんそれだけではない。より根本的には、出来事の結果としての作品が出来事そのものと照応していないように感じられたからである。
よく知られているように、蔡國強は火薬をメディウムに用いた平面作品を制作しているが、展示された平面作品はどれもこれも等しく凡庸であった。どうやら春画を主題にしているらしいが、春画のエロティシズムやユーモアは微塵も見受けられず、火薬の痕跡によってイメージの線や色面が構成されているということ以上の意味を見出すことは難しい。端的に言えば、火薬の爆発という出来事以外のイメージを呼び起こすことのない、じつに退屈な絵画だったのである。
だが重要なのは、その退屈さが火薬を爆発させて制作されたという事実と決して無関係ではないということだ。会場には同館の館内で実際に火薬を爆発させながら平面作品を制作した記録映像が展示されていたが、一瞬とはいえ強烈な光と音を放つ爆発のシーンには、誰もが刮目したにちがいない。けれども、その爆発を目の当たりにしたうえで、あらためて平面作品を見直してみると、そのイメージの貧しさに愕然とするほかないのである。あるいは、火薬の爆発が呼び起こすイメージの鮮烈さに、その結果としての絵画作品が醸し出すイメージが太刀打ちできないと言ったほうが適切かもしれない。少なくとも火薬絵画のイメージが爆発という出来事に匹敵するほど強力であれば、大味な印象を回避することができたのではないか。
むろん、ここには美術館という制度の限界がある。物としての作品を展示するために設計された美術館は、本質的に出来事としての作品を見せにくいからだ。アートプロジェクトの展覧会がプロセスを記録したドキュメントの展示に終始しがちなように、美術館は本来的に出来事を事後的に追いかけることしかできない。
しかしながら、かりに美術館にそのような本質的な限界があるにしても、であれば美術館そのものが出来事の現場になることはできたのではないか。つまり美術館の館内のささやかな爆発で満足するのではなく、美術館そのものや横浜の港湾地区を華々しく爆発させることは、むろんさまざまな行政的な制約はあるにしても、それこそこの優れた美術家の真骨頂だったはずだ。その可能性を誰もが夢想できるだけに、美術館内での小さな爆発は、よりいっそう大味に感じさせてしまうのである。

2015/08/24(月)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00031456.json s 10115148

烏丸由美「フェーシング・ヒストリーズ」

会期:2015/08/06~2015/08/23

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

イタリア在住 27 年の画家、烏丸由美の個展。太平洋戦争に関する様々な写真資料をソースに絵画化した、100 点以上の小品のタブローが空間にリズミカルに配置される。
戦前期に撮影された家族の記念写真、白馬にまたがる昭和天皇の肖像写真、特攻隊員の集合写真や遺書、原爆のキノコ雲や被爆直後の市街地など原爆に関する米軍の記録写真、原爆投下時刻で止まった時計、原爆の悲惨さを訴える原民喜や峠三吉の文学作品の一節…。いずれも小サイズの画面に規格統一され、エフェクトをかけたような線描でなぞり直されたアウトラインと、カラフルで美しい色彩で彩られることで、ある種の異化効果がもたらされ、「歴史」との距離感が増幅される。
だが違和感を覚えたのは、そうした画面の「美的な」処理ではない。「歴史に向き合う」と言った時、ここでの「歴史」には加害の側面がすっぽり抜け落ちているのであり、またプライベートな家族写真/公的な記録、日本/アメリカの視点の差異、それぞれの政治的主張の差異といった、本来、異なる媒体や目的において記録・制作されたものが等価なサイズへと規格統一され、平坦に均されていった先に、「被害の歴史」「祖国の悲劇」の物語へと集約され再生産されていくことに対して疑問を覚えた。

2015/08/22(土)(高嶋慈)