artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
増山たづ子「ミナシマイのあとに」
会期:2015/08/26~2015/09/27
2013年10月~14年7月にIZU PHOTO MUSEUMで開催された増山たづ子の「すべて写真になる日まで」展は、記憶に残る展覧会だった。巨大ダム建設で水底に沈むことになった岐阜県徳山村を、1977年から「ピッカリコニカ」で撮り始めた増山は、村が「ミナシマイ(終わり)」になった87年以降も撮影を続け、10万カット、500冊以上のアルバムを残した。IZU PHOTO MUSEUMでの展示は、2006年に亡くなった増山の遺品を管理する「増山たづ子の遺志を継ぐ館」の協力でおこなわれたもので、写真による記録の原点を提示するものとなった。
今回のphotographers’ galleryでの「ミナシマイのあとに」展は、その続編というべきもので、サービスサイズ~キャビネ判のプリントと増山の言葉がセットになって並んでいた。「イチコベエのおばあさん」を撮影した写真(1978年)に付された「『写真は後まで残るで』と身なりをととのえて正面を向いて下さった」といったキャプションを読むと、撮り手と被写体とが顔なじみであること、自分の生まれ育った村の地勢を熟知していることの強みが、写真にいきいきとした魅力を付与していることがよくわかる。
だが、今回の展示でより強い感銘を受けたのは、隣室のKULA PHOTO GALLERYで上映されていた映像作品の方だった。増山自身が録音した村民の歌をバックに、「ミナシマイのあと」に撮影された写真があらわれては消えていくスライドショーである。家々が取り壊され、家財道具が燃やされていく映像を見ながら、しきりに思い出していたのは、東日本大震災直後の被災地の光景だった。むろん開発と自然災害の違いはあるのだが、その眺めがあまりにも似通っていることに胸を突かれたのだ。増山の写真は決して過去の遺産ではない。それは震災以降、より生々しさを増しているのではないだろうか。
2015/09/01(火)(飯沢耕太郎)
村上仁一「雲隠れ温泉行」
会期:2015/08/31~2015/09/17
ガーディアン・ガーデン[東京都]
村上仁一は2001年に第16回写真「ひとつぼ展」でグランプリを受賞した。その後、日本各地の鄙びた温泉場を撮影し続け、2007年に写真集『雲隠れ温泉行き』(青幻舎)を刊行する。2015年には、その改訂決定版というべ『雲隠れ温泉行』がroshin booksから出版された。本展はそれにあわせて、「ひとつぼ展」の入賞者の作品をガーディアン・ガーデンであらためて展示する「The Second Stage」の枠で開催された展覧会である。
村上の写真を見る者は、1960~70年代に撮影された光景と思うのではないだろうか。北井一夫の『村へ』(1980年)や橋本照嵩の『瞽女』(1974年)、あるいはつげ義春の温泉宿をテーマにした漫画などを思い出す人も多いだろう。だが、そのアレ・ブレ・ボケのたたずまい、いかにも昭和っぽい被写体の選び方、切りとり方は、村上の編集力による所が大きいのではないかと思う。それもそのはずで、村上はカメラ雑誌の現役の編集者であり、日本の写真家たちが積み上げてきた写真の選択、構成の手法をしっかりと学び取ることができる立場にいる。それは今回の展示にもよくあらわれていて、B全の大判デジタルプリントと、より小さいサイズの手焼きのプリントを巧みに組み合わせて会場を構成していた。コンタクトプリントを拡大して壁に貼ったり、これまで自分が編集してきた書籍や写真集の校正刷りの束をテーブルに置いたりする工夫もうまくいっていたと思う。
とはいえ、このシリーズには単純な70年代写真へのオマージュに留まらない魅力がある。村上は「ひとつぼ展」でグランプリ受賞後、「諸々のことがうまくいかず」実際に各地の温泉場に「雲隠れ」していた時期があったようだ。誰でも身に覚えのある、不安や鬱屈の気分は、このような写真の形でしか表現できないのではないのかという説得力があるのだ。編集者と写真家の二刀流ということでは、桑原甲子雄のことが思い浮かぶ。名作『東京昭和十一年』(1974年)を発表後も、編集やエッセイの仕事を続けながら淡々と街のスナップを撮り続けた桑原に倣って、村上も写真を撮りため、発表していってほしい。
2015/08/31(月)(飯沢耕太郎)
堂島リバービエンナーレ2015 テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー──同時代性の潮流
会期:2015/07/25~2015/08/30
堂島リバーフォーラム[大阪府]
4回目の堂島リバービエンナーレ。大阪市の中心街にある堂島リバーフォーラムを会場に催されている典型的な都市型の国際展である。だが市民参加や祝祭性の演出、あるいは他ジャンルとのクロスカルチャーなどには脇目もふらず、あくまでもコンテンポラリーアートの王道を追究する姿勢が、他の都市型の国際展とは一線を画している。
事実、今回出品したアーティストはいずれも現代美術のハードコア。近年再評価の機運が高まりつつあるThe PLAYをはじめ、島袋道浩や下道基行、サイモン・フジワラなど、国内外から15組が参加した。映像を投影した広大な床一面に鑑賞者を導き、音と映像の流動性を全身で体感させた池田亮司のサウンド・インスタレーションなど見どころも多い。
ひときわ異彩を放っていたのは、スーパーフレックスの《水没したマクドナルド》。第3回恵比寿映像祭でも発表された作品だが、今回の展示場所が地下空間だったせいか、よりいっそう不穏な雰囲気が醸し出されていた。映像に映されているのは、日頃見慣れたマクドナルドの店舗。人影は一切見当たらないが、電気が煌々と灯され、食べかけの商品も残されているので、人の気配はそこかしこに漂っている。すると、どこからともなく水が侵入してきて、テーブルに残された商品や椅子などを呑み込みながら、徐々に水位を上げていく。やがて店内に設置されたドナルドの立体像が水面を漂い始めるほど、店内は大量の水で満たされる、という作品だ。
恵比寿映像祭で発表されたのは、東日本大震災直前の2011年2月。むろん当時も津波を連想させないことはなかったが、現在改めて見直してみると、津波という直接的な連想より、むしろ資本主義社会の消費文明を想起した。水の中を漂う商品や器物は、自然災害の被災者というより、むしろ資本主義社会の束縛から解き放たれた多幸感にあふれているように見えたからだ。水という自然の力に身を委ねることによって、資本主義という重力から逃れていると言ってもいい。この作品は一見すると消費文明の成れの果てのデストピアを描いているようだが、実は逆に消費文明の先に到来するユートピアを表現しているのではないか。
2015/08/28(金)(福住廉)
画鬼暁斎──幕末明治のスター絵師と弟子コンドル
会期:2015/06/27~2015/09/06
三菱一号館美術館[東京都]
なぜ三菱一号館で暁斎の展覧会を開くのか、というのは会場に入ってみればわかる。三菱一号館(のオリジナル)を設計したジョサイア・コンドルが暁斎に弟子入りし、絵を学んでいたからだ(逆に暁斎はコンドルから西洋絵画について教わったという)。そのため展覧会の序盤は、コンドルによる建築の設計図や暁斎ゆずりの水墨画、日本研究の書籍なども出品され、まるで2人展。ところが中盤以降はおびただしい量の暁斎作品に圧倒され、結果的にコンドルは付け足しだったか、みたいな印象は否めない。もちろんコンドルが出ていたおかげで展覧会に厚みが増したのは事実で、とくにコンドル設計の上野博物館(東博の前身)の遠景図と、その上野博物館も描かれた暁斎の上野の山のパノラマ的錦絵との比較などは、同展ならではの芸当だ。それにしても暁斎はすごい。雪舟ばりの山水画から、鳥獣を描いた水墨画、モダンな舞台絵、風俗画、妖怪図、春画まであり、そのレパートリーの広さ、器用さが幸いして、暁斎を近代美術史の傍流に押しやることにもなったようだ。また、ひと回り下の“最後の浮世絵師”と呼ばれた小林清親に比べると、清親が近代的なモチーフとスタイルを浮世絵という形式に融合させたのに対し、暁斎は明治なかばまで生きたにもかかわらず絵は江戸のままだったことも、時代に埋もれた要因かもしれない。しかしこういう激動の時代を生きたマージナルなアーティストというのがいちばんおもしろい。
2015/08/28(金)(村田真)