2024年03月01日号
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artscapeレビュー

増山たづ子「ミナシマイのあとに」

2015年10月15日号

会期:2015/08/26~2015/09/27

photographers’ gallery[東京都]

2013年10月~14年7月にIZU PHOTO MUSEUMで開催された増山たづ子の「すべて写真になる日まで」展は、記憶に残る展覧会だった。巨大ダム建設で水底に沈むことになった岐阜県徳山村を、1977年から「ピッカリコニカ」で撮り始めた増山は、村が「ミナシマイ(終わり)」になった87年以降も撮影を続け、10万カット、500冊以上のアルバムを残した。IZU PHOTO MUSEUMでの展示は、2006年に亡くなった増山の遺品を管理する「増山たづ子の遺志を継ぐ館」の協力でおこなわれたもので、写真による記録の原点を提示するものとなった。
今回のphotographers’ galleryでの「ミナシマイのあとに」展は、その続編というべきもので、サービスサイズ~キャビネ判のプリントと増山の言葉がセットになって並んでいた。「イチコベエのおばあさん」を撮影した写真(1978年)に付された「『写真は後まで残るで』と身なりをととのえて正面を向いて下さった」といったキャプションを読むと、撮り手と被写体とが顔なじみであること、自分の生まれ育った村の地勢を熟知していることの強みが、写真にいきいきとした魅力を付与していることがよくわかる。
だが、今回の展示でより強い感銘を受けたのは、隣室のKULA PHOTO GALLERYで上映されていた映像作品の方だった。増山自身が録音した村民の歌をバックに、「ミナシマイのあと」に撮影された写真があらわれては消えていくスライドショーである。家々が取り壊され、家財道具が燃やされていく映像を見ながら、しきりに思い出していたのは、東日本大震災直後の被災地の光景だった。むろん開発と自然災害の違いはあるのだが、その眺めがあまりにも似通っていることに胸を突かれたのだ。増山の写真は決して過去の遺産ではない。それは震災以降、より生々しさを増しているのではないだろうか。

2015/09/01(火)(飯沢耕太郎)

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