2019年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

VOCA展2019 現代美術の展望─新しい平面の作家たち

会期:2019/03/14~2019/03/30

上野の森美術館[東京都]

今年のVOCA賞は、金属板にグラフィティしたり、その表面を研磨して立体的なイリュージョンを醸し出す東城信之介の《アテネ・長野・東京ノ壁ニアルデアロウ摸写》。金属板の表面を研磨した作品はもう1点あって、三家俊彦の《Dream#4》がそれだが、比べてみると東城のほうが重層的で「絵」になっていることがわかる。VOCA佳作賞の遠藤薫は、ベトナムで雑巾を買って市場で古雑巾と交換し、その古雑巾を縫い合わせてつくった大きな平面を出品。そういう手続きを経ているので「ただの雑巾」でないのは確かだが、それでも少しずつ権威を帯びてきた感のある「VOCA展」のホコリを払拭するくらいの機能はあるだろう。

VOCA展の出品規定は250×400センチ以内の大きさで、奥行き20センチ、重さ80キロ以内の「平面」またはそれに準ずるものであれば原則的に受け入れる。そこに挑戦してくる作品も見どころのひとつだ。関川航平は壁に棚をつくってカラフルな積み木を積み上げ、9本の小さな塔を建てた。これは立体またはインスタレーションだが、巧妙にも積み木の表面に詩のような文字を彫っているため正面性があり、平面に準ずる作品と解釈できる。すぐ倒壊しそうな危うさも魅力だ。2階の奥に進むと、仮設壁を立てて入りにくくしているエリアがあって、その奥に1点だけ絵が飾られている。ずいぶん特別待遇だなと思って見ると、笹山直規の《Lines of Death》という死体を描いた絵だった。作品の物理的条件ではなく、死体とか猥褻とか政治的または宗教的な理由ではねられてきた作品はこれまでにもあったかもしれないが、こうした際どい作品はますます増えていくような気がする。

2019/03/13(水)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00047883.json s 10153406

奥山由之「白い光」

会期:2019/03/07~2019/04/15

キヤノンギャラリーS[東京都]

会場の入り口で小型のフラッシュライトを渡される。中に入ると真っ暗で、そのライトで照らし出しながら写真を見るというのが、今回の奥山由之の展示のコンセプトだ。入場制限があり、一度に3人しか会場に入れない。あまり人が多すぎると、ライトが交錯して写真を見る行為に集中できないからだという。

このような趣向を凝らした展示のやり方は、けっして嫌いではない。奥山が会場に掲げたコメントで述べているように、現代社会では「空間のみならず自己を取りまく全ての情報や環境を照らし出す」ような状況が蔓延しており、「視えることで見えなくなったもの」がたくさんあるからだ。今回のインスタレーションは、むしろ見えにくくすることで、作品をより注視することができるようになるのではないかという奥山の真摯な問いかけでもある。

ただ、本展に出品された「白い光」という作品についていえば、そういうトリッキーな見せ方がよかったかどうかはやや疑問がある。じつは、僕はこの作品を昨年12月の全国カレンダー展の審査の時に見ている。審査員たちから高い評価を受けたその「気仙沼漁師カレンダー2019」は、奥山が何度も漁船に乗り組んで撮影したもので、漁業に従事する男たちのエネルギッシュな作業の様子と、潮風の匂いを感じさせるような海上の雰囲気をストレートに捉えた写真で構成されていた。

今回のインスタレーションの意図として、「漆黒の闇を進む。聞こえるのは、波の呼吸とエンジン音」という撮影時の状況を、観客に追体験させるということがあったのではないかと思う。それには確かに成功しているのだが、「気仙沼漁師カレンダー」の時のようなオーソドックスな見せ方のほうが、伝わるものが多かったのではないだろうか。ライトで照らし出す展示は、やはりそのことに気をとられ過ぎてしまって、写真をしっかりと受けとめることができにくくなるからだ。この展示の仕方は、むしろ別の機会にとっておいてもよかったかもしれない。

2019/03/12(火)(飯沢耕太郎)

Uma Kinoshita / 矢作隆一「Pairing FUKUSHIMA 写真家と造形作家による二人展

会期:2019/03/01~2019/03/30

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

今年も「3・11」が巡ってきた。東日本大震災から8年目ということで、生々しい記憶が薄れつつあることは間違いないが、アーティストたちにとっての「3・11」はむろんまだ継続している。東京・広尾のエモン・フォトギャラリーでは、震災と原発事故に触発された「写真家と造形作家による二人展」が開催された。

Uma Kinoshitaは震災の3年後に福島を訪れて撮影した写真を、福島県でつくられた手漉き和紙に焼き付けている。被災地の光景は注意ぶかく選ばれており、特に「Homeland」と題された、樹木と墓の写真を何種類かの和紙にプリントしたシリーズには、その繊細な明暗とテクスチュアへのこだわりがしっかりと表現されていた。それぞれの写真には作家自身が執筆したというテキストが添えられている。「誰もいないの?」/「いないね」/「どうして?」/「住めなくなったんだな 故郷なのに」/「故郷?」/「帰りたいと思える 帰る場所のことだよ」という具合に、会話体を活かしたテキストも、よく練り上げられたものだ。ただ、作者の立ち位置がやや曖昧なので、なぜ、いま福島の写真なのかという問いかけに完全に答えきっているようには見えなかった。

メキシコ在住の矢作隆一は、石のフォルムを、石彫の技術を駆使して別な石でそっくりそのまま再現する「模石」という手法で作品を発表してきた、いわば、石の立体写真という趣の作品だが、今回は福島県の浪江町と富岡町で拾ってきた石を、メキシコ唯一の原子力発電所がある場所で採取した石を使って「模石」している。その表現意図は明確だが、むしろそれよりも、一方は何万年という時間を経て形成され、一方はせいぜい数週間という単位でつくられた2つのそっくりな石が並んでいる、そのたたずまいに惹きつけられる。なんの変哲もない小石に秘められた、時間のドラマを感じないわけにはいかないからだ。

二人のアーティストの作風はかなり違っているが、「二人展」の面白さは、そこに思いがけない共時性が生まれてくることだろう。その点では、今回の展示はうまくいっていたのではないかと思う。なお、本展は4月30日~5月12日に、KYOTOGRAPHIEのサテライト展示、KG+の一環として、京都・四条のギャラリー・マロニエ スペース5に巡回する。

2019/03/11(月)(飯沢耕太郎)

ラファエル前派の軌跡展

会期:2019/03/14~2019/06/09

三菱一号館美術館[東京都]

ラファエル前派の展覧会だが、冒頭はターナーとジョン・ラスキンの素描が何十点も続く。同展はラスキンの生誕100年を記念する展覧会だから仕方がない。いささか退屈だが、この理論家の素描がこれだけたくさん見られるのは貴重だ。続いて、ラスキンの思想に共鳴し、ラファエル以前の自然に忠実な時代に戻ろうという画家たちの集まり、ラファエル前派の登場となる。

でも自然に忠実にといいながら、同時代のフランスのレアリスムと違って、中世の伝説などをモチーフに甘美で不自然な絵を描いていたように見える。出品作品には水彩画も多いが、水彩と油彩の違いもあまり感じられず(つまり油絵らしさに乏しい)、どっちかというと絵画芸術というより「イラスト」に近い。ロセッティの女性肖像画など夢見る少女イラストだ。それだけに大衆受けはするだろうが、モダンアートの流れに逆行するため美術史の傍流に位置づけられていたのだ。まあ主流よりも傍流のほうがおもしろいという見方もあって、ラファエル前派が受ける理由は案外そんなところにあるのかもしれない。たとえばアーサー・ヒューズの《ブラッケン・ディーンのクリスマス・キャロル―ジェイムズ・サリート家》や、ウィリアム・ダイスの《初めて彩色を試みる少年ティツィアーノ》などは、一種のキッチュとして楽しむことができる。

2019/03/11(月)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00047934.json s 10153405

福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ

会期:2019/03/01~2019/05/26

東京国立近代美術館[東京都]

福沢一郎というと、戦前シュルレアリスムを採り入れた奇妙な絵を描き、開戦直前に瀧口修造とともに検挙され、釈放後一転して戦争画に手を染め、敗戦後は大作の群像を描いた画家、くらいの知識しかなかった。この回顧展は、まさにそんなありきたりのイメージを払拭するために企画されたもの。
個人的な体験をいうと、ぼくは子供のころ家にあった画集に載っていた福沢の《よき料理人》がさっぱり理解できず、しゃくに障ったことを覚えている。実はそのとき、意味がわからないだけでなく、生意気にも見た目に色が地味で、絵もあまりうまくないなと感じたものだ。今回《よき料理人》を含むパリ滞在時の初期作品を見て、やっぱりあまりうまくないという印象は変わらなかった。特に人物が無表情で、苦手としていたんだろうな。これは彫刻をやっていたせいかもしれないし、シュルレアリスムの手法ゆえかもしれない。
しかし帰国後の作品を見るとそんなことは気にならなくなる。長いこと日本を離れていたせいか、浮世絵風の女性を描いた2点は奇天烈だし、《牛》や《人》は絵として力強いだけでなく批評精神が秘められているし、《風景》や2点の《花》は靉光を彷彿させる独特の空気感がある。そして軍に委嘱された作戦記録画の《船舶兵基地出発》。これは本気で描いたのか? この絵は戦争映画の宣伝用写真に基づいて描かれていることが判明したが、それは誰でもやっていたこと。それより戦争画だけに、誰にも気づかれないように巧妙に批判的な細工を施したかもしれないし、逆に大真面目に描いたのかもしれない。いずれにせよこの戦争画が彼の長い生涯のちょうど半分、つまり人生の折り返し点で描かれていることは示唆的だ。

敗戦後は《世相群像》をはじめ、代表作ともいえる《敗戦群像》など群像の大作を何点か手がける。50年代には中南米旅行で得たプリミティブな色彩と形態、60年代のアメリカ旅行では抽象表現主義に感化されたが、いずれも完全に染まることなく、再び社会的な風刺を利かせた群像の大作に戻っていく。《トイレット・ペーパー地獄》《ノアの方舟》《倭国大いに乱れる》《倭国内乱》、そして最晩年の《悪のボルテージが上昇するか21世紀》などだ。まるで美術界のリーダーとしての義務であるかのように、社会に警鐘を鳴らす大作を描き続けたようにも見える。その意味ではこれらも、戦後の戦争画といえるのではないか。

2019/03/11(月)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00047956.json s 10153404

文字の大きさ