2019年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

BankART AIR 2019 オープンスタジオ

会期:2019/05/31~2019/06/09

BankART Station、 BankART SILK[神奈川県]

みなとみらい線の新高島駅に直結するBankARTの新スペースBankART Stationと、関内のシルクセンター1階にオープンしたBankART SILKの2カ所をアーティストたちに活動の場として提供、計31組60人以上が2カ月間制作し、その成果を見せている。BankART Stationのほうは人工光に照らし出された新しい地下空間、BankART SILKのほうは坂倉準三設計のモダンなオフィス空間で、どちらも古い倉庫を利用したBankART Studio NYKのような強固なたたずまいはなく、制作のとっかかりが少なそうな雰囲気。そんなわけで、この場所自体を主題にしたり、空間そのものから発想した作品は少ない。

おもしろかったのは、この地下空間から地上にはい出て、更地に1坪程度の白い小屋を建て、内部を真っ黒に塗って四方の壁に小さな穴を開けたカメラ・オブスクラをつくった細淵太麻紀のプラン。カメラ・オブスクラ自体は珍しいものではないが、照明を消せば真っ暗な地下のスタジオを出て日光の下でわざわざブラックボックスをこしらえるというのは、ある意味コミカルなリプレイスメント・プロジェクトと捉えることもできる。ということは逆に、BankART Stationの空間自体を巨大なカメラ・オブスクラに見立てることも可能かもしれないという思考実験でもあるはずだ。

で、実際に中に入れてもらった。まずは地上に出て、日産、資生堂、京急などのビルを横目に見ながら1ヘクタールはあろうかという雑草の生い茂る更地に入り、ブラックボックスの中へ(こうしたプロセスが重要だ)。内部は完全な闇で、ピンホールを開けると反対側の壁に倒立像が映る……はずだが、小雨で光量が少ないせいかすぐには映らず、2、3分してようやくうっすら光が見え始める程度。全体像が浮かび上がるには(つまり目が闇に慣れるまで)5分以上かかった。撮影するときも相当の時間がかかるそうだ。ピンホールは4面の壁にひとつずつ開けられているので、四方向すべてを撮影することができる(ただし開けるのはひとつずつ)。

闇の中でふと思い出したのは、元ひきこもりのアーティスト渡辺篤が、光を閉ざした箱に1週間ほど閉じこもったこと。この小屋に閉じこもって倒立した世界を見ていたら、どんなひきこもり人間が生まれるだろう。

2019/06/07(金)(村田真)

荒木経惟「梅ヶ丘墓情」

会期:2019/05/25~2019/06/15

タカ・イシイギャラリー東京[東京都]

1994年のタカ・イシイギャラリーのオープン以来、同ギャラリーで開催されてきた荒木経惟の個展は今回で27回目になるという。彼の誕生日である5月25日からスタートする展示もすっかり恒例になった。

今年の展覧会のタイトルの「梅ヶ丘墓情」は、彼が現在住んでいる小田急線の駅名にちなむ。自らの生と写真とを縒り合わせるように作品を発表してきた荒木にとっては、ごく自然な発想と言えそうだ。だが、「東京」のような広がりのある地名をタイトルにすることが多かったことを考えると、より狭い地域に限定されていることが気になる。というのは、展示作品のうちほんの数点を除いては、ほとんどの写真がマンションの自室と屋上だけで撮影されているからだ。むろん荒木には、以前住んでいた豪徳寺のマンションの屋上を撮影し続けた『愛のバルコニー』(河出書房新社、2012)という名作があり、つい先日もJCIIフォトサロンで同名の展覧会が開催されたばかりだ。ビザールな人形たちをそこここに配置した今回のシリーズも、その延長上の作品と見ることができる。だが、以前の「バルコニー」シリーズに溢れていた、グロデスクで、ユーモラスで、悪戯っぽい「奇想」のオンパレードは、今回のシリーズではほとんど影を潜めている。むしろそこから感じられるのは、しんと静まりかえった、無味、無臭、無音の情景であり、じわじわと滲み出てくる寂寥感だ。

その肌合いの違いが「体力が日増しに衰え、外出を控えることが多くなった」(広報用リーフレット)という、現在の彼の生活の状況に由来しているのは間違いない。以前に比べて、タナトスの影が大きくせり出し、すべての写真を薄膜のように覆っている。それを創作意欲の衰えと見ることも、あながち間違いではないだろう。それでも、写真を一枚一枚見ていくうちに、この悲哀に満ちた眺めもまた、心揺さぶるものであることを受け容れざるを得なくなる。荒木がこれから先、どれだけ個展を開催できるのかはわからない。だが、最後まで見続けていこうと思う。

荒木経惟 「梅ヶ丘墓情」、2019、RP プロクリスタルプリント © Nobuyoshi Araki / Courtesy of Taka Ishii Gallery

2019/06/07(金)(飯沢耕太郎)

「明治に生きた“写真大尽” 鹿島清兵衛 物語」

会期:2019/06/01~2019/08/31

写真歴史博物館[東京都]

日本の写真史を彩る人物たちの中で、最も心そそられるのが誰かといえば、もしかすると鹿島清兵衛かもしれない。清兵衛は東京・新川の酒問屋、鹿島屋の養子で、店の財産を写真の趣味に費やし、最後はとうとう離籍されて、若い頃に習い覚えた笛の囃子方にまで落ちぶれて生涯を終えた。ロシア公使と張り合って身請けしたという新橋の名妓、ぽん太とのロマンス、富士山の写真を巨大サイズに引き伸ばして宮内省に献上し、歌舞伎の名優、九代目市川団十郎の等身大の舞台写真を撮影するなど、“写真大尽”の華やかな前半生と零落後の後半生との鮮やかな対比は、小説や芝居の格好の題材となるだろう。実際に森鷗外が『百物語』(『中央公論』反省社、1911)で、また白洲正子が『遊鬼──わが師 わが友』(新潮社、1989)で、清兵衛を小説の中に登場させている。だが、肝心の鹿島清兵衛の写真がどんなものだったのかを確認する機会はそれほど多くない。古写真研究家の井桜直美が企画・監修した今回の展覧会は、その意味で貴重なものといえるだろう。

残念ながら、宮内庁所蔵の「富士山の図」(1894)をはじめとして、オリジナル写真の借用はむずかしく、出品作品のほとんどは複製である。だが、最近のデジタル複写の技術の進化によって、実際の作品にかなり近い印象を与えることができるようになった。そこから見えてくる清兵衛の写真家としての力量が、かなり高いものであったことは間違いない。技術的にしっかりしているだけでなく、被写体をゆったりとした構図におさめた、堂々たる風格を感じさせる作品が多い。残念なことに会場が狭いので、出品点数も限られるし、ほかの同時代の写真家たちと比較するような展示もむずかしい。できればもう少し広い会場で、明治後期の写真をまとめて見る機会があればいいと思う。鹿島清兵衛のような「素人写真家」の登場によって、日本の写真表現がどのように展開していったのかは、とても興味深い問題提起になるはずだ。

2019/06/07(金)(飯沢耕太郎)

ジェン・ボー「Dao is in Weeds 道在稊稗/道(タオ)は雑草に在り」

会期:2019/06/01~2019/07/15

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

北京出身で、香港を拠点に活動し、ソーシャリー・エンゲージド・アートにおいて世界的に注目を集める作家、ジェン・ボーの個展。「植物、雑草」を基軸に、被差別部落、性的マイノリティ、植民地支配といった周縁化された事象に光を当てる作品群が展開された。


ジェンは本展に先立ち、京都市立芸術大学の移転予定地である崇仁地域で滞在調査を行なった。1階の展示室は寺子屋風の設えがなされ、かつて被差別部落であった崇仁地域の「歴史を学ぶ場」として、水路による「境界線」が描かれた古地図、文献資料、街歩きの写真などが閲覧できる。また、建築家、生態学者、文化人類学者、歴史学者、活動家、美術家などさまざまな専門分野の人々が参加したワークショップの成果物として、「水平社宣言」を「植物も含む全ての種の平等」に拡張して書き換えた宣言文も展示された(鑑賞者も「新たな宣言文の起草案」を書いて参加でき、「開かれた学びの場」が仮設されている)。



会場風景
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts]



会場風景
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts]

一方、2階に展示された映像作品のシリーズ《Pteridophilia》(2016-)では、「植物」が、人間以外の生物種も含めて政治的意志決定の主体とみなす「生態熟議民主主義」の構成要員から、「性愛」のパートナーへと拡張される。作品タイトルは、「シダ」を意味する接頭辞「pterido-」と、「あるものに対する愛情または嗜好性」を意味する接尾辞「-philia」を組み合わせた造語。深い森のなかで、全裸の若い男性が、シダの葉を舌で愛撫し、葉の先端で自らの胸や性器を刺激し、激しい情交を交わす。シダが選ばれた理由は、受粉による受精やオス/メスの区別がなく、胞子による無性生殖を行なう「胞子体」が主体であるという特殊な生殖形態にある。《Pteridophilia》は、こうした「クィア」なシダ植物と「クィア」な人々との性愛を描くことで、ヘテロセクシャルという規範や人間/植物といった「種」の区別すら越境した、「新たな性愛のかたち」を提示した。



会場風景
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts]

だが、本作は、同じくシダを扱った《Survival Manual》(2015-16)と関連づけて見るならば、単にユートピア的なビジョンの提示に留まらない、別のさらなる政治性を帯びてくる。《Survival Manual》は、太平洋戦争末期の1945年3月に台湾で発行された日本語の本『台湾野生食用植物図譜』を、ジェンが手描きで模写した作品である。台湾でシダは、原住民に重要視された植物である一方、戦時中は日本軍が、終戦後には中国本土からの国民党が、食糧難に備えてシダを食用植物として用いた。こうした歴史を念頭において《Pteridophilia》を見るとき、オーガズムの高まりとともに口に含んだシダの葉を食いちぎり、噛みくだき、飲み込んで体内に取り込もうとする男性の姿は、植民地支配がまさにカニバリズム的な欲望の表出やレイプに他ならないこと、欲望のままに相手を食らい尽くす行為であることを突きつける。それはまた、植物、とりわけ無性生殖の胞子体であるシダを用いることで、支配者=男性/被支配者=女性という、単純化されたジェンダーの支配図式からも逃れることに成功している。


だが、極めて残念なことに、《Pteridophilia》の展示にあたっては、「日本の性表現規制に基づき」という文言とともに、映像の一部が暗転され、音声のみで展示されていた。近年国内で相次ぐ表現の規制や炎上を考慮し、「リスク回避」を優先させた処置だと思われる。背景にはホモフォビアもあるのではないか。問題は、「誰がその判断を下したのか」「作家側から異議や抗議はなかったのか」といった経緯や責任主体の所在が不透明化され、ブラックボックス化し、暗黙のうちに「決定事項」となっていることだ。「開かれた」作品を見せる(見せて民主主義的な場を演出する)ことよりも、表現規制があったことについての情報やプロセスの開示と「議論の場を開く」ことこそが問われているのではないか。

2019/06/02(日)(高嶋慈)

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筒井宏樹編『スペース・プラン 鳥取の前衛芸術家集団1968-1977』

発行所:アートダイバー

発売日:2019/04/15

スペース・プランとは、谷口俊(1929-)、フナイタケヒコ(1942-)、山田健朗(1941-)らによって結成された鳥取の芸術家集団である。1968年の「脱出計画No.1 新しい芸術グループ結成のために」という檄文をもって活動を開始したこの集団は、68年から77年にかけて、県内で計13回の展覧会を実施した。そのなかには、当時アメリカで勃興して間もないミニマリズム的な様式が数多く見られる。のみならず、その発表の場に選ばれた鳥取砂丘や湖山池青島での野外展示も、当時としてはきわめて先進的な試みであったはずだ。にもかかわらず、ほぼ一貫して鳥取を舞台としたこの芸術家集団の活動は、これまで専門家のあいだでもほとんど知られていなかった。その彼らの活動に光を当て、長期にわたる調査を経て本書を世に送り出したのは、ひとえに編者である筒井宏樹(鳥取大学准教授)の功績である。

本書の元になったのは、昨年鳥取で開催された展覧会「スペース・プラン記録展──鳥取の前衛芸術家集団1968-1977」(2018年12月7日(金)〜19日(水)、ギャラリー鳥たちのいえ)である。この展覧会は、前述のように一般には(あるいは専門家のあいだでも)知られざる存在であったスペース・プランの活動を紹介した、世界でもはじめての展覧会だった。筆者は幸いにしてこの展覧会を実見することができたが、2週間弱の会期のうちに、遠方から足を運ぶことのできた来場者はごく一握りだったのではないか。そうした事情も勘案すれば、同展に出品された多くの記録が、こうして一冊の図録としてまとめられたことの意義はかぎりなく大きい。

しかしそもそも、今あらためてスペース・プランという半世紀前の芸術家集団に注目する意義とは何なのか。そう訝しむ読者には、まずは編者による序論「スペース・プランとその時代」(6-11頁)の一読をすすめたい。そこでは、この地方の芸術家集団がなぜ68年という早い時期にミニマリズムへと接近しえたのか、そして、いかなる経緯により69年の鳥取砂丘での展示が可能になったのかが客観的な裏づけとともに語られる。なかでも、美術家・福嶋敬恭(1940-)を媒介とした、京都の「北白川美術村」とのつながりは興味深い。美術コレクターのジョン・パワーズの導きで64年に渡米した福嶋は、同地で兆しつつあったミニマリズムの萌芽をその目に収めている。その福嶋の中学時代の美術教師であったのが前述の谷口俊であり、その実弟が、同じくスペース・プランのメンバーであった福嶋盛人(1941-)であったというわけだ。北白川で聞いた福嶋の話に大きな衝撃を受けた谷口は、68年に《BLUE MEDIA》というミニマリズム的な作品を発表する。スペース・プランはこれを機に結成され、以後10年におよぶ数々の野外展示が実現されていった。

以上のエピソードは、関係者の多くが存命であるがゆえに可能になった、戦後美術の一側面を示す貴重な証言であろう。これ以外にも本書は、ひとりの研究者がいなければ確実に埋もれていたであろう、数々の貴重な資料に満ちあふれている。地方の前衛芸術家集団の再評価、ということで言えば、今から数年前に行なわれた「THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」(国立国際美術館、2016-2017)を連想させなくもない。その「THE PLAY」展と同じく本書のデザインを手がけた木村稔将は、スペース・プランにまつわる雑多な写真や文書を巧みに配することで、忘却からかろうじて救い出された過去の記録に新たな生を与えている。現代美術における「地域性」や「コレクティヴ」があらためて問いただされる昨今の状況に鑑みれば、本書の刊行はまことに時宜を得たものであると言えよう。

2019/06/01(土) (星野太)

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