2019年10月15日号
次回11月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

太田喜二郎と藤井厚二 日本の光を追い求めた画家と建築家

会期:2019/07/13~2019/09/08

目黒区美術館[東京都]

洋画家の太田喜二郎と建築家の藤井厚二の交流に焦点を当てた展覧会である。交流が生まれた場所は、大正時代の京都帝国大学。二人とも欧米滞在の経験を持つことや、自然光を自作に積極的に採り入れたことなどの共通点が語られているが、二人の接点として注目すべきは、太田邸の設計を藤井が手がけたことだろう。この太田邸をはじめ、藤井は初期を除けば住宅建築に力を注いだ建築家であった。何しろ、「其の国を代表するものは住宅建築である」という名言を残したとまで言われている。太田邸の設計では、アトリエに北側採光をうまく取り入れたとのことで、非常に納得した。私の取材経験からすると、画家は北向きのアトリエを好む傾向にある。北側からの光は優しく、安定しているからだ。強い光から絵画を保護するという意味もあるのだろう。

《太田邸模型》(2019)
[制作:二星大暉/協力:松隈洋研究室、京都工芸繊維大学/撮影:市川靖史]


藤井厚二《太田邸新画室(アトリエ)》(1924竣工、1931増改築)
[写真:古川泰造/写真提供:竹中工務店]

もともと、藤井は、竹中工務店に勤務していた経歴を持つ。その際に朝日新聞大阪本社などの設計を担当し、同社設計部の基礎を築いた。同社を退社後、欧米視察を経て、京都帝国大学工学部建築学科で教鞭を執る。同時に日本の住宅建築を環境工学の視点から考察し、依頼があれば設計を手がけた。太田邸はそのひとつというわけだ。何より藤井の集大成と言うべき研究が、5回にわたり建てた実験住宅(自邸)である。

第5回目の実験住宅は《聴竹居》と呼ばれ、後に建築家の自邸として初めて重要文化財にもなった。本展では、《聴竹居》が写真や模型、図面などでつまびらかにされている。これが見事に計算し尽くされ、細部に至るまで凝っていて驚いた。例えば居室(リビング)にはテーブルと椅子、ソファが設えられているのだが、その奥には小上がり的に床の間も設えられている。床の間を「簡素な装飾」ととらえたのだ。しかも椅子座の人と、床座の人との目線の高さを合わせている。欧米視察の際に見聞きした西洋様式を取り入れながらも、日本の気候風土や日本人の身体感覚に適した住宅のあり方を追求した、藤井らしい斬新な発想である。また玄関扉の装飾から、造り付け家具、照明器具、時計など、ありとあらゆる室内装飾の設計までも手がけており、これはまさしく工芸的な住宅と言えた。もちろん財力があり、自邸だからこそ実現できたことだろうが、現代の住宅建築でこれほど手を尽くせるだろうか。ある意味、究極の贅沢を見たような気がした。

藤井厚二《聴竹居》重要文化財(1928)
[写真:古川泰造/写真提供:竹中工務店]


公式サイト:https://mmat.jp/exhibition/archive/2019/20190713-64.html

2019/08/08(杉江あこ)

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あいちトリエンナーレ2019 情の時代(開催7日目)

会期:2019/08/01~2019/10/14

愛知県芸術文化センター+四間道・円頓寺+名古屋市美術館ほか[愛知県][愛知県]

4回目の愛知県芸術文化センターでは、「表現の不自由展・その後」の中止に抗議し、韓国の作家2名の部屋が閉鎖され(いずれも北朝鮮を扱う作品)、さらにもぎとられたようで痛々しい。とはいえ、何度か通っても、映像の作品が長いので、まだ全部を見ることができないくらいのヴォリュームがある。



イム・ミヌク《ニュースの終焉》の展示中止を伝える説明パネル


パク・チャンキョンによる、北朝鮮の少年兵を連想させる作品《チャイルド・ソルジャー》も展示中止に

10階の田中功起の作品は、大きな展示室に批評的に介入する空間インスタレーションも興味深いが、鑑賞するのにかなり時間がかかる映像が素晴らしい。今回のトリエンナーレでは、家族や移民など、アイデンティティをめぐる作品が多いが、これも日本に暮らす混血・多国籍のメンバーが互いの記憶や経験を語りあいながら、共同作業によって抽象画を描く試みである。あからさまなプロパガンダではない。しかし、確実に、いま起きている事態への静かな抵抗にもなっている。



田中功起《抽象・家族》の展示風景より


田中功起《抽象・家族》の展示風景より

この日は、展示室からも怒号が聞こえ、後で出入口に行ったら、バケツで水をまいていた人がとりおさえられていた。津田監督のトークイベントも当面は中止か、延期になっており、事態が落ち着き、今回の件をじっくりと説明・議論できる場が設けられ、再開への道を探ることを期待したい。そもそも「不自由展」が展覧会の中のミニ展覧会であり、さまざまな作品の共通点は、過去に排除されたことがあることだけだ(例えば、Chim↑Pom(チンポム)は「福島」や「放射能」の言葉が入っているだけでNGに)。そうした基本的な情報すら理解されず、少女像や天皇の肖像を用いた作品の背景も、まったく理解されていない。芸術の政治利用と批判されているが、作品の一部だけを切り取り、もはや政治が芸術を利用している状態である。しかもメディアが政局化を煽るという最悪のパターンだ。

今回のトリエンナーレはオペラをやめて、ポピュラー音楽にシフトしたが、その目玉となるのが、サカナクションの『暗闇 -KURAYAMI-』である。タイトル通り、ホールの照明をすべて消し、ライブを行なうものだ。かつてゲーテが音楽を鑑賞する際、演奏者の姿が邪魔になると述べたこと、また大きな壁でメンバーが隠されたピンク・フロイドの『ザ・ウォール』のライブなどを想起させる。なるほど、これだけの大空間が本当の闇になると凄い。視覚を遮断することによって、さらに音が立体的になり、音が身体を包み、音が空気の振動で直接に触ってくる実験的な体験だった。「不自由展」も、目に見える部分だけで条件反射しているのではないか。アートには制作者の思想があり、それを切り離して考えることはできない。

公式サイト:https://aichitriennale.jp/

2019/08/07(水)(五十嵐太郎)

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木藤富士夫 写真展「公園遊具 playground equipment」

会期:2019/08/07~2019/08/20

銀座ニコンサロン[東京都]

木藤富士夫は1976年、神奈川県生まれ。2005年に日本写真芸術専門学校を卒業後、フリーランスの写真家として活動し始めた。2006年からずっと撮影しているのが、各地の公園に設置されているコンクリート製の遊具である。タコや象の形の滑り台をよく見かけるが、木藤が今回発表した47点の作品を見ると、実に多様な種類があることに驚かされる。電話機、ロボット、魚の骨、巻貝、さらに鬼やガリバーまで、ありとあらゆる造形のオンパレードだ。むろん、子どもの興味を惹きつけるためのデザインなのだが、むしろ作り手の無意識の願望が形をとったような不気味さがある。

木藤の興味も、その百花繚乱のイマジネーションの乱舞に向けられているのではないだろうか。それを強調するために、彼は撮影の仕方にも工夫を凝らしている。撮影は夜におこなわれ、遊具を浮かび上がらせるために数100発から数1000発のストロボを発光させて、その輪郭や細部の質感をくっきりと浮かび上がらせる。最終的にそれらの画像を合成して、一枚のプリントとして完成させていく。結果的に、現実感と非現実感との両方を醸し出す、不思議な手触り感を備えた作品が成立してきた。デジタル化によって、これまでは撮影がむずかしかった状況をリアルに捉えることができるようになったが、本作もその成果のひとつといえそうだ。作品数はすでに200点近くになっているという。木藤はこれまで、8冊の小写真集を自費出版してきたが、そろそろ一冊にまとめる時期がきているのではないだろうか。

2019/08/07(水)(飯沢耕太郎)

新鋭作家展 あ、これ、ウチのことです。

会期:2019/07/13~2019/08/25

川口市立アートギャラリー・アトリア[埼玉県]

いちおう審査に関わったので内輪ネタになります。今回8回目を迎えた公募展だが、ただ作品を見て合否を判断するのではなく、1次審査で作品プランを検討し、2次審査で面接して2人に絞る。ここまではよくあるが、同展は地域性を重視するため、1年近く学芸員と相談しつつ現地を取材したり、住人たちと交わったりしながら作品を制作し、発表してもらうという大河ドラマのような流れなのだ。

今回選ばれたのは、蓮沼昌宏と上坂直の2人。パラパラマンガを手回しで見る装置「キノーラ」で知られる蓮沼は、ギャラリーに隣接する団地に住むおもに海外からの移住者に話を聞き、それをパラパラマンガに描き起こしてキノーラで見られるようにした。テーブルと椅子が年季が入っていると思ったら、閉店した団地内のレストランから運び込んだものだという。

美大で建築を学んだ上坂は、プラスチックの衣装ケースを何十個も積み上げて3棟の高層団地に見立て、引き出しのなかにミニチュアの靴や雑貨を置いたり、磨りガラスの奥で人影を動かしたりして部屋のように仕立てている。なんとなく団地の室内をのぞき見る感じ。動く人影も団地の住人の協力を得て撮影したものだそうだ。そんなわけで2人展のタイトルは「あ、これ、ウチのことです」。願わくば、団地の人たちがもっと見に来るように。

2019/08/07(水)(村田真)

江成常夫 写真展「『被爆』ヒロシマ・ナガサキ」

会期:2019/07/23~2019/08/19

ニコンプラザ新宿 THE GALLERY[東京都]

「ヒロシマ・ナガサキ」は多くの写真家たちによって撮影されてきた。土門拳の『ヒロシマ』(研光社、1958)のように記憶に食い込んでいる作品も多いし、江成常夫が今回展示した、広島や長崎の原爆資料館に保存されている被爆者の遺品や放射線を浴びた遺物も、東松照明、土田ヒロミ、石内都らが撮影している。その意味では、使い古されたテーマといえなくもないが、江成がここ10年あまり撮影し続けてきた写真群を集成した展示を見ると、その凄みに震撼させられる。

椹木野衣は、本展にあわせて刊行された写真集『被爆 ヒロシマ・ナガサキ いのちの証』(小学館)に寄せたテキスト「十字架の露光=被爆=暴露(エクスポージャ)──江成常夫のヒロシマ、ナガサキ」で、江成の写真の「触覚的」な特質について述べている。そこには、対象との距離が「ゼロ」になるような「触覚的な危機」の体験が、「いのちの証」として刻みつけられているというのだ。これまで原爆遺品、遺物の写真の多くはモノクロームで撮影されてきた。そこでは被写体が象徴的なイコンとして捉えられている。石内都の『ひろしま』(集英社、2008)はカラーで撮影されているが、彼女は遺品を宙を舞うようなあえかなイメージとして提示した。江成は、遺品、遺物にぎりぎりまで接近し、精密なカラー写真によってその物質性を「暴露」しようとする。その愚直ともいうべき撮影の仕方と、各写真に付された詳細な解説によって、われわれはまさに1945年8月6日と9日の、爆心地の地上で3000〜4000度、爆風の最大風速400メートル毎秒という恐るべきエネルギーの場に直面させられるのだ。なお、本展は8月29日〜9月11日にニコンプラザ大阪 THE GALLERYに巡回する。

2019/08/05(月)(飯沢耕太郎)

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