2019年11月15日号
次回12月2日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

戸谷成雄「視線体」

会期:2019/09/21~2019/10/19

シュウゴアーツ[東京都]

手前のギャラリーには岩石のような彫刻が9点並んでいる。どれも表面がジグザグに切り刻まれ、戸谷がチェーンソウで切り込みを入れた木の固まりであることがわかる。奥のギャラリーには中央に木の立方体が置かれているが、その各面は激しく切り込みを入れられ、かろうじて立方体を保っている。壁には、こうした作業過程で出た数百もの木っ端を斜めに幾条も並べている。この斜めに交差する線条はチェーンソウによる切り込みを表しており、われわれの視線はこうした切り込みに沿って動く。つまり視線は彫刻をなぞるわけで、逆にいえば彫刻は視線の集積によって生み出される。これがタイトルの「視線体」の意味だ。「彫刻」とはなにかを追求し続けてきた戸谷のひとつの答えだろう。

2019/10/01(火)(村田真)

シュテファン・バルケンホール展

会期:2019/09/07~2019/10/05

小山登美夫ギャラリー[東京都]

戸谷と同じく木彫ながら、戸谷とは違って具象の人体像をつくるのがドイツの彫刻家、シュテファン・バルケンホールだ。その特徴は、まず1本の木から台座ごと彫られた一木造であること。しばしば上の人物像より台座のほうが大きいこともある。二つめは、彫り跡のささくれを残すなど仕上げが粗いこと。そのため、彼がデビューした80年代にブームだった新表現主義の彫刻家と目された。三つめは、人物像のサイズが等身大より小さいこと。たまに大きいこともあるが、等身大ではない。四つ目は、人物が非個性的で無表情であること。作者はこれを「Mr. Everyman」と呼んでいるそうだ。五つ目は、表面を彩色していること。男性像は白いシャツと黒いズボン、女性像は赤い服という設定になっている。

これらの特徴から、バルケンホールが彫刻の伝統を重視しつつ拡張していることがわかる。また、これが人物彫刻である以前に、文字どおり木を彫った「木彫」であるという主張も伝わってくる。だから主題はだれでも、なんでもよく(ゆえにMr. Everymanなのだ)、極端に言えば人物像はトッピングに過ぎないのだ(もちろんトッピングがいちばん目を引く)。今回は彩色レリーフや、一刀彫のドローイングもあって、「彫刻」概念をどこまでも拡張してくれる。

2019/10/01(火)(村田真)

菅野由美子展

会期:2019/09/24~2019/10/12

ギャルリー東京ユマニテ[東京都]

菅野はここ10年と少し、カップや皿や瓶など器ばかりを描いている。最初はスルバランのように横に並べただけの静謐なものだったが、次第に棚が現れ、それがエッシャー空間のように複雑化し、にぎやかになってきた。今回は棚も床もなく、器が宙に散らばっているような静物画もある。いや、これは果たして静物画と呼ぶのだろうか。いちおう床置きの設定だろう、影はあるのだが、遠近感が無視され、奥の器も手前の器も同じ大きさに描かれている。あるいは、1枚の画面にいろんな器をそれぞれ別個に描き込んだともいえる。初期の頃は器の存在感を表象しようとしていたように見えるが、いまはその存在感を成り立たせる現実感が薄らいできているように感じる。この先どんな静物画が描かれるのか、楽しみのような、不安なような。

2019/10/01(火)(村田真)

大西みつぐ写真展「NEWCOAST2 なぎさの日々」

会期:2019/10/01~2019/10/19

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

大西みつぐは1980年代後半から90年第初頭にかけて、「NEWCOAST」と題するシリーズを撮影していた。「バブルの熱に浮かされた人々が戸惑いながらも居場所を求め、東京湾岸に集うようす」を、カラーフィルムの中判カメラで撮影したシリーズである。それから30年余りが過ぎて、「いったい風景の何が変わったのか? あるいはまた繰り返しの季節を迎えているのか?」と自問自答しながら、以前撮影したのと同じ葛西海浜公園の人工なぎさにカメラを向けたのが、今回の「NEWCOAST2 なぎさの日々」である。

全29点の写真のたたずまいに、それほど変化があるようには見えない。とはいえ、30年余りが過ぎるなかで、かつてはやや違和感があったアメリカ西海岸っぽい雰囲気が、それなりに身の丈に合ったものになっていることに気がつく。海浜公園での人々の振る舞いが、背伸びしなくても、日本人のライフスタイルと溶け合うようになってきているということだろう。大西のカメラワークも自由度が高まり、被写体との距離感を自在に調整することができるようになっている。それでも「なぎさの日々」には、日常からは多少ずれた「ハレ」の気分がまつわりついている。このシリーズには、大西の写真のメインテーマというべき「川」を中心とした東京の下町の情景とは一味違ったテンションの高さがある。大西は展覧会のリーフレットに「川(荒川)と海(東京湾)を行ったり来たりしながら写真家として生きてきた」と書いているが、その往還のプロセスから、今後も魅力的な写真群が生み出されていくのではないだろうか。

2019/10/01(火)(飯沢耕太郎)

小嶋崇嗣「PARFUM」

会期:2019/10/01~2019/10/06

KUNST ARZT[京都府]

消費社会において、物理的実体としての「商品」に付随する「脇役」を用いてジュエリーを制作し、さまざまな価値の転換を図る作家、小嶋崇嗣。本個展では、プラモデルのランナー(組み立て前のパーツを枠の中に固定・連結する棒状の部分)と、「シャネルN°5」の香水瓶の蓋、それぞれを用いた2つのシリーズが展示された。

プラモデルのランナーを素材に用いたブローチのシリーズでは、通常は組み立て後に捨てられる端材を「ジュエリー」に仕立てることで、「無価値なゴミ」を「高価な宝飾品」へと転換させる。いずれも、突起のついた棒を立体的に交差させた構築的なデザインだが、それぞれのカラーリングは、ガンダム、エヴァンゲリオンなど戦闘ロボットアニメのメカを想起させる。実体的な機体がなくとも、特徴的なカラーリングによって「キャラクター=商品」を識別させる。例えば、コンビニ各社が看板に用いるカラーバーをミニマル・ペインティングに擬態させた中村政人の作品のように、「色という記号の抽出によって、ブランドやキャラクターを非実体的に想起させる」という点で、二重の意味での消費社会批判となっている。加えてここでは、一般的には「男性向け」であるプラモデル(の端材)を、女性が身につけるジュエリーに作り変えることで、「商品に内在するジェンダー」を転倒させるという戦略性も指摘できる。



RUNNER_brooch [撮影:畔柳尭史(Polar)]


一方、「シャネルN°5」の香水瓶の蓋を用いたジュエリーのシリーズ《PARFUM》では、多面カットが施されたガラスの蓋を宝石に見立てて、ネックレス、リング、ブローチが制作されている。ガラスの蓋は爪留めでセットされ、留め具などのパーツもすべてシルバーで作られ、ジュエリー制作の技術が基盤にあることがうかがえる。香水瓶は、香水を販売するための容器だが、消費者の欲望を刺激するためのブランド戦略の象徴とも言える装置だ。小嶋は、実体的な商品そのもの(液体としての香水)ではないが、消費を促すための記号として商品価値を支える存在を「ジュエリー=商品」に変換するという転倒の操作によって、「私たちの欲望や価値を支えているものは何か」「付随的な周縁部分にこそ商品の本質が宿るのではないか」という問いをあぶり出す。だがここで、シャネル自身が実は「イミテーションの宝石」を売り出した事実を思い出すならば、単にパロディや引用による消費社会批判にとどまらない、批判とオマージュを兼ね備えた両義性を見出せるだろう。



model: TANI MAO


加えて本展の構成は、「(不在の)身体と記憶」へと言及する拡がりを持っている。「N°5」が発売されたのは1921年であり、約100年間、世代や時代を超えて無数の女性たちがこの香りを身につけてきた。小嶋の作品は使用済みの香水瓶を用いており、身にまとうと、見知らぬ誰かの残り香が漂う。ジュエリーに使用した蓋以外の瓶でつくったシャンデリアが天上から吊られ、「N°5」が発売された時代のクラシックな壁紙が張られ、ジュエリーの置かれた背後の壁には、鏡が長年置かれていたような跡が残る。消費社会への批判とともに、「かつて身につけていた女性」への想像を促す、親密な空間が立ち上がっていた。



会場風景 [撮影:畔柳尭史(Polar)]


2019/10/01(火)(高嶋慈)

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