2019年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

笠木絵津子「『私の知らない母』出版記念新作展」

会期:2019/06/10~2019/06/22

藍画廊[東京都]

笠木絵津子は2000年以降、「戦前の東アジアに生きた私の母の半生を、古い家族写真と私が現地に赴いて撮影した現在写真を交錯させて描いたデジタル作品シリーズ」を発表し続けてきた。昨年、母の死から20年を迎えたことを契機に、それらを作品集『私の知らない母』(2019年9月に発売予定)にまとめることを思いつく。今回の藍画廊での個展では、その中におさめられる予定の新作16点中5点を発表した。

笠木が、同シリーズを制作し始めた20年前と比較すると、デジタル加工技術の進化は驚くべきものだ。今回の展示には、最大110×400センチの大作が出品されているのだが、この大きさと画像の精度は以前には考えられなかった。それだけでなく、祖父のアルバムの写真に写っている旧満州や台湾の風景、母のポートレート、あらためて撮影した「現在写真」などをコラージュ的につなぎ合わせていく手法も、ずっと洗練されたものになってきている。とはいえ、《1941年、満洲国哈爾濱市にて、17歳の母と松花江を望む》の解説に記された、ホテルの窓いっぱいに広がる松花江を目にして、「泣きながら窓の外の大陸を撮り続けた」という述懐によくあらわれているように、亡き母親に対する哀切極まりない感情の表出はキープされている。個人史と、日本とアジア諸国との関わり合いの歴史をクロスさせていく視点も、今なお有効性を保ち続けているのではないだろうか。作品集の刊行というひとつの区切りを経て、このシリーズがこの先どんな風に展開していくのかが楽しみだ。

2019/06/13(木)(飯沢耕太郎)

原 啓義 写真展 そこに生きる

会期:2019/06/12~2019/06/25

銀座ニコンサロン[東京都]

原啓義は2017年に銀座ニコンサロンと大阪ニコンサロンで「ちかくてとおいけもの」と題する写真展を開催している。今回の展示はそれに続くもので、前回と同様に新宿、渋谷、銀座など都心の路上で撮影したネズミの写真が並んでいた。とはいえ、面白さはさらに増している。前回は「ネズミと人間社会との関係」が中心的なテーマだった。環境問題への着眼も含めて、興味深い内容だったのだが、「こんな場所にもネズミがいる」、「ネズミが意外に可愛い」といったやや図式的な解釈におさまってしまうところもないわけではなかった。新作で大きく変わったのは、「感覚を人間の側からネズミの側に移していく」ことだったという。そのことによって、巣穴から顔を出す、ゴミバケツを漁る、カラスや鳩や人間に追いかけられるといった、まさにネズミの視点に立ったリアルで切実な眺めが写り込むことになった。道端に打ち捨てられたネズミの遺骸を清掃員が片付けている、悲哀感が漂う場面もある。このような動物写真は、ありそうであまりなかったのではないだろうか。

もうひとつ、会場に掲げられた原の経歴を見て、なるほどと思ったことがある。原は日本拳法三段の腕前で、2011年には全日本拳法体重別選手権大会の重量級で優勝したこともあるという。街中でネズミの気配を察し、視認し、間合いを詰め、撮影するプロセスに、武道の達人であることが活かされているということだろう。このシリーズは、もうそろそろ写真集にまとめてもいい時期にきているのではないだろうか。それだけの厚みを持つ作品になってきている。なお、本展は7月4日〜17日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2019/06/13(木)(飯沢耕太郎)

真継不二夫「美の生態」

会期:2019/06/04~2019/06/30

JCIIフォトサロン[東京都]

真継不二夫(1903〜1984)はそれほど著名ではないが、戦前から戦後にかけてクオリティの高い作品を残した写真家である。大正末〜昭和初期の「芸術写真」の時代から作品を発表し始め、戦時中は『報道写真への道』(玄光社、1942)、『海軍兵学校』(番町書房、1943)などを刊行した。戦後は各写真雑誌の表紙や口絵ページなどを飾る人気作家となり、特にヌード写真が高く評価された。『美の生態』(大泉書店、1948)、『美の生態Ⅱ』(双芸社、1950)は、ヌード写真と女性ポートレートの代表作を集成した写真集である。今回のJCIIフォトサロンでの展示は、その2冊の写真集に掲載された写真を中心に構成されていた。

戦後すぐの時期には、戦中の抑圧への反動と性の解放の気運があわさって、ヌード写真が大流行していた。福田勝治、杉山吉良、中村立行といった写真家たちが、競って意欲的な作品を発表していたが、その中でも真継のヌードは画面構成の巧さ、完成度の高さでは群を抜いている。京都出身の彼は、おそらくモデルとのコミュニケーションの取り方に、独特の柔らかさと品のよさがあったのではないだろうか。それが作品にもあらわれているように感じる。「美の生態」というタイトルも印象深い。「美」を抽象概念としてではなく、生きもののように捉える考え方がよく出ている。

本展と直接の関連はないが、このところ写真集や写真展で、ヌードを取り上げることにかなり強いバイアスがかかるようになった。本展のDMやカタログの表紙に使われている《肉体丘陵》と題する作品も、SNSから削除される場合があったという。むろん、真継が活動していた時代とは社会環境がまったく違うので安易に比較することはできないが、ヌード写真の撮影や発表に有形無形の圧力がかかり始めていることが気になる。ヌードを題材とするエロス(生命力)の探求は、写真表現の大事なテーマのひとつだ。この展覧会は、そのことへの論議を深めるきっかけにもなるのではないだろうか。

©真継不二夫《肉体丘陵》(1950)

2019/06/09(日)(飯沢耕太郎)

『東京計画2019』vol.2 風間サチコ

会期:2019/06/01~2019/07/13

gallery αM[東京都]

東京都現代美術館学芸員の薮前知子氏をゲストキュレーターに迎えたαMプロジェクト2019の第2弾は、いまどき珍しいアナクロ・アナログなモノタイプの巨大木版画を制作する風間サチコ。タイトルの「東京計画2019」は、かつて丹下健三が東京湾に海上都市を建設するという大風呂敷を広げた「東京計画1960」に基づく。というわけで、今回は丹下健三に矛先ならぬ彫刻刀の刃先を向けた作品群。

最大の作品は幅640センチにもおよぶ《ディスリンピック2680》で、2680は皇紀の年号だから西暦に直すと2020年、つまり次の東京オリンピックの開会式を揶揄したものだ。画面はほぼ左右対称で、大げさなつくりものの足下で整然と行進する人々はアリのように小さく、ファシズム臭がプンプン漂う。

ちなみに、皇紀2600年は最初の東京オリンピックが開かれるはずだった年。同じ年には万国博覧会も計画されていたが、どちらも幻に終わった。また、満州平原を走っていた超特急あじあ号を朝鮮半島、対馬海峡を経て東京までつなげようと「弾丸列車」の計画を立てていたのも同じころ。これらの計画は戦後20年ほどを経て、東京オリンピック、大阪万博、新幹線というかたちでゾンビのごとく復活・実現していく。そしてこれらに深く関わり、成功に導いたのが丹下健三だった。丹下はまた戦時中、国威発揚のための大東亜建設記念営造計画で一等を獲得するが、戦後かたちを変えて真逆ともいうべき広島平和記念公園として復活させていく。これらを踏まえて作品を見ると、また格別の味わいがある。

たとえば、青焼き風・絵巻風戯画《青丹記》。土星型UFOの環が外れて中心の球体が海に落下、それを漁師たちが陸に引き上げて、格子状に組んだヤグラの上に載せるというもの。この格子上の球体から、お台場に建つフジテレビ本社を連想してしまうのは、もちろんそれが丹下最晩年の作品のひとつだからだ。歴史を読み直す視線や、ひと味違った風刺精神もさることながら、それを白と黒だけの力強い大作に彫り込んでしまう技量も見事というほかない。

2019/06/08(土)(村田真)

平山達也「諏訪へ帰ろう」

会期:2019/06/03~2019/06/15

表参道画廊[東京都]

平林達也は写真プリント専門のフォトグラファーズ・ラボラトリーを運営しながら、写真家としての活動を続けている。昨年(2018年)も、銀座ニコンサロンと大阪ニコンサロンで個展「白い花(Desire is cause of all thing)」を開催するなど、表現の幅が広がり、作品のクオリティも上がってきた。表参道画廊で「東京写真月間2019」の一環として、日本カメラ博物館の白山眞理の企画で開催された本展も、目の付け所がいい面白い展示だった。

平林は4年ほど前に、長野県諏訪出身の曾祖父の存在をはじめて知った。1873年生まれの平林放鶴(本名・鶴吉、のちに潔と改名)は、二松學舎で学び、1900年に東京・神田に家塾、勸學書院を設立した。その後、1904年には故郷に戻って上諏訪角間新田に湖畔學堂を創設し、多くの子弟に「国語漢文算術珠算作文習字」を学ばせた。1920年、当時大流行していたスペイン風邪で死去する。

平林は、この曾祖父の事蹟を丹念に追いかけ、彼が足跡を印した地を写真におさめていった。むろん資料も乏しく、平林放鶴が亡くなってからだいぶ時が経つので、その作業が完成したのかといえば疑問が残る。黒枠のフレームにおさめた写真に、テキストとともに古写真やデータなどの資料を組み合わせていくやり方も、まだまだ検討の余地がある。それでも、個人的なアーカイブを、写真を中心に構築していく試みは多くの可能性をはらんでいると思う。写真の喚起力のみに依拠するのではなく、テキストとの相互作用によって複雑なメッセージを伝達していく作業を粘り強く続けていけば、この作品もより厚みと説得力のあるドキュメントになっていくのではないだろうか。

2019/06/08(土)(飯沢耕太郎)

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