artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
竹内公太「Re:手の目」
会期:2015/03/07~2015/03/22
スノーコンテンポラリー[東京都]
タイトルの「手の目」とは手のひらに目玉がある妖怪のことだが、ここでは「触覚的な視線」がテーマになっている。作品は大きく分けてふたつ。ひとつは、いわき市にある石碑の文字をひとつずつ撮影して「我たシは石碑で無イケレど」と映し出す《ブックマーク》。最後の「ケレど」は後に付け加えたそうだ。もうひとつの《手の目》は、3.11の被災地の海岸や鉄道跡や神社などを描いた絵の前に、その絵に手を伸ばすかのようにシリコンで型どった手を設置した作品。手のひらにはライトが仕込まれ、絵を照らし出すと同時に指の影をキャンバスに落としている。風景は、ただ見るより写真に撮ったほうが記憶に残り、写真より絵に描いたほうがさらに記憶に刻まれるが、それでも足りず、もっとフィジカルな記憶がほしいのか。
2015/03/20(金)(村田真)
ワンダーシード2015
会期:2015/02/21~2015/03/22
トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]
公募で選ばれた約100人の若手作家による8号以下の小品の展示即売会。ちょっとしたアートバブルの7~8年前は完売していたが、今年は会期終了間際で売れてるのは6割くらい。値段もだいたい3万円以下と手ごろなのに、今回は買いたいと思う作品が1点もない。全体に質が低下してるのか、ぼくの目が肥えたのか(まさか)。たぶん金がないから購買欲が減退してるせいでしょうね。
2015/03/20(金)(村田真)
ボッティチェリとルネサンス──フィレンツェの富と美
会期:2015/03/21~2015/06/28
Bunkamuraザ・ミュージアム[東京都]
昨秋、都美でボッティチェリを目玉とする「ウフィツィ美術館展」をやったばかりなのに、またかよ的なダメ押し展。今回の目玉はやはりウフィツィ美術館所蔵のボッティチェリの《受胎告知》だが、これが幅5メートルを超すフレスコ画の大作、つまり壁からはがしたものなのだ。ボッティチェリはこれを描いていたときに、まさか壁から引っぺがされて美術館に展示されるなんて考えられなかっただろうし、よもや500余年後に日本で公開されるなど想像すらできなかったに違いない。本題に戻ろう。同展のテーマは「フィレンツェの富と美」で、英語では「マネー・アンド・ビューティー」と露骨。15世紀にフィレンツェを牛耳ったメディチ家が金儲けの罪滅ぼしとして芸術を支援した、いわゆるメセナの対象としてボッティチェリを取り上げているのだ。金がなくても美は生まれるが、金を注げばさらに美は栄えるというのも事実。展覧会の序盤ではフィレンツェで流通していたフィオリーノ金貨をはじめ、銀行業務を描いた版画、メディチ銀行の為替手形、高利貸しの絵などマネー関係の資料も出ている。メインの作品は10点を超すボッティチェリのほか、フラ・アンジェリコの小品やロッビア一族の彩釉テラコッタなども出ているが、時代が時代だけに工房作や無名画家の作品も多く、主題も日本人になじみの薄い宗教画ばっかり。ただ額縁と一体化した板絵が多く、当時の建築的ともいえる絵画形式がよくわかって勉強になる。
2015/03/20(金)(村田真)
プレビュー:高松次郎 制作の軌跡
会期:2015/04/07~2015/07/05
国立国際美術館[大阪府]
1960年代の「読売アンデパンダン展」や「ハイッレッドセンター」での活動、「ベネチア・ビエンナーレ」(1968年)、「ドクメンタ」(1977年)への出品など、日本を代表する美術家として知られる高松次郎(1936~1998年)。彼の業績を、初期から晩年までの絵画、立体、版画作品約90点、ドローイング約280点、書籍・雑誌・絵本約40点、記録写真約40点で回顧する。高松の制作活動の推移や広がりをほぼ1年ごとに追える年代順の展示、アトリエの移築、記録のみで知られていた作品の展示、珍しい大判写など内容が充実しており、彼の回顧展として決定版的な意味を持つだろう。
2015/03/20(金)(小吹隆文)
竹之内祐幸「鴉」
会期:2015/03/04~2015/04/28
フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]
「鴉」といえば、どうしても深瀬昌久の同名の写真集(蒼穹舎、1986年)を思い出してしまう。不吉で禍々しいカラスたちの姿に、自分自身の孤独を投影した凄絶な写真群だが、1982年生まれの竹之内祐幸の作品はだいぶ肌合いが違う。竹之内は2013年のある日、代々木公園を散歩中に、日光浴しているカラスに興味を引かれて、たまたま持っていたカメラのシャッターを切ったのだという。それから折りに触れて撮影されたカラスたちの写真に、スケートボーダー、池の亀と鯉、卓上の静物などの写真をあわせたのが本シリーズで、そこにはゆったりとした、のびやかな空気感が漂っていた。おそらく、カラーで撮影していることが大きいのではないかと思う。
むろん、竹之内もカラスにまつわりつく「怖い鳥」、「嫌われている鳥」というイメージはよく承知している。だが「人間が勝手に抱いている印象とは無関係で、自由に楽しそうに過ごしている」という第一印象にこだわり続けたのが、とてもよかったのではないだろうか。結果として、彼の「鴉」は、深瀬昌久の呪縛から逃れ、単なる鳥の生態写真とも違った独特のポジションに立つことができた。ただ、このままだと「鴉」の表象に曖昧にもたれかかった作品に終わりかねない。もう少し、カラスと他の被写体の写真とをどのように組み合わせていくか、さらにそのことによって何が見えてくるかを意識して、作品全体を緊密に構築していくべきだろう。次の展開に期待したい。
2015/03/19(木)(飯沢耕太郎)