artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

石川直樹+奈良美智「ここより北へ」

会期:2015/01/25~2015/05/10

ワタリウム美術館[東京都]

石川直樹と奈良美智という組み合わせは案外悪くないかもしれない。世界の辺境を旅してきた写真家と、イノセントな作風で知られる画家は、偶然の機会から2014年夏に青森(下北半島、津軽半島)、北海道(函館、札幌、知床半島、斜里、ウトロ)、サハリン(ユジノサハリンスク、ノグリキ、ポロナイスク、ドリンスク、コルサコフなど)を一緒に旅することになった。今回の展示の中心になっているのは、その時に両者によって撮影された写真群である。石川の眼差しののびやかさ(見方によってはゆるさ)、奈良の写真の端正な画面構成の取り合わせが絶妙なのだが、それ以上に、旅の副産物というべき彼らの備品、地図、蔵書、奈良がコレクションしたレコード類などが展示されている、3Fの「二人の原点」のスペースがなかなかよかった。
もともと石川も奈良も、その作品は無菌状態で頭のなかから湧き出てきたのではなく、彼らの実生活やこれまで過ごしてきた環境のなかから育っていったものなのではないかと思う。むしろ、そういうバックグラウンドの部分に伸び広がっていくような展示のあり方が、面白い効果を生んでいた。ワタリウム美術館のそれほど大きくない空間(しかも2F、3F、4Fに分割されている)だと、まだ物足りなさが残るが、二人とも、こういう展示形態の方がのびのびと自分の作品世界を展開できそうな気がする。展覧会にあわせて制作された、タブロイド判の新聞のような形態のカタログも、500円(+税)という破格の値段も含めて、親しみやすいいい味わいを出していた。

2015/03/08(日)(飯沢耕太郎)

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摺師 戸田正の仕事

会期:2015/03/07~2015/03/29

COHJU contemporary art[京都府]

日本の伝統的木版画(浮世絵)の摺師である戸田正(1936~2000)は、1982年よりクラウンポイントプレス社(アメリカ)の日本木版画プロジェクトに摺師として参加し、ドナルド・ジャッド、フランチェスコ・クレメンテ、アレックス・カッツ、チャック・クロースなど、そうそうたるメンバーの木版画制作を手助けした。本展は彼の功績を再評価するもので、彼の工房(紫雲堂/京都市北区)に残された作品、校正摺り、道具類、新聞記事等の資料などを展示していた。出品物はどれも貴重なものばかりだが、作家の指定が入った校正刷りや、チャック・クロース作品の制作過程が分かる連作はとりわけ見応えがあった。日本の優れた職人技を顕彰する意味で、本展の開催は意義深い。

2015/03/08(日)(小吹隆文)

限界芸術百選プロジェクト#2 関係性の美学

会期:2015/11/15~2015/03/29

まつだい「農舞台」ギャラリー[新潟県]

芸術と日常を往還する限界芸術、その限界芸術と現代美術の関係性を探り出そうというプロジェクト。昨年の「田中みずき銭湯ペンキ絵展」に続く第2弾は「関係性の美学」だという。ん? どこかで聞いたことあるようなタイトルだけど、いわゆるコミュニケーションを重視する観客参加型アートはお呼びでなく、先の限界芸術と現代美術の関係性に親子の関係性も重ね合わせたものだそうだ。だからチラシのヴィジュアルも親子丼……。出品は、毎日自画像を描いたり新聞紙を丸ごと写生したりする吉村芳生と、その跡を継いで細密画を描いてる息子の大星くん、光や音を素材とするメディアアートを手がける小野田賢三と、日本のアーティスト100人を紹介するフリーペーパーを手書きで制作している息子の藍くん、ミシンの部品の製造業を営む西尾純一と、ファッションを媒介に内外でアートプロジェクトを展開する息子の美也くん。いちおう吉村と小野田は父が、西尾は息子がアーティストとして認められているが、限界芸術と現代美術は下克上の世界、いつ逆転するかわからない。

2015/03/07(土)(村田真)

雲の向こうに

会期:2015/01/11~2015/03/29

越後妻有里山現代美術館キナーレ[新潟県]

京都の翌日は新潟へ。交通費がバカにならない。上越新幹線で越後湯沢に出てほくほく線に乗り換えると、あきらかに鉄ちゃんとおぼしき人たちが車両の前に陣取り、いつもはだれも降りないトンネル駅の美佐島でゾロゾロ降りていく。そうか、もうすぐ北陸新幹線が開通してほくほく線の特急が廃止されるため、トンネル内を走る特急をカメラに収める最後のチャンスなんだな。しかし特急が廃止されると利用客が激減し、ほくほく線もホクホク顏ではいられまい。なーんてね。十日町の現代美術館キナーレでは冬の企画展として、小松宏誠、KOSUGE1-16、谷山恭子、長谷川仁、林剛人丸が常設展示の隙間で新作を発表している。谷山は会場に林立する木に虹色の布を巻き、その前に新潟県ゆかりの文学者の本を置いて自由に読めるようにした。ページをめくると、色に関する記述がある部分にラインが引かれている。谷山は冬の新潟をモノクロームの世界と捉え、来場者に少しでも色彩を感じてもらうためにプランを練ったという。一方、長谷川は会場の一画に赤いバラの花びらを散りばめた部屋をつくり、中央に太いチューブを設置。そこに受付でもらった花びらを入れるとシュッと吸い込んでいく。あれっと思う間もなく窓の上から花びらがひらひら舞い落ちていくのが見えるという仕掛け。と言葉で書く以上にインパクトがあるのは、赤い色のせいだろうか。どちらも色彩を意識した作品だが、谷山がジワリと染み入るのに対し、長谷川は強烈なカウンターパンチだ。

2015/03/07(土)(村田真)

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猪瀬光「COMPLETE WORKS」

会期:2015/03/06~2015/04/19

Akio Nagasawa Gallery[東京都]

森山大道は、展覧会にあわせて出版された『猪瀬光全作品』(月曜社)に寄せた「猪瀬光という名のミステリー」というテキストで、写真家をウーヴェ・ヨーンゾンの小説「三冊目のアヒム伝」に登場するアヒムになぞらえている。伝記作者が依頼を受けてアヒムという男に紹介されるのだが、ついにその正体をつかむことができず、伝記も未刊に終わるという筋書きだという。
たしかに、極端な寡作で知られる猪瀬にもアヒムめいた所があって、その正体をなかなかあらわそうとしない。というより、前回の個展(Space Kobo & Tomo、2001年)から14年が過ぎ、写真集の刊行(『VISIONS of JAPAN INOSE Kou』光琳社出版、1998年)からはもう既に17年も過ぎているということを考えると、正体をつかみようがないというのが正しいだろう。だが、その間にも「伝説」が一人歩きしていって、虚像のみが膨らんできていた。その意味では、関係者の方たちには大変な苦労があったとは思うが、今回の「COMPLETE WORKS」の展覧会、及び2冊のポートフォリオ(『DOGURA MAGURA』、『PHANTASMAGORIA』各30部限定)と全作品集の刊行は、画期的な企画なのではないかと思う。
あらためて、「DOGURA MAGURA」の写真群を見て感じるのは、彼が大阪芸術大学在学中の1982年から開始されたこのシリーズが、初期の代表作というだけに留まらず、ライフワーク的な意味を持ちはじめているということだ。2000年代以降に撮影された作品3点も加わることで、総点数は75点に達するとともに、旧作にも追加や見直しがおこなわれている。サーカスや解剖学教室などの特異な被写体に目を奪われがちだが、「DOGURA MAGURA」は、彼自身の生の起伏とともに伸び縮みし、成長していくシリーズであり、「私写真」的な要素がより強まってきている印象を受けた。
もう一つは、その湿り気がじっとりと滲み出てくるような白黒のコントラストの強いプリントワーク、偶発的で、常に変容していく被写体のフォルムに鋭敏に反応していく撮影のスタイルとも、「日本写真」の典型に思えることだ。日本の写真家たちが写真を通じて練り上げてきた現実把握のあり方を、極端に肥大化させ、純化したのが、まさに「DOGURA MAGURA」だったのではないだろうか。猪瀬の写真を孤立した営為としてではなく、むしろ「日本写真」の流れの中で捉え直してみることが必要になりそうだ。
第1期「DOGURA MAGURA」2015年3月6日~29日
第2期「PHANTASMAGORIA」2015年4月1日~19日

2015/03/07(土)(飯沢耕太郎)