artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
「クレオパトラとエジプトの王妃展」記者発表会
会期:2015/07/11~2015/09/23
東京国立博物館[東京都]
西美の「グエルチーノ展」内覧会が1時から、東博の記者発表会が2時からなので、けっこうタイト。「クレオパトラとエジプトの王妃展」はこの夏の東博の目玉企画(7/11-9/23)で、王(ファラオ)ではなく4人の王妃や女王に焦点を当てたのがミソ。といってもハトシェプスト、ティイ、ネフェルトイティの3人はなじみが薄く、動員力がありそうなのはクレオパトラしかいないけど。彼女の鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていたといわれるが、出品される石像の大半は鼻が欠けている。
2015/03/02(月)(村田真)
グエルチーノ展──よみがえるバロックの画家
会期:2015/03/03~2015/05/31
国立西洋美術館[東京都]
たぶん美術史に詳しい人でなければグエルチーノの名前は知らないだろうけど、作品を見れば「ああ、西洋の美術館でウンザリするほど見かける宗教画」と思うはず。それほどグエルチーノ的な絵柄は広く出回ってるわけだが、グエルチーノ本人はキラ星ひしめくイタリア・バロックにおいて「その他多数」のひとりでしかない。もちろんそれは日本での見方であって、イタリア(とくに故郷のチェント)では偉大な画家として尊敬されており、ゲーテにいわせれば「グエルチーノといえば神聖な名前」だそうだ。本展にはグエルチーノだけでなく、師匠のルドヴィコ・カラッチやライバルのグイド・レーニら同時代の画家の作品も出品されているが、大半は聖母子、聖ヨハネ、聖フランチェスコ、聖カルロ・ボッロメーオなどの聖人を芝居がかったポーズで描いた宗教画。まさに日本人がイメージする西洋絵画の典型だろう。しかしなんでわざわざ知名度の低いグエルチーノの展覧会を開くのか。理由のひとつは、本展にも出品されてる《ゴリアテの首を持つダヴィデ》が国立西洋美術館の所蔵だからという縁だ。でもそれだけじゃ薄い。実はもうひとつ強力な理由があって、3年前にイタリア北部のチェントを大地震が襲い、グエルチーノのコレクションを有する市立美術館が被害を受けたこと。美術館は現在も休館したままで、再建の費用がほしいところに同じ地震大国の日本が手を差し伸べたのだ。だからこの展覧会はいわば震災復興事業に位置づけられる。それなら納得。
2015/03/02(月)(村田真)
「燕子花と紅白梅」光琳アート─光琳と現代美術
会期:2015/02/04~2015/03/03
MOA美術館[静岡県]
同館が所蔵する尾形光琳の《紅白梅図屏風》と根津美術館が所蔵する《燕子花図屏風》を同時に展示した展覧会。あわせて光琳芸術の影響があると見受けられる杉本博司や村上隆、会田誠といった現代美術の作品も展示された。
よく知られているように、いわゆる琳派は狩野派のように直接的な師弟関係や家系によって構成された流派ではなく、時間的にも空間的にも断続的な影響関係に基づいた呼称である。つまり光琳や宗達、光悦に惹かれた者が、その都度その都度、過去から彼らを召喚することによって、結果として琳派は形成されたわけだ。
本展で注目したのは、その琳派が形成された過程に、実は百貨店が大きく作用していたことが示唆されていた点である。三越百貨店の前身である三越呉服店は、明治37年(1904)に「光琳遺品展覧会」を催したが、これは美術・工芸品を陳列販売する、現在の百貨店の営業形態の原型とされている。言い換えれば、琳派を形成していたのは、酒井抱一や神坂雪佳だけでなく、百貨店という企業体でもあったのだ。
ここには、ことのほか重要な意味がある。なぜなら、日本美術史にとって欠かすことのできない流派のひとつが、企業戦略によって歴史化されたという一面が明らかに認められるからだ。資本主義の黎明期からすでに、その力は美術の現場に及んでいたのであり、それは現在のマスメディアによって巨大な動員を図るブロックバスターの歴史的起源とも考えられる。琳派にとっての三越呉服店は、狩野派にとっての江戸幕府と同じではない。それは単なるパトロネージではなく、意図的かつ積極的に販売を仕掛けるプロデューサーなのだ。
だが、留意しなければならないのは、本展では「琳派」という言葉が巧妙に回避されていた点である。杉本博司や村上隆、会田誠は、琳派の末端ではなく、あくまでも光琳の「影響が伺える」現代美術のアーティストとされている。はたして彼らを琳派としてプレゼンテーションする企業体は現われるのだろうか。
2015/03/02(月)(福住廉)
山崎弘義『DIARY 母と庭の肖像』
発行所:大隅書店
発行日:2015年2月25日
山崎弘義は森山大道に私淑し、ストリート・スナップを中心に発表してきた写真家だが、2001年9月4日から母親のポートレートを撮影し始めた。少し後には自宅の庭の片隅も同時に撮影し始める。母が86歳で亡くなる2004年10月26日まで、ほぼ毎日撮影し続けたそれらの写真の総数は3600枚以上に達したという。本書にはその一部が抜粋され、日記の文章とともにおさめられている。
山崎がなぜそんな撮影をしはじめたのか、その本当の理由は当人にもよくわかっていないのではないだろうか。認知症の母親の介護と仕事に追われる日々のなかで、「止むに止まれず」シャッターを切りはじめたということだろう。だが、時を経るに従って、その行為が「続けなければならない」という確信に変わっていった様子が、写真を見ているとしっかり伝わってくる。単純な慰めや安らぎということだけでもない。むしろ、カメラを通じて、日々微妙に変貌していく母親、人間の営みからは超然としている庭の植物たちを見つめつづけることに、写真家としての歓びを感じていたのではないかと想像できるのだ。あくまでも個人的な状況を記録したシリーズであるにもかかわらず、普遍性を感じさせるいい仕事だと思う。
なお、発行元の大隅書店からは、昨年『Akira Yoshimura Works/ 吉村朗写真集』が刊行されており、本書は第二弾の写真集となる。あまり評価されてこなかった、どちらかといえば地味な労作を、丁寧に写真集として形にしていこうという姿勢には頭が下がる。
2015/03/01(日)(飯沢耕太郎)
第9回shiseido art egg 飯嶋桃代展「カケラのイエ」
会期:2015/02/06~2015/03/01
資生堂ギャラリー[東京都]
床に氷塊のような半透明のオブジェが10点。パラフィンワックスに食器類を入れて固め、家型に切り出したものだそうだ。表面に皿や碗の断面が浮かび上がり、抽象パターンを形成している。食器に家族を象徴させ、ひとつひとつの「家」が氷山のように漂う現代社会を表わしているらしいが、幸か不幸かそんな意図よりも視覚的おもしろさのほうが勝っている。反対に、50個もの茶碗に水を入れ、下から光を当てて「singular」の文字を浮かび上がらせたインスタレーションは、共同体から孤立する無数の単独者を想起させるが、意図が先走っていて視覚的なインパクトに欠ける。だいたい日本の家庭を象徴する茶碗と「singular」という英語が結びつかない。
2015/02/26(木)(村田真)