artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
鎌田友介「ヴェネチアビエンナーレ2014のいくつかの飛躍と帰結」
会期:2014/09/27
blanClass[神奈川県]
blanClassにて、鎌田友介の展覧会/イベント「ヴェネツィア・ビエンナーレ2014のいくつかの飛躍と帰結」を見る。本人が以前から継続する戦争と建築のリサーチ・プロジェクトを、今回はヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2014の内容(1914年という起点やエレメンツなど)に絡める。とりわけ、今回はアントニン・レーモンドが関わった米軍の焼夷弾実験のためにつくられた家屋を題材に、その模型の破壊と記録のズレをライブ的に行う。
2014/09/27(土)(五十嵐太郎)
美少女の美術史
会期:2014/09/20~2014/11/16
静岡県立美術館[静岡県]
青森県立美術館で立ち上がり、静岡県立美術館を経て、島根県立石見美術館に巡回する企画展。なんで東京を素通りするんだよお、少女ものならオペラシティか水戸芸あたりでやってもいいだろ。と思ったらこの3館、4年ほど前に「ロボットと美術」展を共同開催した前科があり、今回はその延長線上に浮上した企画らしい。どうやら地方の公立美術館にはオタク度の高い学芸員が潜伏し、地下ネットワークでつながっているようだ。なわけで名古屋からの帰りに静岡で途中下車。展示は江戸初期の遊女図から春信、歌麿の浮世絵、竹久夢二や和田英作ら近代の美人画、そして現代の村上隆、タカノ綾、松山賢まで日本美術史から「美少女もの」を採集しているが、これだけだったら従来の美人画展と変わらない。ひと味違うのは、鏑木清方の「少女出世双六」とか水森亜土のイラスト、手塚治虫の「リボンの騎士」、岡本光博のイチゴ模様、初音ミク、美少女フィギュア、そして3館の担当学芸員が企画製作した新作アニメまで幅広く集め、美少女のモチーフを美術の枠を超えて文化(史)論にまで高めていること。なるほど、目からウロコほどではないけれど、ほっぺたが落ちるくらいはおもしろい。出品数も200件近くあって見ごたえ十分。こうして見ると、戦後つまり20世紀後半の美少女文化はサブカルチャーに占められ、美術系の入り込む余地がほとんどなかったこと、でもそれ以前と以後はサブカルチャーと美術が共存または合体していることがわかる。
2014/09/26(金)(村田真)
塩田千春─マケット
会期:2014/08/30~2014/10/02
ケンジタキギャラリー[愛知県]
来年のヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表に選ばれた塩田のマケットを中心とする展示。室内(箱の内部)に赤や黒の糸を巡らせて子供服や紙幣などを浮かせたものや、窓枠を集積して家のようなかたちにしたものなどいろいろある。ヴェネツィアで発表する予定のインスタレーションのマケットは2階の奥にある。展示室に2艘の舟を置き、天井から無数の赤い糸を垂らして1艘は宙に浮いた状態。それぞれ糸の先端には鍵が結びつけられている。赤い糸は血や命、人間の関係性を象徴し、舟は旅立ちや人生を連想させ、鍵は宝箱やパンドラの箱のように、大切なものや秘密のものを明かす文字どおりキーとなるものだ。このように強い象徴性を持つモチーフの組み合わせだけに、とくにキリスト教ではまた別の意味を持つかもしれず、どんな反応が来るか楽しみだ。
2014/09/26(金)(村田真)
末永史尚「ミュージアムピース」
会期:2014/08/01~2014/09/28
愛知県美術館[愛知県]
アーティストと学芸員が協同してつくっていく「APMoAプロジェクト・アーチ」の第11弾。壁に絵画が10点ほど展示されている。が、画面の周縁に額縁が描かれてるだけで、内部はモノクロームに塗り込められている。つまり「絵」のない絵。これらは愛知県美術館のコレクションから選んだ絵画を原寸大で(額縁または表装だけ)模写したもの。模写といっても精密ではなく、かなり大ざっぱだが。その脇にはこれも色面だけの小さなプレートがついている。テーブルにはストライプ模様の立体が置いてあるが、これはカタログの束を表わしているらしい。ほかにも作品を運ぶ段ボール箱、スポットライトなども手づくり感たっぷりに再現されている。これはおもしろい。絵画そのものではなくその周囲にあるものをクローズアップすることで、逆に絵画の本質を浮かび上がらせようとする試みといってもいい。作品はこの展示室だけでなく、美術館エントランスの掲示板にも続いてる。この掲示板に貼られていた展覧会ポスターの一部を撮った写真を再びポスターに仕立て、もういちど掲示板に貼るというもの。こういう自己言及的な作品をおもしろがる人って、けっこう自意識過剰な人間が多いんじゃないか。
2014/09/26(金)(村田真)
これからの写真
会期:2014/08/01~2014/09/28
愛知県美術館[愛知県]
鷹野隆大のヌード写真に「ワイセツ」の嫌疑がかかり、該当部分を布で覆ったという報道がなければ見に行かなかっただろう写真展。でも実際に見に行ったら、畠山直哉、鈴木崇、新井卓……と序盤だけでもこれはなかなか直球勝負の、まさに「これからの写真」を示唆する企画展であることに気づく。畠山は震災後の被災地風景ではなく、それ以前のダイナマイトで鉱山を吹き飛ばす瞬間を捉えた「発破写真」。シャッタースピードといい危険性といい、モチーフ的にも技術的にも人間が撮る写真の限界を示している。鈴木はカラフルな台所用のスポンジをさまざまに組み合わせて撮った写真を小さなパネルに張り、壁に整然と配列。1点1点がタブローのようにフェティシズムを刺激する一方、全体で抽象的なパターンを構成している。新井は第五福竜丸をはじめ被爆をモチーフにした銀板写真のほか、展示室の中央に3連の銀板写真二組を向かい合わせに置いた。これは暗くてよくわからなかったが、いきなり頭上の照明がパッと輝き、広島の爆心地とアメリカの核実験場の写真であることが理解される。なんとストレートな。以下もそれぞれ写真の枠組みや限界を超えるような作品が続き(田村友一郎などは「写真」らしきものすらない)、かなり見ごたえがあった。で、鷹野隆大の写真だが、性器が写ってるらしい何点かには紙が被せられ、大きな1点は布で下半分がおおわれていた。作品を撤去せず、局部だけを隠すこともせず、画面の下半分を布でおおい隠すことで決着したのは、黒田清輝の有名な「腰巻き事件」を思い起こしてもらうためだろう。1901年に白馬会に出した黒田の《裸体婦人像》が「ワイセツ」とされ、同じように腰から下を布でおおわれた事件のことで、現在では近代日本の文化の後進性を示す例として笑いぐさになっているのだ。鷹野はいたずらに対決姿勢をあらわにすることなく、美術史を参照しつつ皮肉とユーモアを利かせて対処した。決着方法としては最良の選択だと思う。
2014/09/26(金)(村田真)