artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
金氏徹平「四角い液体、メタリックなメモリー」
会期:2014/10/04~2014/11/03
京都芸術センター[京都府]
アクリル板や木材などの支持体へのペインティングやプリントが書き割りのように立てられている。これは過去にも彼の作品で見たことのある、迷いのない線で描かれた模様のようにも見えるもの(ステートメントにある「琳派」というキーワードも読み解く鍵と感じたが)で、そこにある物体が作品本体であり、鑑賞対象になるのだが、その作品と作品のある空間は、どこか余白だらけで、そこらじゅうから吹き込むすきま風のようなものをびゅんびゅんと感じるものだった。それは、近年、金氏が舞台美術を手がけていることに納得がいくような、入り込む余地がいっぱいあるという感覚に近い。会場では音楽ライブなども行なわれたようで、写真撮影も自由というのも、そういった意図のひとつだろうか。ギャラリー内で、手持ち無沙汰になるという不思議な感覚があった。作品自体のトーメイ度は極めて高い。
2014/10/04(土)(松永大地)
原芳市「光あるうちに」
会期:2014/09/27~2014/11/03
POETIC SPACE[東京都]
原芳市の『光あるうちに』は2011年に蒼穹舎から刊行された写真集。写真集と同時期に東京・新宿のサードディストリクトギャラリーで開催された個展を見て、この写真家の作品世界が新たな高みに達したと感じたことをよく覚えている。1970年代以降の「私写真」の流れを受け継ぎつつ、よりその陰翳を濃くして、生(性)と死とのコントラストを強めた原の写真の世界が、この頃からすとんと腑に落ちるようになったのだ。その後の彼が『常世の虫』(蒼穹舎、2013年)、『天使見た街』(Place M、2013年)と力作の写真集を次々に刊行しながら、旧作の「ストリッパーもの」も精力的に発表してきたことには、本欄でもたびたび触れてきた通りである。
今回のPOETIC SPACEでの展覧会には、写真集に使用された写真に未発表の1点を加えた17点が並んでいた。その意味では、それほど新鮮味のある展示ではないが、どちらかといえば若い写真家たちにスポットを当ててきたギャラリーでの企画展であることは注目してよい。つまり、原の仕事がこれまでの自主運営ギャラリーを中心とした展示から、大きく広がりつつあることのあらわれといえる。実際に、写真展の会期中にはスイスのギャラリーからの問い合わせがあったそうで、次はヨーロッパやアメリカでの本格的な展覧会につながっていくのではないだろうか。
会場で、1978年に自費出版した原の最初の写真集『風媒花』を購入することができた。被写体に向ける眼差しのあり方は、この頃からほとんど変わっていないのだが、じわじわと眼に食い込んでくる浸透力は確実に増している。こうなると、もっと大きな会場で、1970年代以来の彼の作品をまとめて見たくなってくる。
2014/10/03(金)(飯沢耕太郎)
ホンマタカシ「NINE SWIMMING POOLS AND A BROKEN I PHONE」
会期:2014/09/30~2014/10/30
POST[東京都]
アメリカの現代美術アーティスト、エド・ルシェの『NINE SWIMMING POOLS』は1968年に刊行されたアートブックである。例によって、クールな視線でアメリカ西海岸の9つのプールを撮影して、小ぶりな写真集にまとめている。ホンマタカシは、そのルシェのコンセプトをそのまま引用して、まったく同じテーマ、大きさ、レイアウトで写真集を制作した。会場には200部限定で刊行されたその写真集『NINE SWIMMING POOLS AND A BROKEN I PHONE』の印刷原稿がそのまま並んでいた。
こういう引用/編集系の作品には、まさにホンマの本領が発揮されていて、実にうまくまとめている。単純な引き写しというわけではなく、ルシェの写真には写っていない人物の姿があらわれてきたり、子供用のビニールプールを撮影したり、水没して壊れたiPhoneをさりげなく画面に取り込んだりして、しっかりとホンマタカシの作品として成立させているのだ。そういわれてみれば、エド・ルシェとホンマの被写体への視線の向け方、作品化のプロセスには重なり合う所が多いのではないだろうか。オマージュの捧げ方にまったく無理がなく、自然体に見えるのはそのためだろう。
ホンマはこれから先も、同じコンセプトで何冊か写真集をつくる予定だという。もちろん、それぞれクオリティが高く、読者、観客を楽しませてくれる本になることは間違いないだろうが、引用/編集系の作品は、やはり何か大きな仕事への助走であってほしい。
2014/10/03(金)(飯沢耕太郎)
田中真吾 個展「す あ。ラ 火 ─ 見 極」
会期:2014/10/03~2014/10/31
eN arts[京都府]
炎を題材あるいは素材にした作品で知られる田中真吾の新作展。着色した合板をラフに引きちぎる、炎で炙るなどした後、それらと焼け焦げた角材、炎で溶かされたビニールなどを組み合わせて構築した作品を発表した。これまでの彼の作品は主に紙を素材にしており、色合いも白と黒(焼け焦げた痕跡)の2色だった。色彩を得ると同時に立体コラージュのような様相を呈した新作は、多くの人に驚きをもって迎えられるだろう。筆者はこれまでに何度も彼の個展を見てきたが、失望を味わったことがない。展覧会のたびに着実な進化を遂げる田中は、野球でいえばイチローや青木宣親のようなアベレージヒッターと言えるだろう。
2014/10/03(金)(小吹隆文)
秋山正仁 展──Sweet Home
会期:2014/09/29~2014/10/04
Gallery K[東京都]
秋山正仁は山梨県在住の美術家。古きよきアメリカの心象風景を長大なロール紙に色鉛筆で描いた絵画作品を、ここ数年、同ギャラリーで定期的に発表してきた。その絵は、偏執的でありながら色鉛筆の淡い色彩が不思議な浮遊感を醸し出しており、その絶妙な二重性が観る者の視線を大いに惹きつけてきた。
だが今回の展示は、これまでにない展開を見せた。絵画作品そのものは従来どおりの作風だったものの、秋山本人が会期中つねに在廊し、スライドギターを演奏しているのだ。ライ・クーダーのような哀愁を帯びた玄音とともに絵画を鑑賞させるという仕掛けである。
とにかく秋山が奏でる音色がすばらしい。表面的には、その音と絵画で表現されているアメリカの風景とが共振することで、見る者の視線を絵画世界の内側に巧みに誘導するという効果がある。だが、それ以上に驚かされたのは、会場にいる自分の身体が動かし難くなってしまったことだ。いや、決して感動のあまり身体が凝固してしまったというわけではない。エンドレスに奏でられるギターの哀切に満ちた音を耳に絵を見ていると、いつまでもその空気に包まれていたいという欲望が湧き上がってくるのだ。逆に言えば、美術ないしは絵画が、その鑑賞にあたって、どれほど見る者に緊張感を強いているかを、まざまざと実感させたのである。
ところが、秋山が秀逸なのは、「美術」と「音楽」を掛け合わせることで、そうした陶酔感を演出しながらも、同時に絵画においては、ある種の覚醒を呼び起こすような主題を描き含めているからだ。絵の中には、アレサ・フランクリンやエルヴィス・プレスリーに混じって、幼少時と思われるオバマ大統領の姿が認められる。彼はデビルから星条旗を受け取っている。この当時、権力と引き換えに魂を売ってしまったがゆえに、アメリカ合衆国の現在があるのだろうか。芸術の政治性とは、政治的な関心や主題が含まれる作品だけを指すのではない。それは、芸術というある種の夢物語の最中にあってなお、政治的な意識を覚醒させることなのだ。
2014/10/02(木)(福住廉)