artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

村田峰紀『ネックライブ』

会期:2014/09/17~2014/09/28

Art Center Ongoing[東京都]

村田峰紀は群馬県在住のアーティスト。みずからの身体を使ったパフォーマンスで知られる。背中をキャンバスに見立ててクレヨンで絵を描いたり、鉛筆の芯をむしゃむしゃ食べたり、大量の文庫本を引き裂いてオブジェに仕立てたり、野獣的で爆発的な身体表現が魅力だ。
今回発表したのは、映像作品。みずからの口や眼をクローズアップした映像に文字のメッセージを当てこんだ。会場の隅の暗がりから聞こえてくる奇妙な音を気にも止めずに映像を見ていたが、どうも様子がおかしい。その音は音楽というわけではないものの、何かの音響装置から流れているような規則性も伺える。村田の身体表現はついに映像に転位したのだろうかと訝りながら、暗闇に目が慣れてきたところで、改めて会場を見渡すと、大きな箱の中から村田が頭だけを出して、何かを必死にわめいていた。
音響装置かと思ったのは村田当人の声だったのだ。その声は「ワンワンワン」なのか、「ウォンウォンウォン」なのかは定かではなかったけれど、とにかくものすごい勢いでわめいている。声をはっきりと聞き取れなかったのは、その勢いに圧倒されたからでもあり、同時に、彼が箱の内側を何かで激しくこすり上げていたからだ。外側からは明確に確認できるわけではなかったが、内側で強力な反復運動が繰り返されていることは気配で察することができる。暗闇の空間を、村田の身体から発せられた波動が何度も行き交い、それらがこちらの身体を前後左右から何度も貫くのである。
安部公房の「箱男」は箱の内側に閉じこもり、小さな穴から外側の世界を一方的に見通す、いわば視線に特化した存在として描写されていた。村田の「首男」は、同じく箱に自閉しているが、その箱の中で暴れまわることで、見えない身体全身の存在感を感じさせていた。いま思えば、村田は眼を瞑っていたような気がするから、村田の「首男」は「箱男」と相似形を描きつつも、内実においてはまったく正反対のネガであると言えよう。
直接見えるわけではないし、言語に頼るわけでもない。けれども身体と身体のあいだを交通する波動によって可能となるコミュニケーションはありうる。村田は、おそらくその恐ろしく微小な可能性を全身で押し広げているのだろう。

2014/09/25(木)(福住廉)

ベアト・ストロイリ「Living Room」

会期:2014/09/03~2014/10/08

Yumiko Chiba Associates viewing room Shinjuku[東京都]

ベアト・ストロイリは1957年、スイス生まれの現代美術アーティスト。1980年代から、都市の路上の群衆から、特定の人物を望遠レンズで抜き出して撮影する作品を発表してきた。初期においては、今回のYumiko Chiba Associates viewing room Shinjuku で参考展示されていた作品のように、小型カメラを用いてモノクロームでプリントしていたが、次第にスライドやヴィデオのプロジェクションに移行していく。また、巨大なビルボードのような大型プリントのインスタレーションを試みるなど、意欲的に作品の「見せ方」を模索していった。被写体となる人物たちの出自も欧米諸国だけではなく、アジアなど非西欧諸国の都市にまで広がっている。
今回の展示でも「見せ方」に工夫を凝らしている。タイトルが「Living Room」なのは、壁面に「壁紙」を貼り巡らして、その上に作品を並べているからである。「壁紙」の素材となっているのもストロイリの写真だが、作品より断片的、パターン的に処理されていて、「始まりも終わりも」なく、「潜在的に無限であって、そこには中心も端もない」。いわば、都市風景のひな形とでもいうべきイメージを背景として、都市から切り出されてきた人物を鑑賞するという仕掛けなのだ。
インスタレーションはとても洗練されており、顔のクローズアップと色面とを組み合わせた新作のクオリティも高いのだが、90年代から同工異曲の作品をずっと見てきたので、やや新鮮味には欠ける。ストロイリもそろそろ、「見せ方」のヴァリエーションに頼るだけではなく、次のステージを準備していく時期に来ているのではないだろうか。

2014/09/25(木)(飯沢耕太郎)

村越としや「火の粉は風に舞い上がる」

会期:2014/09/20~2014/11/03

武蔵野市立吉祥寺美術館[東京都]

僕以外にも何人かの論者が指摘していることだが、村越としやの写真は「3.11」以後に明らかに変わった。むろん、彼が故郷の福島県を撮り続けているのは周知の事実なので、写真を見る時に震災と原発の影を重ね合わせないわけにはいかないということは大きい。だが、それ以上に被写体となる風景に対峙する彼の姿勢に、大きな変化があったのではないだろうか。写真の骨格が太く、強靭になり、画面全体に緊張感がみなぎるようになった。繊細だが、どこかひ弱な印象もあった以前の写真と比較すると、その堂々たるたたずまいには、見る者に威儀を正させるような力が備わってきているように思う。今回の展示は、村越にとっては最初の美術館での個展で、それだけ力の入り方が違ったのではないだろうか。大小の写真をちりばめつつ、奥へ奥へと視線を誘っていく会場のインスタレーションもよく工夫されていた。
疑問に思ったのは、同時に刊行された同名の写真集(リブロアルテとSpooky CoCoon factoryの共同出版)におさめられている「人」のイメージを、展示ではなぜ全部抜いてしまったのかということだ。これまで「風景」の写真家として村越が取り組んできたのは、自らの「心象風景」と、眼前の、どちらかといえば即物的な日常的な眺めとをすりあわせつつ、モノクロームの写真に置き換えていく営みであり、それはほぼ達成できたのではないかと思う。その調和を壊しかねない「人」の姿を取り入れていくことは、たしかに冒険ではあるが、新たな方向性を指し示してくれるものとなるはずだった。もし会場構成上の理由で「人」の写真を抜いたのだとしたら、やや残念ではある。風景における人為的要素を抽出していくことが、彼の大きなテーマになっていく予感があるからだ。

2014/09/25(木)(飯沢耕太郎)

チューリヒ美術館展─印象派からシュルレアリスムまで

会期:2014/09/25~2014/12/15

国立新美術館[東京都]

今年は日本とスイスの国交樹立150周年を記念してスイス関係の展覧会が次々と開かれてきたが、「チューリヒ美術館展」はその集大成ともいうべきもの。スイスはドイツ、フランス、イタリアという大国に囲まれてるせいか、文化も国民性も一筋縄ではいかない。芸術家も、今年紹介されたバルテュス、ヴァロットン、ホドラーと異色の画家たちを輩出しているし、小国とはいえ、あなどれない国なのだ。同展の目玉は、モネの大作《睡蓮の池、夕暮れ》で、ほかにもドガ、セザンヌらも出ているから、上のフロアでやってる「オルセー美術館展」と合わせて見るといいかも。でもなんといっても興味深いのは、数点ずつ出ているセガンティーニ、ホドラー、ヴァロットンらスイスの画家たちだ。セガンティーニはイタリア生まれだが、アルプスの風景を幻想的に描き出したことで知られる。その明るい描写は印象派に近いが、細かいタッチを重ねていく描法は点描派ともいえるし、神秘主義的な物語性を感じさせる点では象徴主義ともいえる。そのとらえどころのなさがなんともいえない魅力だ。ホドラーはもう国立西洋美術館で回顧展が始まってるはずだが、ちょっと心を病んでいるんじゃないかってくらい左右対称の画面に固執した画家で、6点も出品している。回顧展のほうも楽しみだ。先月まで三菱一号館でやっていたヴァロットンも4点あって、淫靡な雰囲気の漂う室内画や女性ヌード、大胆な構図の風景画などよく似た作品が出ているが、海景を左右対称に描いた《日没、ヴィレルヴィル》などはホドラーそっくり。ほかにもクレーやジャコメッティなどスイス出身者が出ていて、独自の美学を開陳している。

2014/09/24(水)(村田真)

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ホイッスラー展

会期:2014/09/13~2014/11/16

京都国立近代美術館[京都府]

19世紀後半、パリやロンドンを拠点に活躍したアメリカ生まれの画家、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)の大規模な回顧展。歴史を物語る絵画やその慣習的な絵画のルールを否定し、視覚的な美を追求する唯美主義を主導したホイッスラーの初期から晩年にかけての油彩画、水彩画、版画など約130点が紹介された。展示はホイッスラーが主なモチーフとした人物画と風景画、唯美主義の画家として独自の表現のスタイルを確立する大きな契機となったジャポニズムという3つのセクションによる構成。何が描かれているかという主題ではなく、どのように表現するかを重視したホイッスラーが、「アレンジメント」や「ノクターン」などの音楽用語をタイトルに多用したことにもふれた展示は、解説と作品を見合わせ、なるほどと納得しながら理解を深めることができるものだった。知識は浅い私だが、画家が追求した絵画の色彩やコントラスト、構図など、画面の要素に余韻や空気感という趣をあじわい、新たな作品の見方ができたのも嬉しい。特に、ラスキンを名誉毀損で訴えることになったという曰く付きの《黒と金のノクターン ? 落下する花火》はそのドラマ、この作品に関するホイッスラー自身の言葉も興味深く印象に残った。できるなら会期中にもう一度見にいきたい展覧会。

2014/09/24(水)(酒井千穂)