artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

無人島にて「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション

会期:2014/09/26~2014/10/19

京都造形芸術大学 ギャルリ・オーブ[京都府]

1980年代の関西では「関西ニューウェーブ」と称される一群の美術家たちが台頭した。その一方、流行とは一線を画し孤高の表現を保った作家もいたわけで、本展が取り上げるのは後者である。すなわち、上前智祐、笹岡敬、椎原保、殿敷侃、福岡道雄、宮崎豊治、八木正の、彫刻、立体、インスタレーションを再評価するのが本展の意図である。興味深いのは、本展を企画したのが1988年生まれの新進インディペンデントキュレーター、長谷川新であることだ。当時をリアルタイムで知らない世代により作品の読み替えや価値観の更新が行なわれるのだから、興味を持つなという方が不自然である。聞くところによると、入場者数や会期中のトークイベントに対する反応も上々だったらしい。地域の直近の美術史を振り返る機会が少ない関西で、このような企画展が行なわれたことは賞賛にあたいする。

2014/09/30(火)(小吹隆文)

5人の写真

会期:2014/09/26~2014/11/08

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

石原悦郎がツァイト・フォト・サロンを東京・日本橋にオープンしたのは1978年。日本で最初の、「オリジナル・プリント」を専門に扱う商業ギャラリーだった。当初はアンリ・カルティエ=ブレッソン、アンドレ・ケルテス、マン・レイなど、ヨーロッパの写真家中心のラインアップだったが、その後、日本の写真家たちを積極的に取り上げるようになる。1980年代以降のツァイト・フォト・サロンでの展示が、日本現代写真を牽引していったことは間違いないだろう。2002年には京橋のブリヂストン美術館裏に移転し、展示スペースを拡大して活動を継続した。
そのツァイト・フォト・サロンが、同じ京橋でももっと銀座寄りに移転することになり、「リニューアルオープン展第1回」として、「5人の写真」展が開催された。「5人」というのは北井一夫、オノデラユキ、鷹野隆大、楢橋朝子、浦上有紀で、ここ数年、同ギャラリーで個展を開催してきた写真家たちの中から選ばれている。1940年代生まれの北井から、70年代生まれの浦上まで、年齢も作風もバラバラなのが、逆にツァイト・フォト・サロンの再出発にふさわしい気もする。今回はどちらかといえば「お披露目」の意味合いが強い展示だったが、楢橋の富士山をテーマにした新作(「Towards the Mountain」2013年)や、2013年に個展デビューした新進作家、浦上のインドのシリーズ(「Spiral of Impulse」2014年)など、今後を期待させる作品が並んでいた。
スペース自体は前よりも小さくなったが、立地条件はずっとよくなっている。「リニューアルオープン展」終了後の展覧会で、若手から中堅、ベテランまで、力作、意欲作をたくさん見たいものだ。

2014/09/30(火)(飯沢耕太郎)

東京オリンピックと新幹線

会期:2014/09/30~2014/11/16

江戸東京博物館[東京都]

いま東京オリンピックと新幹線の開通を覚えているのは、確実に半世紀以上生きてきた人たちだ。もちろん東京オリンピックといえば2020ではなく1964だし、新幹線といえばカワセミでもカモノハシでもなく、あの団子っ鼻をイメージするはず。そんな世代の人たちにとって(ぼくだ)この展覧会は垂涎ものにちがいない。展示は戦後のカストリ雑誌に始まり、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などの家電製品が紹介され、従来の特急つばめ・こだまが出てきて、いよいよ新幹線の登場となる。こだま以上に速い、究極のひかり。この先もっと速い列車が出てきたらなんて名づけるんだろう、と子供心にも心配したものだ(まさか「のぞみ」にワープするとはね)。新幹線の工事と開通を伝えるパンフレットや新聞記事の書体に時代がにじみ出ている。そして東京オリンピック。こちらもパンフレットや売り出されたばかりのカラーテレビ、選手のウェア(とくに女子バレーボールのブルマ)などが時代を感じさせるが、亀倉雄策デザインのポスターはいま見ても新しい。ところでオリンピックには芸術展示がつきものだが、東京ではどんな展覧会が開かれたのか知らなかったし、美術史にも載ってない。それもそのはず「日本古美術展」(東博)と「近代日本の名作展」(東近)だもんね。ハイレッド・センターの首都圏清掃整理促進運動のほうが歴史に残るでしょ。

2014/09/29(月)(村田真)

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「関東大震災 震源地は神奈川だった──よみがえる被災と復興の記録II」展

会期:2014/09/18~2014/09/30

湘南くじら館「スペースkujira」[神奈川県]

関東大震災の記録資料を見せる展覧会。当時の雑誌、新聞、書籍、錦絵、絵葉書など、約200点を展示した。昨年、同館はほぼ同じ主旨と内容の展観を催したが、今回は昨年に横浜市発展記念館が開いた「関東大震災と横浜」展に貸与していた資料も含めたので、昨年よりバージョンアップされた内容と言える。
あまり知られていないことだが、関東大震災の震源は神奈川県内にあった。家屋の倒壊等の被害も、東京や千葉に比べて神奈川県内が圧倒的に多い。本展で展示された《横濱大地図》を見ると、横浜市の中心部の大半が消失していたのが一目瞭然である。『横浜最後の日』という書籍が発行されたほど、その被害はすさまじかった。
けれども、その一方で見て取れたのは、そうした悲劇的な災害を受け取る民衆の健やかで力強い精神性である。飛ぶように売れたという絵葉書は震災の被害を記録した写真をもとにつくられていたが、あわせて展示されたもとの写真と見比べてみると、絵葉書には瓦礫の山に煙や炎が加工されていることがわかる。迫真性を増すための人為的な操作は、ジャーナリズムという観点にはそぐわないが、民衆の欲望にかなう表現という意味では、ある種のキッチュとして考えられなくもない。民衆は、震災に慄き、震えながらも、同時に、破壊された都市の荒涼とした風景を見たいと切に願っていたのであり、だからこそ絵葉書は加工され、大いに消費されたのだ。
さらに《大東京復興双六》や《番付帝都大震災一覧》などには、震災すらも、双六や番付で表わして楽しんでしまう民衆の姿が透けて見えるかのようだ。後者は、まさしく相撲の番付表のように、一覧表の上部に太く大きな文字で大きな出来事が書かれ、下部に細く小さな文字で小さな出来事が記されたもの。よく見ると、「首のおちた上ノ大佛」や「大はたらきのかんづめ類」といった大きな文字の下に、「まっさきにやけた警視廰」とか「避難民にくはれたヒビヤ公園の鴨」などの小さな文字がある。民衆は、公権力を嘲笑したり生存意欲をなりふり構わず露わにしたりしながら、震災という非常事態をたくましく生き延びていたのだろう。
本展で展示されたおびただしい資料は、同館スタッフの小山田知子の祖父、佐伯武雄が個人的に収集したもの。当時青山に居住していた武雄は所用で出かけた茅ヶ崎で被災したが、その二日後に、息子が誕生した。その一報を受けた武雄は、手紙で「震太郎と名づけよ」と伝えたという。当時、震太郎や震也、震子などの名前は珍しくなかったそうだ。「震」の文字が名前に含まれていることは、現在の感覚からするとかなり奇特に見えるが、おそらく武雄はそうすることで自らが経験した天変地異を後の時代に伝えようとしたのかもしれない。だが、そこには出来事の伝達ばかりでなく、その壮絶な出来事をたくましく生き延びる健やかな精神性も、きっと託されていたに違いない。

2014/09/28(日)(福住廉)

マリリンとアインシュタイン─神話的イコンに捧げる讃歌

会期:2014/06/07~2014/10/05

インターメディアテク[東京都]

アメリカ大陸を横断するグレイハウンド・バスの原寸大プリント、エルヴィス・プレスリーのサイン入り絵葉書、ジョー・ディマジオが銀座ミキモトで購入してマリリン・モンローに贈ったという真珠のネックレス、レーニン像に毛沢東像、安斎重男が撮ったウォーホルのポートレート、なぜかスバル360、そして赤瀬川原平の「大日本零円札」……これらの最大公約数はなにか? などと考えなくてもおもしろい展覧会だと思う。

2014/09/28(日)(村田真)

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