artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

COLLABORATION─TRANS BOOKS×GINZA TSUTAYA BOOKS

会期:2022/04/04~2022/05/08

銀座 蔦屋書店[東京都]

TRANS BOOKS」は2017年の11月3日の開催を皮切りに、過去にイベントスペースで3回開催され、2020年からはインターネット上で「TRANS BOOKS DOWNLOADs」を開催し続けているブックイベントだ。2022年4月から5月にかけては「銀座 蔦屋書店」とのコラボレーションフェアが開催された。


「COLLABORATION─TRANS BOOKS×GINZA TSUTAYA BOOKS 銀座 蔦屋書店」(2022)


中心的な企画者はアーティスト/ディレクターの飯沢未央、ウェブデザイナーの萩原俊矢、グラフィックデザイナーの畑ユリエであり、彼らの領域が混在することで、短期的なイベントながらひとつの生態系を育んできた。それは雑駁に「2010年代後半から現在にかかる日本語圏のメディアアウェアなプレイヤーたちの祝祭」とまとめることができるだろう。企画者のオファーで集うことになった、「本」だからできることを模索してきたものたちの出版物と、ある媒体固有の表現に注力してきた者たちによる「本」の新作が、一斉に陳列される。こういったきっかけ、舞台としてTRANS BOOKSは出展者も読者も魅了してきたのである。

即売会の醍醐味のひとつにつくり手との対話があるが、TRANS BOOKSに商品個別の売り子は存在しない。開けた空間に整然と本が並ぶさまは、Village Vanguardとは真逆ともいえるし似ているともいえる。「本」の傍らには同じフォーマットのキャプションが添えられていて、内容はGoogle formで企画者から投げかけられた問いに出展者が書き送ったものだ。キャプションは同時にすべてハンドアウトに掲載されていて、「本」を手に取らず買わずとも、展覧会のように本をブラックボックスのごとく鑑賞することができる。ただし、欲しいものがあれば店員さんに会計を頼む。これがTRANS BOOKSだ。


「COLLABORATION─TRANS BOOKS×GINZA TSUTAYA BOOKS 銀座 蔦屋書店」(2022)


今回、「本」のブラックボックス化は極に達した。フラッグで「形式」を問いながら、同じデザインの箱に作家名と作品名と短い説明が書かれた本がぽつんと置かれている。箱のサイズは展示台の大きさから逆算されたかと思わしきフィット感。「箱」をいざレジカウンターに持っていくと、店員さんが名刺サイズのハンドアウトのような紙をくれ、箱はもらえない。もちろん、この強固なフォーマットは情報にだけ施され、出品作自体を抑圧するものではない。差異を顕在化させるための規格化と斉一の問い。いままでのイベントと比べれば小規模だが、TRANS BOOKSが貫いてきた姿勢が凝縮された出店だったといえる。TRANS BOOKSは問いに徹してきた。ただし、問いへの多様な答えがどこでも展開できるほどに、問いのフォーマットを洗練させてきたブックイベントなのである。


「COLLABORATION─TRANS BOOKS×GINZA TSUTAYA BOOKS 銀座 蔦屋書店」(2022)



公式サイト:https://store.tsite.jp/ginza/event/architectural-design/25208-1546330303.html

2022/05/04(水・祝)(きりとりめでる)

リアル(写実)のゆくえ 現代の作家たち 生きること、写すこと

会期:2022/04/09~2022/06/05

平塚市美術館[神奈川県]

川崎市市民ミュージアムは3年前に台風で被災してから休館したままだし、横浜美術館は昨年から改修工事のため休館中だし、両市合わせて人口500万人を超すというのに、人里離れた川崎市岡本太郎美術館を除いて美術館はほぼ壊滅状態。そのため、両市を通り越して三浦半島から湘南にかけての美術館に行くことが増えた。横須賀美術館からカスヤの森現代美術館、葉山と鎌倉の神奈川県立近代美術館、茅ヶ崎市美術館、平塚市美術館まで数も多いし、中小規模ながら内容的にも充実している。今日はそのうち平塚市美と茅ヶ崎市美をハシゴ。

「リアルのゆくえ」は5年前に見た展覧会と同じタイトルなので、また同じ作品を見せるのかと訝ったが、けっこうおもしろかったのでもういちど見るのもいいか、「けずる絵、ひっかく絵」もやってるしと思い直して足を延ばした。最初は高橋由一や水野暁らの絵が並んでいるので、やっぱり同じかと思ったが、後半になると彫刻ばかりなので違う。前回はすべて絵画だったが、今回は彫刻のほうが多い。

絵画は由一の《豆腐》《なまり》《鯛(海魚図)》など静物画から始まる。地味だが、対象を凝視し「リアル」に表わすには静物がもっともふさわしいことがわかる。前回いちばん感銘を受けたのは水野暁だが、今回も粘り強く描き込んだ大作《日本の樹・二本の杉(白山神社/東吾妻町・伊勢の森/中之条町)》や、リアルを求めてアンリアルな怪物的形象に至った「Mother」シリーズを出品。遠野市に住む本田健は、以前は鉛筆による風景画ばかり制作していたが、近年は油彩で雑草をはじめ田舎の身近な風景を濃密に描き出している。これはすばらしい進化。中折れしたトイレットペーパーの芯を大画面に描いた横山奈美の《逃れられない運命を受け入れること》は、以前どこかで見て感動した覚えがあるが、今回はフロッピー、砲弾、火のついたタバコといった時代遅れのオブジェや、「Painting」と描いたネオンをモノクロに近い暗い色彩で表わしている。モチーフの選択と表現テクニックが絶妙に絡み合う。これらに共通するのは、いずれも身近なもの、日常卑近なものを描いているということだ。

リアルな絵画を高橋由一から始めたように、彫刻では松本喜三郎や安本亀八の生人形を出発点とし、西洋彫刻の洗礼を受けた高村光雲や平櫛田中を経て、現代の彫刻表現までの流れのなかに日本独自の「リアル」を探ろうとしている。例えば、古い欄間の透かし彫りを集めて再構築した小谷元彦の《消失する主体》「消失する客体」シリーズや、鋳造のための鋳型を転用して立体の凹凸を反転させた中谷ミチコの作品は、彫刻の概念からはみ出しつつそれでもまだ彫刻の範疇にとどまっている。ところが、動く彫刻の「自在置物」をつくる満田晴穂や本郷真也、「曜変天目」や鉄瓶を漆器で擬態する若宮隆志らの作品は、彫刻というより「工芸」に近い。実際、彼らの出自は鋳金や漆芸だ。さらに、色といい質感といい本物そっくりのシリコン製の義手や義指を出品した佐藤洋二は、本来の仕事である義手・義足製作をアートの域にまで高めようとしている。じつは、生人形の喜三郎は人体模型や義足製作も手がけていたというし、佐藤の祖父も菊人形師であった。ここらへんに日本の彫刻、日本のリアルの独自性がありそうだ。

関連レビュー

リアルのゆくえ──高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの|村田真:artscapeレビュー(2017年06月15日号)

2022/05/03(火)(村田真)

けずる絵、ひっかく絵

会期:2022/04/09~2022/06/12

平塚市美術館[神奈川県]

「リアルのゆくえ」の隣でやってたのでついでに見る。ていうか、「けずる絵、ひっかく絵」というタイトルと、ラスコーの洞窟壁画をアレンジしたようなポスターを見る限り、「リアルのゆくえ」よりおもしろそうだ。

そもそも絵は「ひっかく」ことから始まったと思っている。絵画を英語でいうと「picture」「painting」「drawing」などいろいろあるが、ピクチャーは図像全般を指すとして、ペインティングは絵具で塗った絵、ドローイングは線で描いた絵に分けられる。そして、絵は先史時代に洞窟の壁を引っ掻いた線刻画から出発したと考えられ、それは幼児が線で物の輪郭をとることから絵を描き始めるという事実からも推察できる。まず引っ掻いてつくる輪郭(ドローイング)ありきで、その後、線に囲まれた部分を色で埋めていく(ペインティング)というのが絵画の発展過程だろう。だから「描く」とは壁を引っ掻くことであり、語源としては「絵掻く」が正しいのではないだろうか。そんな「描くこと」の本源に迫る展覧会かもしれない……。

なんて期待が一気に膨らんで会場に入ったら、一気にしぼんでしまった。展覧会は基本的にコレクション展で、44点の出品のうち38点は井上三綱と鳥海青児という湘南ゆかりの画家の作品に占められている。ラスコーの壁画まがいの作品は井上によるものだが、ふたりともやや抽象がかった具象画で、いかにも昭和の洋画といった趣。確かに厚塗りではあるけど、あまり削ったり引っ掻いたりしているのが特徴とは思えない。いささかガッカリしながら進んでいくと、ようやく最後のほうに内田あぐりと岡村桂三郎の大作があって、特に岡村の作品は「けずる絵、ひっかく絵」のタイトルにふさわしい見応えのあるものだった。結局、湘南ゆかりのふたりの作家のコレクションを見せるために「けずる絵、ひっかく絵」というテーマを捻り出し、それだけじゃ頼りないからあと2、3人の作品を補強したってところでしょうか。

2022/05/03(火)(村田真)

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2022

会期:2022/04/09~2022/05/08

京都府京都文化博物館 別館ほか[京都府]

このところ、コロナ禍もあって秋に会期を移していた「京都国際写真祭」が、ようやく通常通り4~5月に開催された。今回で10回目ということだが、前回からあまり間がなかったということもあり、華やかな印象はあまりなく、小さくまとまったイベントになった。

ギイ・ブルダン「The Absurd and The Sublime」(京都府文化博物館別館)、イサベル・ムニョス×田中泯×山口源兵衛「BORN-ACT-EXIST」(誉田屋源兵衛 黒蔵・奥座敷)、アーヴィング・ペン「Irving Penn: Works 1939-2007. Masterpieces from the MEP Collection」(京都市美術館別館)、奈良原一高「ジャパネスク〈禅〉」(両足院[建仁寺山内])など、それぞれしっかりと組み上げられた、クオリティの高い展示だったが、新たな展開が見えるというわけではない。

唯一、意欲的かつ刺激的なラインナップだったのは、細倉真弓、地蔵ゆかり、鈴木麻弓、岩根愛、殿村任香、𠮷田多麻希、稲岡亜里子、林典子、岡部桃、清水はるみが出品した「10/10 現代日本女性写真家達の祝祭」(HOSOO GALLERY)である。女性写真家たちを顕彰する「ウーマン・イン・モーション」プログラムの支援を受け、京都国際写真祭の共同創設者のルシール・レイボーズと仲西祐介、そして写真史家でインディペンデント・キュレーターのポリーヌ・ベルマールがキュレーションしたグループ展で、写真家たちの創作意欲を的確なインスタレーションに落とし込んだ充実した内容だった。

ただ、出品作家の表現の方向性があまりにもバラバラであり、なぜ、いま「現代日本女性写真家」という括りで写真展を企画するのかという意味づけも明確とはいえない。「複数の形態を持つ強く官能的な感情」を表出する殿村仁香「焦がれ死に die of love」と、父の死をきっかけに彼の故郷の村の祭事を撮影した地蔵ゆかり「ZAIDO」とを同居させるのは、やや無理があるのではないだろうか。とはいえ、東北の桜と伝統芸能とを撮影して震災とコロナ禍を結びつけようとする岩根愛の「A NEW RIVER」、北朝鮮に渡った日本人妻を丁寧に取材した林典子「sawasawato」の切迫感のあるインスタレーション、また、𠮷田多麻希、稲岡亜里子、清水はるみによる、これまで目にしたことがなかった新鮮なアプローチの作品を見ることができたのはとてもよかった。

「京都国際写真祭」も10回目ということで、ひとつの区切りを迎えつつある。いつも思うことだが、人選、会場、統一テーマ(今回は「ONE」)にあまり必然性が感じられないことなどを含めて、どのようなイベントにしていくのかを、もう一度再考すべき時期がきているのではないだろうか。

2022/04/29(金)(飯沢耕太郎)

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SICF22 EXHIBITION部門グランプリアーティスト展/チャンジンウェン「記憶容器」

会期:2022/04/26(火)~2022/05/01(日)

スパイラルガーデン[東京都]

スパイラルでは、2000年から若手のクリエイターを対象としたアート・フェスティバル、SICFを開催しているが、第22回のグランプリ受賞者展を訪れ、トークを行なった。台湾生まれのチャンジンウェンは、多摩美術大学の博士課程に在籍し、岩絵具などを使い、和紙に集合住宅や室内をモチーフとした風景を描く作家である。圧巻なのは、スパイラル状のスロープがとりまく円形の吹き抜け空間に設置された巨大な絵画だろう。高さが3mを超える3枚の絵、というよりも、3つの直方体のヴォリュームがあり、それぞれの前面に絵が架けられている。その結果、上階から見下ろすと、まるで大きな建築の模型のようにも感じられるだろう。修了制作の1点と、この空間を意識した新作2点を加えて構成したものである。いずれも、ひたすら集合住宅の窓を反復しているが、生活感があらわれやすい建築の部位にも関わらず、人間をまったく描かないことによって、かえって都会の孤独感を強調している。タイミングを考えると、コロナ禍において人々が室内に閉じこもる風景のようだ。



チャンジンウェン「記憶容器」展の会場風景 吹き抜けから見下ろす


チャンの故郷である台湾と東京で目撃した団地をモチーフにしており、一見似ているが、よく観察すると、判別できる。アジアの都市に多いのだが、盗難防止などを目的として、窓にグリル(格子)が入っている奥の作品が台湾の集合住宅だ。これは装飾的な効果も生むが、東京の方はそれがなくもっと平坦な印象が強い。細部の建築表現はリアルである。だが、全体としては、水平方向にも垂直方向にも異様なまでの長さによって、非現実的なものに変容されている。ほかにも今回の展示では、誰かが去った後のような室内画の旧作や、スパイラルの窓を描いた新作も発表していた。前者は窓の外の風景がほとんど見えない。彼女によれば、台湾はあらかじめ調度品が備えてあったり、前の居住者の痕跡が残っているのに対し、日本の賃貸住宅が空っぽの状態で引き渡されることに興味を抱いたという。人間不在の室内は、パースも微細に歪み、不安がかきたてられる。スパイラルを設計した槇文彦は、しばしば人が動く階段をデザインの見せ場とするが、後者の作品は、ファサードに反映されたエスプラナード(大階段)に沿って、段々になった開口を描きながらも、下の部分をカットし、やはり人間の気配を消している。建築写真では絶対にやらないフレーミングだろう。また窓のプロポーションも実物とはだいぶ変えており、チャンの絵画世界によって建築が再解釈されている。



チャンジンウェン「記憶容器」展の会場風景(手前は東京)




チャンジンウェン「記憶容器」展の会場風景(台湾の集合住宅をモチーフにした作品)



チャンジンウェン「記憶容器」展の会場風景(室内を描いた作品群)



チャンジンウェン「記憶容器」展の会場風景(スパイラルをモチーフにした作品)



スパイラル外観


公式サイト:https://www.sicf.jp/

2022/04/28(木)(五十嵐太郎)