artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
第25回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)展
会期:2022/02/19~2022/05/15
川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]
公募展や団体展というのは回を重ねるにつれマンネリ化していくものだが、この「岡本太郎現代芸術賞(太郎賞)展」は例外で、20回を超えてからもますます尖ってきているように見える。今回は会場に足を踏み入れたとたん、まるでお祭り騒ぎに巻き込まれたようなにぎやかさに圧倒された。伝説でしか知らないが、この過激さは読売アンデパンダン展(以下、読売アンパン)の末期に近いのではないか。
最初に目に入るのは、長さ6メートルもの巨大なバナナの皮。三塚新司の《Slapstick》だ。バナナの皮といえば、たぶん世界中で通用するグローバルなお笑いアイテムのひとつだが、これほど大きなバナナの皮だと、どれだけ巨大な存在をスベらせ、どれだけ笑いを誘うのか、想像するだけで楽しい。表現があまりにリアルでストレートすぎる嫌いはあるが、中身のない皮だけを、空気で膨らませたバルーンで再現するという転倒ぶりも笑える。これは岡本敏子賞。バナナの向こうには、赤と黒を基調にした数十点の絵が壁一面に掛けられている。と思ったらすべて刺繍作品だった。吉元れい花の《The thread is Eros, It’s love!》で、中央に「糸」「エロス」「愛」という文字を据え、花や人の図像が刺繍されている。なんだか怪しい雰囲気。こちらは岡本太郎賞を受賞。
近年はこのように、絵画や立体を壁や床いっぱいに並べる見せ方が増えている。特にこの大賞展は縦横奥行きが各5メートル以内という規定があるので、壁3面のブースの正面にメインの作品を飾り、周囲に小さめの作品を並べるという形式がここ数年ブームのようになっている。昨年、大賞を受賞した大西芽布も、一昨年の大賞受賞者の野々上聡人もそうだった。今年も、麻布の人形(ひとがた)を並べた村上力(特別賞)、植物をモチーフにしたタブローの井下紗希、鎖国をテーマにした墨絵の平良志季、シュルレアルなフォトコラージュを何百枚も貼り出した出店久夫らはほぼ同じ形式で見せている。逆に、以前よく見かけた巨大なタブローや彫刻を1点だけ見せる例はめっきり減り、今回は三塚のバナナくらい。
このように作品を集積する見せ方が、お祭り騒ぎのようなにぎやかさを醸し出していることは間違いない。ただし、この傾向が入選しやすいとか受賞しやすいといった理由で増えているとしたら、ちょっと残念な気がする。先に読売アンパンと比べたが、決定的に違うのは、読売アンパンは出品作品に規定がなく(末期には規定が設けられたが)、いかに他人と異なっているか競い合っていたのに対し、こちらの大賞展の作品は、あらかじめサイズや素材などが規定内に収まった入選作であり、賞があるせいか今回のようにあるひとつの傾向に流されやすいことだ。いってみれば「お行儀のいい過激派」。これも時代の流れだろうか。
2022/04/03(日)(村田真)
伊藤義彦「フロッタージュ─フィルムの中─」
会期:2022/03/23~2022/04/28
PGI[東京都]
5年ぶりだという伊藤義彦のPGIでの個展には意表を突かれた。そこに並んでいたのは写真のプリントではなく、凹凸のあるものの上に紙を置いて鉛筆で擦り、その形を浮かび上がらせるフロッタージュの手法で制作された作品だったからだ。
伊藤は撮影済みのネガをプリントする段階で手を加え、新たなイメージへと再構築していく作品をずっと作り続けてきた。ところが、愛用していた印画紙が市場から姿を消したことで、それ以上作品制作を続けることができなくなった。途方に暮れながら、残されたフィルムの断片をいじっているうちに、そこに規則正しく並んでいるパーフォレーション(フィルムの穴)の形を、そのままフロッタージュで写しとることを思いついたのだという。
そうやってでき上がった本作は、フィルムという媒体に対する愛着だけでなく、伊藤が本来持っていた造形作家としての構想力を全面的に開花させたようだ。シンプルだが、味わい深いフィルムのフォルムが紙の上で自由自在に結びつき、伸び広がり、融通無碍な画面が形づくられていく。フィルムだけでなく、切り紙や丸い穴が空いたテンプレート、蝶の形のオブジェなども使って、遊び心あふれるミクロコスモスが織り上げられていた。
その楽しげな作業の集積を見ていると、思わず顔がほころんでくる。伊藤自身にとっても思いがけない展開だったのではないかと思うが、この仕事はいろいろな方向に動いていく可能性を持っているのではないだろうか。
2022/04/02(土)(飯沢耕太郎)
オノデラユキ「ここに、バルーンはない。」
会期:2022/03/19~2022/04/09
RICOH ART GALLERY[東京都]
パリに住んで30年近くになるオノデラユキの個展。キャンバス上にプリントを貼った7点の連作で、いずれも街角を撮ったモノクロ写真の上に、黄色っぽい絵具がベットリと付着している。街の上空に出現した粘体性のエイリアン? というよりは、写された風景写真に覆いかぶさった次元の異なる異物といったほうがいい。汚いたとえだが、写真の上に吐き出されたゲロみたいな(笑)。
そもそもこの作品をつくるきっかけは、1900年初めに撮られた1枚の写真だという。パリの街角を撮ったもので、中央に人がたくさん集まって頭上のバルーンを支えるブロンズのモニュメントが写っている。モニュメントの作者はニューヨークの自由の女神像と同じ、オーギュスト・バルトルディ。ところが現在、そんなモニュメントはパリのどこにも見当たらないので調べてみたら、第2次大戦中に解体され、溶かされて武器かなにかに変えられたらしい。そこでオノデラはモニュメントのあった広場に行き、周辺の風景を撮影。拡大したプリントをキャンバスに貼り、その上からリコーの技術で2.5次元のレリーフ印刷を可能にする「ステアリープ」プリントによって、例の黄色い「ゲロ」を定着させた。
それはオノデラによれば、「『溶けて無くなった彫像』の不在を呼び戻すような行為」だという。だが、こうもいえないだろうか。ブロンズ彫刻は溶かせば武器や弾薬に再利用できるが、写真や絵画は燃やせば灰になってなにも残らない。その驚きと無力感のない交ぜになった不条理な感情が、この不定形なかたちを生み出したのだと。日常的な風景写真と異次元の妖怪=溶解物との出会い。実存の不安に嘔吐したロカンタンではないが、「ゲロ」のたとえもあながち的外れではないかもしれない。
関連レビュー
オノデラユキ「ここに、バルーンはない。」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2022年04月15日号)
2022/04/01(金)(村田真)
カタログ&ブックス | 2022年4月1日号[テーマ:Chim↑Pomが「時代に呼応」し続けてきた記録としての5冊]
注目の展覧会を訪れる前後にぜひ読みたい、鑑賞体験をより掘り下げ、新たな角度からの示唆を与えてくれる関連書籍やカタログを、artscape編集部が紹介します。
震災、都市、原発などさまざまな社会問題に呼応しては介入を試みるアーティストコレクティブ・Chim↑Pomの過去最大規模の回顧展「ハッピースプリング」(森美術館にて2022年2-5月開催)。2005年から活動を続ける彼らの問題意識と、発想を定着させる瞬発力・行動力にひたすら圧倒される本展。その秘密に迫る5冊を選びました。
今月のテーマ:
Chim↑Pomが「時代に呼応」し続けてきた記録としての5冊
1冊目:We Don't Know God: Chim↑Pom 2005–2019
Point
それまでのChim↑Pom作品を一挙にまとめた、2019年の刊行時点での決定版的作品集。その後に続くコロナ禍や東京五輪の開催など、この数年間の社会の激動ぶりと、それに呼応して新たな作品を続々と発表しているChim↑Pomの活動の旺盛さに目が回るような思い。会田誠、椹木野衣などによる論考も豊富に掲載。
2冊目:都市は人なり SukurappuandoBirudoプロジェクト全記録
Point
五輪の開催が2013年に決定して以降、都市開発の名の下に急速な変貌を遂げてきた東京。本書は、取り壊しを控えた歌舞伎町のビルでの展覧会「また明日も観てくれるかな?」を中心としたプロジェクトの克明な記録集。初期より路上からの視点を一貫して持ち続けてきたChim↑Pomの《ビルバーガー》はやはり圧巻。
3冊目:はい、こんにちは ─Chim↑Pomエリイの生活と意見─
Point
「ハッピースプリング」展の後半に彼女に焦点を当てたパートがあることからもわかる通り、Chim↑Pomのパフォーマンスに不可欠なのがエリイの存在。そんな彼女が人工授精からの出産を経て上梓したドキュメント。いわゆる出産エッセイとは一線を画する、エッセイと小説の中間のような独自の文体が脳裏に焼き付くよう。
4冊目:公の時代──官民による巨大プロジェクトが相次ぎ、炎上やポリコレが広がる新時代。社会にアートが拡大するにつれ埋没してゆく「アーティスト」と、その先に消えゆく「個」の居場所を、二人の美術家がラディカルに語り合う。
Point
Chim↑Pomのメンバー卯城竜太と美術家の松田修による二人の対話で淡々と綴られていくのは、地域芸術祭などを通して公共に「配置」される存在となりかけているアーティストや、現代日本における個人の感覚の変化に対する問題。近年頻繁に起こる、表現活動と炎上の関係性などを考えたい人にも勧めたい一冊です。
5冊目:乙女の絵画案内 「かわいい」を見つけると名画がもっとわかる(PHP新書)
Point
大学院でも美術史を専攻した和田彩花(元アンジュルム)が古今東西の名画の見どころを綴った、アート鑑賞入門としても読みやすく自由な視点がもらえる一冊。彼女が現代美術の面白さに開眼したのは、3.11に関連したChim↑Pomの展示「Don’t Follow The Wind」(2015)がきっかけだそう。
Chim↑Pom展:ハッピースプリング
会期:2022年2月18日(金)~5月29日(日)
会場:森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53F)
公式サイト:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/chimpom/index.html
「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」展覧会図録
展覧会カタログ + 大型ポスター + LPレコード
本展を企画した森美術館キュレーター(近藤健一)による論考や、セクション解説、作品解説、作品図版、作家によるイラストなどを掲載。LPレコードには、展覧会会場用オーディオガイド音声の抜粋とアーティスト涌井智仁によるリミックスを収録。
※LPレコードの音源はパソコンのみでダウンロードできます(期間限定回数制限あり)。詳細は商品に同封される説明書をご確認ください。
◎展示会場、森美術館オンラインショップで販売中。
2022/04/01(金)(artscape編集部)
メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年
会期:2022/02/09~2022/05/30
国立新美術館[東京都]
開催まもない時期に行ったらけっこう混んでいたので、今度は夜間に訪れる。夜間といってもまん延防止等重点措置も解除されたことだし、腐っても(?)メトロポリタン美術館、ある程度の混雑は覚悟していたが、あれれ? がら空き。見やすいったらありゃしない。
「メトロポリタン美術館展」が日本で最初に開かれたのは、ちょうど50年前の1972年のこと。ぼくはまだ高校生で、ワクワクしながら出かけたのを覚えている。会場は東京国立博物館。当時はまだ美術館が少なく、洋の東西を問わず大規模展には東博が使われることが多かった。そのときのカタログを引っ張り出してみると(なんとニクソン大統領がメッセージを寄せている)、出品作品は115点と、今回の65点の倍近い。でも内容的には、古代の彫像から版画、アメリカ絵画まで含めた総花的な紹介だった。今回ベラスケスの《男性の肖像》を見て懐かしさを覚えたのは、半世紀前にも見て痛く感動した記憶が蘇ったからだ。ちなみに当時の表記は「ヴェラスケス」の《芸術家の肖像》。画家自身の自画像と見られていたようだ。ほかにも数点の作品が重複している。
会場に入って最初に出会うのが、カルロ・クリヴェッリの小品《聖母子》。非現実的な描写のなかで、左下に止まったハエの存在だけは妙にリアルだ。正面にティツィアーノの《ヴィーナスとアドニス》。男女のひねった身体の絡みはティツィアーノの得意とするところだが、このヴィーナスの姿勢、ちょっと無理じゃね? 右足があらぬ方向に曲がってますよ。隣の小部屋にはディーリック・バウツ、ヘラルト・ダーフィット、ヒューホ・ファン・デル・フースら北方の画家たちによる珠玉のような小品が並ぶ。これはフェティシズムをくすぐられる。次のバロックの部屋にはベラスケスの《男性の肖像》をはじめ、カラヴァッジョ《音楽家たち》、ラ・トゥール《女占い師》、フェルメール《信仰の寓意》など目玉作品がずらり。《女占い師》の色調に合わせたのか、鮮やかな朱色に塗られた壁はバロック美術の華やかさを強調するが、さほど気にならない。
展示の後半は、シャルダン、フラゴナール、ターナーなどいくつかの佳品はあるものの、印象派になると明らかに精彩を欠いていく。モネの《睡蓮》などほとんど目が見えない状態で描いたんじゃないかと思えるほど(それはそれで興味深いが)。これならルネサンスとバロックだけで十分という気がする。それほど粒よりの作品が集められているのだ。おいおいこんなに持ってきて大丈夫かよって心配になるくらいだが、そこは天下のメトロポリタン美術館。ベラスケスなら《フアン・デ・パレーハ》、ティツィアーノなら《ヴィーナスとリュート弾き》、フェルメールなら《水差しを持つ女》といった、より評価の高い作品はちゃっかり温存しているのだ。だからこの展覧会を見て「メトロポリタン美術館はすばらしい」と感動してはいけない。「メトロポリタン美術館はもっともっとすばらしい」と想像するのが正しい鑑賞法だろう。
公式サイト:https://met.exhn.jp
2022/04/01(金)(村田真)