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美術に関するレビュー/プレビュー

ポーラ美術館開館20周年記念展 モネからリヒターへ ─ 新収蔵作品を中心に

会期:2022/04/09~2022/09/06

ポーラ美術館[神奈川県]

新収蔵作品のお披露目を兼ねた開館20周年を記念するコレクション展。「モネからリヒターへ」の「モネ」がポーラ美術館の看板だとすれば、「リヒター」は新収蔵作品の目玉といったところか。両者とも近年オークションでは数十億円の値がつけられる新旧の巨匠とはいえ、このふたりを並列するのはいささか違和感がある。なんというか、モネの行き着く先がリヒターかよみたいな。ある意味当たってるけど、それでいいのかみたいな。そんな違和感を補うキーワードが「光」だ。モネをはじめ印象派を中心とするコレクションも、まばゆいリヒターの絵画も、箱根の自然に囲まれた美術館の環境も「光」にあふれているし。でもそれをいっちゃあ、どんな美術作品だって光と無縁ではありえないけど。

むしろ「モネからリヒターへ」を、「近代から現代へ」という美術館の路線変更宣言と読むべきかもしれない。5年ほど前から若手美術家のためのアトリウムギャラリーを開設したり、「シンコペーション」展や「ロニ・ホーン」展を開いたり、創設者・鈴木常司の急逝後しばらく休止していた作品収集を現代美術中心に再開するなど、明らかに比重を現代に移してきている。でもそれを声高にいうと、印象派目当ての観客から敬遠されかねない。だから当たり障りのない「光」を共通テーマに据えたってわけ。そういえば20年前の開館記念展も「光のなかの女たち」だったし。

邪推はこのくらいにして、会場を回ってみよう。展示は鈴木の収集した近代美術を軸とする旧蔵作品中心の1部と、現代美術を中心とする新収蔵品の2部構成で、計20章に分かれている。第1章は開館記念展と同じ「光のなかの女たち」で、マネ、ルノワールら鈴木コレクションのほか、モリゾやドローネーら新収蔵作品も公開。以下「水の風景、きらめく光」「揺らぐ静物」と続くが、驚くのはモネの《睡蓮の池》とリヒターの《抽象絵画(649-2)》を並べていること。なるほど、サイズは違えど両者ともほぼ正方形だし、さまざまな色彩が溶け込んだ《睡蓮の池》の部分を100倍くらいに拡大してみれば、《抽象絵画(649-2)》になるかもしれない。でも俗物のぼくは2点合わせて100億は下らないなどと思ったりするわけです。

第5章から日本の近代絵画が始まるが、おやっと思ったのは、ヴラマンクと里見勝蔵や佐伯祐三が並んでいること。フォーヴィスムの影響関係を示そうとしたのはわかるが、これはもう影響というレベルではなくパクリ。特にヴラマンクと里見はどっちがどっちか区別がつかない。余談だが、大阪中之島美術館の開館記念展ではこの3者に加えユトリロも並んでいたから、もうどれがだれの作品やら。

第2部の現代美術を軸とする新収蔵作品が始まるのは第10章からで、山田正亮の時代の異なる3作品を始め、田中敦子、李禹煥、海外ではモーリス・ルイス、ドナルド・ジャッド、アニッシュ・カプーアなどよく集めたもんだ。屋外には「森の遊歩道」に、企画展で招いたスーザン・フィリップスのサウンド・インスタレーションや、ロニ・ホーンのガラス彫刻が常設展示され、自然豊かなポーラ美術館の呼び物となっている。ところで、近年の収集作品にはこのふたりに加え、ヘレン・フランケンサーラー、ブリジット・ライリー、パット・ステア、三島喜美代ら女性作家が多い。鈴木コレクションには女性作家の作品がほとんどなかったことを考えれば、このへんにも時代の流れを感じることができる。

2022/04/09(土)(村田真)

谷澤紗和子「Emotionally Sweet Mood─情緒本位な甘い気分─」

会期:2022/03/19~2022/04/09

studio J[大阪府]

「切り紙」という媒体を通して、美術史における女性作家の周縁化や規範化された女性表象に対して、どう問い直すことが可能か。切り紙による平面作品やインスタレーションを主に手がける谷澤紗和子は、本展において、高村智恵子とアンリ・マティスという、ともに病を得た晩年に切り絵を手がけた2人の作品を引用し、問題提起する。

ヒヤシンスの球根を漉き込んだ和紙に、ヒヤシンスの鉢植えの切り絵を配した《情緒本位な甘い気分》《Emotionally Sweet Mood》はともに、3点しか現存しない高村智恵子の油彩画のひとつを元にしている。タイトルは、智恵子の死後、夫の高村光太郎が綴ったエッセイ「智恵子の半生」の一文から取られている。智恵子は光太郎と出会う前の若い頃の油彩画をすべて処分したが、光太郎は実見していないそれらについて「幾分情調本位な甘い気分のものではなかったかと思われる」と憶測した。光太郎には搾取している意識はなかったかもしれないが、『智恵子抄』など「光太郎の眼を通した智恵子像」が浸透してしまっている。だが谷澤作品をよく見ると、ヒヤシンスの植木鉢に眼と口が切り抜かれており、「智恵子自身が語る言葉を聴きたい」という思いが伝わってくる。



[© studio J]


また、晩年に精神を病んだ智恵子が手がけた「紙絵」作品をモチーフにした別の作品群では、「I am so sweet!」「NO」といった言葉が切り抜いて添えられ、他者からの一方的な規定を逆手に取り、肯定的なものとして自らの手に取り戻し、「NO」と声を上げる抵抗の身振りが示される。だが、作品を縁取るフレームをよく見ると、金具や引き戸の付いた古い木材であることに気づく。解体された家屋の廃材を再利用したものであり、「古い家制度の解体」を示すと同時に、なおも閉じ込められているようにも見え、両義的だ。



[© studio J]


一方、マティスの晩年の切り絵作品「Blue nude」シリーズを引用した谷澤の「Pink nude」では、固有の顔貌を奪われて抽象化された裸婦に、眼と口を切り抜いて「顔」が回復されると同時に、全身にトゲのような「ムダ毛」が生えている。さらにもう一作では、マティスの切り絵に、アニメのセーラームーンの変身シーンが重ねられている。「男性キャラクターの添え物」ではなく、女の子自身が戦う姿を描いた点で画期的だった同作だが、見せ場の「変身シーン」では裸のシルエットが光り輝いたり、「10頭身の美少女」として描かれるなど、規範的なジェンダー観の強化や性的消費につながる側面も併せ持つ。谷澤の「Pink nude」は、「ブルー」に対して「ピンク」を対置する点では短絡的に映るかもしれないが、赤やピンクに加え、紫やどす黒い赤までが混ざり合った色彩は、「怒りの色」にも見える。怒りの色に全身を染め、ムダ毛=トゲで武装した彼女たちは、他者による一方的な身体の理想化や記号化、性的消費に対して戦っているのだ。



[© studio J]



[© studio J]

2022/04/09(土)(高嶋慈)

前田英樹『民俗と民藝』、沢山遼『絵画の力学』、北大路魯山人『魯山人の真髄』

著者、書名:前田英樹『民俗と民藝』
発行所:講談社
発行日:2013/04/10

著者、書名:沢山遼『絵画の力学』
発行所:書肆侃侃房
発行日:2020/10/17

著者、書名:北大路魯山人『魯山人の真髄』
発行所:河出書房新社
発行日:2015/08/06

先日閉幕した「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」(東京国立近代美術館、2021年10月26日〜2022年2月13日)をきっかけとして、民藝が新たに脚光を浴びている。柳宗悦・河井寬次郎・濱田庄司の3人が「民藝」という言葉を考案したのが1925年のことであるから(翌1926年に「日本民藝美術館設立趣意書」を発表)、いまや民藝の歴史もほぼ一世紀を数えることになる。そうした節目であることに加え、昨今の時代の趨勢もあり、民藝をめぐる入門書や専門書の類いはここのところ百花繚乱の様相を呈している。そこで今回は、あえて新刊書に限定することなく、いわゆる「民藝」を論じたものとしては見落とされがちな幾つかの書物を取り上げることにしたい。

前田英樹『民俗と民藝』は、柳田國男(1875-1962)と柳宗悦(1889-1961)という「互いにほとんど通い合うところがなかった」2人の仕事を、「輪唱のように」歌わせることに捧げられた書物である(同書、3頁)。著者は、柳田の民俗学と柳の民藝運動に共通の土壌を「原理としての日本」という言葉で言い表わしている。ただし、著者もことわっているように、ここでいう「原理としての日本」とは、狭隘な日本主義や日本特殊論とはいかなる関係もない。それは、近代化の過程で抑圧されてきた数ある伝統のうち、かつてこの列島に存在した何ものか──たとえば「稲」に対する強い信仰──を名指すための暫定的な言葉である。

同書は『民俗と民藝』と題されているだけあって、柳田國男による民謡の採集にまつわるエピソードから始まったかと思えば、いつしか柳宗悦による李朝陶磁の発見をめぐる話題へと転じるなど、「民俗学」と「民藝運動」をまたぐその構成に大きな特徴がある。なかでも強い印象を残すのは、この2人の仕事や思想を記述する、その力強い筆致であろう。本書をぱらぱらとめくればすぐさま明らかになるように、その文体は、ごく整然とした伝記的な記述とは一線を画している。柳についてのみ言えば、著者の眼目は、柳が李朝陶磁と木喰仏との出会いを通じていったい何を「発見」したのか、というそもそもの始まりを復元することにある。まるでその場に立ち会ったかのような迫真的な記述は好みが分かれるだろうが、すくなくとも本書は、民藝思想の始まりにいかなる「原光景」が存在したのかを、われわれの目にまざまざと映し出してくれる。

沢山遼『絵画の力学』には、柳宗悦論である「自然という戦略──宗教的力としての民藝」が収められている(初出『美術手帖』2019年4月号)。同論文は、柳の思想における「芸術」と「宗教」という二つの立脚点に照準を合わせ、この両者の不可分な関係を批判的に論じたものである。知られるように、初期のウィリアム・ブレイク研究から、晩年の一遍上人研究にいたるまで、思想家・柳宗悦の核心にはつねに宗教をめぐる問いがあった。1920年代に誕生した「民藝」の思想が、それを放棄するのではなくむしろ深化させたということも、柳のその後の著述活動から知られる通りである。

沢山の前掲論文は、こうした柳の宗教=芸術思想に対する、ある重大な臆見を拭い去るものである。柳は、わずかな個人の天才性に依拠する近代芸術を退け、むしろ中世のギルド的な生産体制を評価した。こうしたことから、今も昔も、柳の民藝思想は近代芸術のまったく対極にあるものと見なされるきらいがある。しかしながら、宗教や神秘主義への関心は、柳と同時代の抽象芸術にもしばしば見られるものである。具体的に挙げれば、青騎士(カンディンスキー)やシュプレマティスム(マレーヴィチ)のような同時代の美術実践・思想は、民衆芸術や神智学を通じた「現実の階層秩序」の解体や無効化をめざすという点で、柳の民藝思想と大きな親和性を有している(同書、324頁)。

民藝運動が、従来の近代芸術へのアンチテーゼであったとする見方は、以上のような視点を欠いたごく一面的なものにすぎない。沢山が「階層秩序の脱構成」と呼ぶこの視点を確保することによってこそ、柳宗悦の思想を同時代の美術潮流のなかにただしく位置づけることが可能になる。これに加え、最初の著書である『科学と人生』(1911)において心霊現象やテレパシーに関心を寄せ、やがて主体なき「自動性」に基づく芸術生産を謳うことになった柳の民藝思想が、シュルレアリスムの「自動記述(オートマティスム)」と同時代的なものであるという指摘も示唆的である。

最後に、柳宗悦の同時代人である北大路魯山人(1883-1959)の著作を挙げておきたい。古今の書画に通じ、すぐれた料理家・美食家でもあった魯山人は、柳をしばしば舌鋒鋭く批判したことでも知られる。過去の偉大な思想は、しばしば過剰なまでの神秘化を呼び招くものだが、柳を批判する論敵・魯山人の筆は、等身大の人間としての柳宗悦の姿をわれわれに伝えてくれる。

それだけではない。幼少より書画の分野で才覚を発揮した魯山人は、1926年、43歳のときに鎌倉で本格的な作陶を開始する。これは柳らが「日本民藝美術館設立趣意書」を公表したのとほぼ同時期のことであった。柳宗悦と北大路魯山人と言えば、人格的にも思想的にも対極的な人物と見られるのが常である。しかし、平野武(編)『独歩──魯山人芸術論集』(美術出版社、1964)などに目を通してみれば、読者はそこに「自然」を唯一無二の範とするこの人物の芸術思想をかいま見ることができる。それは柳の言う「自然」──沢山の前掲書を参照のこと──と、いったいどこまで重なり合い、どこで袂を分かつのか。生前、民藝運動を批判して止むことのなかった魯山人だが、『魯山人の真髄』に所収の「民芸彫刻について」や「柳宗悦氏への筆を洗う」をはじめとする論攷を傍らに置いてこそ、民藝そのものもまた新たな姿を見せるのではないか。魯山人が生前に書き残したものは、平野雅章(編)『魯山人著作集』(全三巻、五月書房、1980)にまとめられているほか、主だったものは『魯山人味道』『魯山人陶説』『魯山人書論』(中公文庫)などでも読むことができる。

2022/04/09(土)(星野太)

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澤田華「避雷針と顛末」

会期:2022/04/02~2022/04/29

Gallery PARC[京都府]

若手作家の発表に力を入れてきたGallery PARC。コロナ禍を受け、2020年6月末に展示スペースを閉鎖し、外部での展示企画やオンラインでの作品販売などを手がけていたが、書店やギャラリー、カフェ、印刷工房が入居する複合施設「堀川新文化ビルヂング」に移転して活動再開した。移転後初となる本展では、「夏のオープンラボ:澤田華 360°の迂回」(2020年、広島市現代美術館)での発表作品《避雷針と顛末》が再構成して展示された。

印刷物や画像投稿サイトの写真のなかに「発見」した「正体不明の物体」が何であるかを検証するため、写真を引き伸ばし、輪郭線を抽出し、トリミングや解像度を変えて画像検索にかけ、3次元の物体として「復元」を試みる。だが「正解」は得られず、「誤読」の連鎖反応により、無数の近似値が増殖していく。澤田華の代表的シリーズ「Blow-up」(引き伸ばし)や「Gesture of Rally」(ラリーの身振り)は、「写真の明白な意味」を脱臼させ、「写真」の持つ不可解な力を取り戻すための試みであると同時に、印刷物やモニター画面のあいだをイメージが亡霊のように漂い続ける状況を指し示す。また、画像検索やスマートフォンの音声アシスタント機能を検証プロセスに介在させ、「エラー」「誤読」の加速化を呼び込む状況を作り出すことで、私たちが日常的にデジタルデバイスで行なっている情報収集の不確かさや受動性を批評的にあぶり出す。

本展では、こうした手法や問題意識を引き継ぎつつ、検証すべき「不明瞭な何か」が、写真という視覚情報から、「澤田自身が街中で偶然耳にした言葉の断片」という、より非実体的なものに置き換わった。展示会場には、「池田 Everybodyて知ってるか」「だってあの二人手つないだりしてんもん」「なにが終わったん? 人生?」といった、澤田がメモした断片的で脈絡のない言葉が羅列されている。これらをウェブ検索や音声アシスタント機能に入力した「検証結果」が提示される(が、何の役にも立たない)。さらに、「元の会話の文脈」を想像した台本の制作を複数の他者に依頼し、俳優が演じた9本の映像が上映される。「カップルの痴話ゲンカ」「下手な漫才の練習」といったありそうなものから、「地下アイドルの追っかけが高じて、交際相手に脅迫の手紙を送ろうとしたことを友人に告白する男性」といった凝ったシチュエーションや、メモの言葉をそのまま接合した「アンドロイド2人のちぐはぐな会話」に対して、人間が「会話になってない」とツッコむシュールなものまで、差異のバリエーションが発生する。

ここで、本作が写真の検証シリーズと大きく異なるのは、「復元プロセス」を「他者の想像力」に完全に委ねている点だ。「避雷針」として出来事を呼び込んだ澤田は、落雷がもたらした「綻び」を縫合するのではなく、潜在する複数の可能態へと開き、「唯一の現実」の強固さを解体していく。「ただひとつの正しい意味」に収斂しない想像力のためのレッスンは、演劇の持つ批評的な力とも通底しているのではないだろうか。



[撮影:麥生田兵吾 写真提供:Gallery PARC]



[撮影:麥生田兵吾 写真提供:Gallery PARC]

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2022/04/08(金)(高嶋慈)

Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展:藤井光

会期:2022/03/19~2022/06/19

東京都現代美術館[東京都]

東京都とトーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)が、中堅アーティストを対象に複数年にわたる支援を行なう「Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)」。第2回の受賞者、藤井光と山城知佳子の受賞記念展が開催された。個展形式の展示だが、アジア太平洋戦争期に日本軍の委嘱で戦地に派遣された約100名の画家によって描かれ、敗戦後にアメリカ占領軍に接収された戦争画(作戦記録画)の扱いをめぐり、占領軍が残した資料を検証した藤井の新作と、出身地・沖縄の基地問題や沖縄戦の記憶の継承について作品化してきた山城とは、「戦後処理」の問題や日米の権力構造という点で呼応する。本評では、「展覧会の入れ子構造」をとおして、「戦争画153点が一堂に会した展覧会」の「再現(過去)/失敗(現在)/まだ見ぬ実現可能性(未来)」の重なり合いを提示して秀逸だった藤井の新作に焦点を当ててレビューする。


展示会場に入ると、「The Japanese War Art Exhibition(日本の戦争美術展)」と壁に書かれた展覧会タイトルが目に入る。会期は昭和21年8月21日~9月2日、会場は東京都美術館。日英併記だが、日本語→英語の順ではなく、英語の方が先に書かれていることに注意しよう。「入場 占領軍関係者に限る」と明記されるように、これは、アメリカ合衆国太平洋陸軍が主催し、軍関係者に向けて戦争画を公開した展覧会の「再現」なのである。

ここで衝撃的なのは、輸送コンテナのパネルや梱包材が貼られた木製パネルが巨大なサイズで壁に掛けられ、その下に「サイパン島同胞臣節を全うす 藤田嗣治 1945年」「北九州上空野辺軍曹機の体当たりB29二機を撃墜す 中村研一 1945年」といった「キャプション」が記されていることだ。ではなぜ藤井は、輸送や梱包用の素材を用いて戦争画を原寸大で「再現」しつつ、「見えない絵画」として提示したのか。



藤井光《日本の戦争画》2022「Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展」展示風景、東京都現代美術館、2022 [Photo:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース]


奥の通路に進むと、モノクロの不鮮明な映像を、ずらりと並ぶモニターが映し出す。細部はぼやけて曖昧だが、銃を構えた兵士、戦闘機、会談する軍人たちのイメージだとわかるものもある。時折挿入される、マイクロフィルムを読み取る顕微鏡や、英語でタイプ打ちされた作品情報のカットから、これらが、「占領軍が撮影した戦争画の写真」をマイクロフィルム化した資料を閲覧するという、二重、三重の手続きを経たものであることがわかる。焦点の合わない「不鮮明さ」とイメージからの「何重もの隔たり」は、戦争の記憶に接近することの困難さや距離感をリテラルに指し示す。



藤井光《日本の戦争美術》2022「Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展」展示風景、東京都現代美術館、2022 [Photo:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース]


加えて、戦争画の処遇をめぐり、当時の軍関係者たちの会話や証言を再現した音声が流れる。陸軍省の指令でアメリカ本国に送り、アメリカ人従軍画家の絵画とともにメトロポリタン美術館で展示する予定で収集を進めており、傷んだ作品は画家たちが修復中であること。だが、マッカーサーへの伝達ミスで混乱が生じ、誰がどう判断を下すのか保留中であること。美術的・歴史的価値を認め、文化財として保護すべきなのか? プロパガンダとして廃棄すべきなのか? 戦利品とみなし、ほかの連合国と分配すべきなのか? 軍関係者の証言はこう結ぶ:「ともあれ、戦争を賛美する作品は日本人の目から遠ざけておくべきである。すべての作品が集まったとき、然るべき人物が作品を吟味し、取るべき行動を決定するはずだ」と。だが、軍関係者に限定公開された展覧会でも結論は出ないまま、153点の戦争画は東京都美術館の展示室に残され、5年間放置された。その後1951年にアメリカへ輸送され、「無期限貸与」という名目で日本に返還されたのは1970年。現在は東京国立近代美術館が管理している。

ここで、アメリカ国立公文書館所蔵の占領軍の資料を元に「不可視の絵画群」として戦争画を提示した本作の構造は、藤井が「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展で発表した《爆撃の記録》を想起させる。《爆撃の記録》は、東京大空襲の記憶の継承を目的とする「東京都平和祈念館」の計画が凍結され、証言映像や遺品などの資料が死蔵状態であることに焦点を当てた「メタミュージアム」である。「キセイノセイキ」展への資料の貸出が断られ、あるべき資料が不在の「空っぽのガラスケースや台座」を提示することで、現在の抑圧と同時に、記憶の継承の困難さと来るべき実現に向けた想起(の困難さ)が重ね合わされる。この《爆撃の記録》を補助線に引くことで、戦争の記憶に対する国家の管理が発動する場である、展覧会やミュージアムという表象の制度に対するメタ批判が浮かび上がってくる。



藤井光《日本の戦争画》2022「Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展」展示風景、東京都現代美術館、2022 [Photo:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース]


本作における藤井の企図は、以下のように複数のレベルで読み取ることができる。(1)まず第一義的にそれは、「敗戦直後の東京都美術館に搬入された戦争画」の再現であり、梱包材はアメリカへの輸送計画を示唆する。原寸大での再現は、英雄的モニュメントとしての「巨大さ」を体感させる(その巨大さはまた、単色で塗られたり矩形に分割されたベニヤ板が、カラー・フィールド・ペインティングやミニマリズム絵画を擬態することで、戦後アメリカ美術のマッチョな覇権主義をも示唆する)。(2)同時に、梱包すなわち「イメージを隠す」ことは、敗戦国・被占領国の国民である私たちが入場を禁じられ、それらを見ることを許されていない事態を指し示す。(3)だが、「不可視の状態に置かれた戦争画」は、現在でも続いているのではないか。東京国立近代美術館では、常設展で数点ずつ戦争画を展示してはいるものの、153点すべてのまとまった公開は未だ実現していない。藤井の身振りは、一括公開されない現状への批判でもある。(4)さらに、「梱包状態」とは、「戦争の記憶」を封じこめようとする抑圧や自主規制そのものの可視化でもある。「東京国立近代美術館の収蔵庫」を模したと思われる後半の展示構成は、戦争画を閉じ込める「檻」のように見える。(5)そして、上述の証言の結びを思い起こすならば、私たち観客こそ、「集まったすべての作品を吟味し、判断を下すべき」主体として呼びかけられているのではないか。ここに差し出されているのは、過去の抑圧を、負の歴史に主体的に向き合う契機へと転じていこうとする強い意志である。


参考文献:針生一郎ほか編著『戦争と美術 1937-1945』(国書刊行会、2007)

2022/04/06(水)(高嶋慈)

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