artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
ミケランジェロ展──天才の軌跡
会期:2013/09/06~2013/11/17
国立西洋美術館[東京都]
日本では絵画がほとんど来なくても「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」が成立するように、彫刻がほとんど来ない「ミケランジェロ展」だってノープロブレムだ。彼らほどの底なしの天才となれば、素描だけでも十分鑑賞に耐えるからだ。実際、素描を見せられても「なんぼのもんじゃ」と思うけど、たとえば高校生のころ穴の空くほど複製を見つめ、模写も試みた《レダの頭部習作》の本物を目の当たりにすると、やはり心が動かされる。何通か公開されている手紙も必見もの。直筆文字は意外にも活字のようにていねいに書かれているし、ある手紙にはその日に食べた料理が「パン2個、ワイン1瓶、ニシン1匹」といったようにイラスト入りで記されている。几帳面な性格だったようだ。そんなことがわかっただけでもうれしい。
2013/09/05(木)(村田真)
吉田和生「TB」
会期:2013/08/30~2013/09/23
吉田和生は1982年、兵庫県生まれ。2004年に滋賀県立大学人間文化学部卒業後、グループ展などを積極的に組織し、「群馬青年ビエンナーレ2012」では大賞を受賞するなど、意欲的な活動を展開してきたのだが、やや意外なことに今回の東京・原宿のhpgrp GALLERY TOKYOでの展示が初個展になるのだという。
彼の仕事は、身の回りの光景や東日本大震災の被災地などを撮影した時代性、社会性がやや強い作品と、より抽象度が大きいデジタル処理による構成的な作品に大別されるが、今回の「TB」展は後者に大きく傾いている。「Sky Scape」「Sheet Scape」など、タイトルに「Scape(風景)」という言葉は入っているが、現実の風景ではなく、画像にノイズを入れたり、スキャニングの過程で紙を動かしたり、インクをはじく透明シートにプリントアウトしてドット状のパターンを作ったりして、とても込み入ったデジタル的な「Scape」を形成していく。そうやって出来上がった画面が、ある種の「自然」の一部を思わせる形状、構造を備えているように見えてくるのが面白い。「Sky Scape」のシリーズは、画面がちょうど2分割されていて、あたかも空、水平線、海のようでもある。これは明らかに、杉本博司のよく知られた作品「Seascapes」への軽やかで的確な批評だろう。
この世代から、写真に対する新たな思考と実践が芽生えてこないかと、以前から期待していたのだが、吉田がその有力なひとりであることが、今回の個展で証明されたのではないかと思う。
2013/09/04(水)(飯沢耕太郎)
田口行弘 展「Makeover」
会期:2013/08/17~2013/09/14
無人島プロダクション[東京都]
和田昌宏とは一味違った妙味を見せたのが、田口行弘である。ドイツを拠点にしながら世界各国を渡り歩いているが、本展ではその旅の軌跡を各地で制作した映像作品によってたどった。
田口といえば、ストップモーションアニメ。人や物を少しずつ動かしながら写真に撮影し、それらをつなぎ合わせて動画として見せる。本展でも、現地の人や物を被写体にしたストップモーションアニメを存分に披露した。とりわけキューバの作品は、鮮烈な色彩と軽快な音楽が相まって、映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のような空気感を醸し出していた。
今回改めて注目したのは、田口の作品に流れる時間性である。これまで気がつかなかったが、田口の作品は基本的には通常の時間軸に沿いながらも、時間に逆行する一面もあるのだ。ストップモーションアニメが時系列に則って編集されていることは言うまでもない。ただ、随所で用いられているクローズアップの先に場面転換を図る手法だけは、過去に遡行している。そのクローズアップの先に用意されている写真は、過去に撮影していなければこの世に存在しないからだ。すなわち、先へ先へと進んでいく時間性に基づきながらも、要所要所で過去へ立ち戻るのだ。
それゆえ、作品の全体を見渡してみると、田口の作品は未来へ向かって前進しているように見えるが、じつは明らかに過去へ向かっている。ここにベンヤミンが示した後ろ向きの天使のモデルを重ねることもできなくはない。けれども、田口のストップモーションアニメの醍醐味は、言ってみれば進歩主義の身ぶりを呈した回帰主義にあるのではないだろうか。進歩主義を無邪気に信奉する時代は終わった。今後は、進歩のふりをして回帰する、いや回帰することが進歩になりうるという時代になるはずだ。田口行弘の作品には、その時代の変転が刻まれている。
2013/09/04(水)(福住廉)
東北画は可能か?
会期:2013/08/31~2013/09/23
ARTZONE[京都府]
東北芸術工科大学の美術科日本画コース准教授の三瀬夏之介と、同洋画コース准教授の鴻崎正武により、2009年から始められたチュートリアル活動(教員と学生が共に取り組む課外活動)である「東北画は可能か?」。山形で、東北で、日本で、絵を描くことの意味を問い続けるこの活動は、決して明確な解答が得られるものではない。そもそも「日本画」「洋画」というジャンル分け自体が曖昧なのだから、さらに「東北画」を加えたところで屋上階を重ねるだけだ。しかし、彼らが言うとおり「問い続ける」ことには意味がある。アーティスト活動とは「問い続ける」ことの連続にほかならず、ジャンルはその後についてくる。すなわち「東北画」とは、彼らにとって突破口を見つけるためのキーワードにほかならない。今回は、同校OB、大学院生、学部生の作品と共同作品が展示された。作風や素材はさまざまだが、関西では見慣れないタイプの作品があったのもまた事実である。伝統文化の濃度が濃い関西で、彼らが放ったカウンターパンチの影響は決して小さくないだろう。
2013/09/03(火)(小吹隆文)
視触手考画説
会期:2013/07/06~2013/09/01
トーキョーアートミュージアム[東京都]
プラザ・ギャラリー開設25周年記念展の第3期は、菊池敏直の企画で、「第一線で活躍する作家からハンディをもつ人の作品までを同じ空間に展示する」というもの。「第一線で活躍する」のは小山利枝子、佐川晃司、藤村克裕ら9人で、絵画、コラージュ、彫刻など1点1点サイズも大きく、余裕を持って展示している。それに比べ「ハンディをもつ」約20人は小さめの作品が多く、狭い空間に2段3段がけで展示されている。別に「差別」を告発しようというのではなく、逆に「ハンディをもつ人」のいわゆるアウトサイダーアートは1点1点独立して鑑賞するものではなく、むしろ何点も並べて全体で見せたほうが力を発揮することを確認させてくれた。じゃあ「第一線」は1点1点鑑賞に耐えるかというと、それが問題なのだ。なかにはどちらに属するのかわかりにくい作家もいたが、作品の大きさと展示面積の広さでかろうじて判断できた。
2013/09/01(日)(村田真)