artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

上出惠悟「楽園創造──芸術と日常の新地平」

会期:2013/07/13~2013/08/24

ギャラリーαM[東京都]

事前情報なしで行ってみたら陶磁器が並んでいたので面食らう。もちろんたんなる伝統工芸でもなければ実用品でもない。たとえば真っ白いバナナが紋(商標?)入りで焼かれていたり、花柄の割れた皿を金継ぎで再生して富士山の輪郭を浮かび上がらせたり、磁器の表面にアラビア文字を書いてみたり、釉薬が表現主義絵画のように下まで流れ落ちていたり。古今東西を混淆させ、絵画と陶芸の垣根を取っ払いつつ、実用品として使えないこともないというヌエのような作品。まさに日本的? 作者は九谷焼窯元・上出長右衛門窯の6代目で、東京藝大の油画科で学んだ経歴をもつ。

2013/07/25(木)(村田真)

東松照明『Make』

発行所:SUPER LABO

発行日:2013年5月

写真の本質は「Take」(撮ること)なのか、それとも「Make」(作ること)なのか。そんな議論が話題を集めたのは1980年代、「コンストラクテッド・フォト」とか「ステージド・フォト」とか称される、あらかじめセットを組んだり、場面を演出したりして撮影するスタイルがいっせいに登場してきた時期だった。「Take か、Makeか?」という二者選択として論じられることが多いが、必ずしもそうとは言えないことが、この写真集を見ているとよくわかる。というより東松照明は、そのスタートの時期から「Take」と「Make」を混在させたり、行き来したりする操作をごく自然体でおこなうことができる写真家だった。何しろ、彼のデビュー作である愛知大学写真部の展覧会に出品された「皮肉な誕生」(1950)や「残酷な花嫁」(同)が、すでに「Make」の要素をたっぷりと含んだ作品だったのだ。
それから2000年代に至るまで、東松は倦むことなく「Make」作品を制作し続けた。「ニュー・ワールド・マップ」(1992~93)、「ゴールデン・マッシュルーム」(1988~89)、「キャラクターP」(1994~)など、見るからに「Make」的な作品もあるが、「プラスチックス」(1988~89)などは、見た目は「Take」の写真に思える。ただこうしてみると、彼の写真家としての体質の根源的な部分に「Make」への衝動があり、それが何か大きな転機をもたらすきっかけになっていたことは間違いないと思う。
本書は東松が生前から企画し、作品の選択や構成も自分で決めていたのだという。用意周到というしかない。むしろ若い世代の写真家たちにとって、東松照明を新たな角度から見直す、いい機会になるのではないだろうか。

2013/07/24(水)(飯沢耕太郎)

福田美蘭 展

会期:2013/07/23~2013/09/29

東京都美術館[東京都]

以前、作者の口から「プランが決まれば9割は完成」という言葉を聞いたことがある。描くべき内容が最重要で、あとはそのプランに従って描いていくだけだと。これはある意味、古典絵画の考え方に近い。油彩画以前のフレスコ画では、下絵(プラン)さえ完璧ならあとは色を塗る作業だけだからだ(油彩以後になると、描きながら考え、考えながら描いていくことが可能になる)。しかも彼女はアイディアが明快なうえ描写力が抜群なので、なおさら「描くこと」が手段に堕している印象を与える。キャンバスに油彩ではなくパネルにアクリルで描いてることも、また名画の模写が多いことも、彼女の「描くこと」に対する頓着のなさを物語っていないか。久しぶりに、しかも大量に福田美蘭の作品を見てそう思った。ところが2011年の《磔刑図》以降の新作を見ると、表現主義的な筆触が目立ち始め、「描くこと」がたんなる作業ではなく「喜び」でもあるように感じた。東日本大震災を報じる新聞を描いた《春─翌日の朝刊一面》、宗達を換骨奪胎した《風神雷神図》、ゴッホの《薔薇》を大画面に展開した《冬─供花》などにそれを感じる。もっとも彼女の場合、表現主義的といっても無意識や偶然性の入り込む余地は少なく、滴り落ちる絵具まで描き込む程度には自覚的だが。

2013/07/24(水)(村田真)

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yang02「untitled2」

会期:2013/07/20~2013/10/20

中村キース・ヘリング美術館[東京都]

家族で小淵沢へ一泊旅行。ついでにキース・ヘリング美術館に寄ってみる。ここは2年前にも来たが、小規模とはいえ観光客相手のチャラい美術館とは違って、何人かいる学芸員がちゃんと企画を立てて展示活動を行っている希有な美術館だ。今回は「キュレーターズ・セレクション」の第6回としてyang02をピックアップ。長い通路の壁に張られたキャンバス布にエアゾルによるグラフィティが書かれている。ビデオを見ると、スプレー缶を左右からワイヤーで吊り、モーターで上下左右に動かしながらペイントしていく様子が映し出されている。“自動グラフィティ装置”を使って書いているのだ。たしかにグラフィティの線というのは人間離れしたストロークを理想とするので、機械にやらせたほうがいいという考え方もある。でもグラフィティライターは「人間離れしたストローク」を実現させたいから自分でやってるのであって、それを機械にやられちゃあ筋違いと考える人もいる。そのことを確認するためにも、言い換えれば「人はなぜグラフィティするのか」を再認識するためにも、この装置は有用なのかもしれない。

2013/07/21(日)(村田真)

プレビュー:あいちトリエンナーレ2013 揺れる大地──われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活

会期:2013/08/10~2013/10/27

名古屋地区、岡崎地区[愛知県]

都市型現代アート・イベントの雄「あいちトリエンナーレ」がいよいよ開催。今年は五十嵐太郎(都市・建築学)を芸術監督に迎え、東日本大震災後を強く示唆するテーマのもと、現代美術75組、パフォーミング・アーツ18組が参加、そしてオペラ公演も行なわれる。また、岡崎市が会場に加わり、エリアが拡大したのも今年の見所だ。前回から3年の月日が経ち、いまや日本各地で地域型アート・イベントが大流行している。それらの先輩格であり、都市型イベントの先駆者でもある「あいちトリエンナーレ」が、一体どんなビジョンを見せてくれるのか。テーマから察するにメッセージ色の強い作品が大挙して押し寄せる可能性もあり、その成否には注目せざるをえない。

2013/07/20(土)(小吹隆文)

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