artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
阿部淳「市民・黒白ノート・黒白ノート2」
会期:2013/07/29~2013/08/04
プレイスM[東京都]
阿部淳は自らが主宰するVACUM PRESSから、『市民』(2009)、『黒白(こくびゃく)ノート』(2010)、『黒白ノート2』(2012)の3冊の写真集を刊行している。だが、『市民』と他の2冊では写真を選択・構成するやり方が違ってきているようだ。『市民』では「都市の人々という具体的で明解なまとまり」を志向しているのに対して、『黒白ノート』『黒白ノート2』では「写真が形になる、生成の途上に一瞬偶発的に起きる写真的経験」を浮かび上がらせようとしている。そのために『黒白ノート2』を編集するにあたって、「(2000年までの)20年間のコンタクトから、その意識でセレクトし直し、今のところ600点ほどのプリントを」仕上げたのだという。
このような、スナップショットそのものの成立のあり方を問い直すような作業は、あるようであまりないのではないだろうか。結果として、『市民』『黒白ノート』『黒白ノート2』と進むにつれて、以前のくっきりと被写体を定着したような完成度の高いスナップショットが、より曖昧で未分化な場面をすくい取った画面に変質しようとしている。今回の第25回写真の会賞受賞展では、3冊の写真集からアトランダムに抽出されたプリント200点以上が、壁全体に撒き散らすように貼り巡らされており、阿部の真摯な探求のプロセスを辿ることができるようになっていた。黒く塗りつぶされたような影のパートから、不意にぬっと姿をあらわす「都市の人々」のたたずまいが、何とも不穏で暴力的だ。この探求がこれから先どのように展開していくのかを、しっかり見届けていきたいものだ。
なお階下のM2ギャラリーでは、写真の会賞を同時受賞した松江泰治の新作映像作品「jp0205v」が展示されていた。こちらも面白い作品だ。写真(静止画像)の画面をスクロールするように動画で撮影することで、スリリングな視覚体験を創出している。
2013/07/29(月)(飯沢耕太郎)
下瀬信雄「つきをゆびさす」
会期:2013/07/17~2013/07/30
銀座ニコンサロン[東京都]
下瀬信雄は、山口県萩市で写真館を経営しながら作家活動を続けている写真家。1996年以来、ニコンサロンで10年以上にわたって発表し続けた「結界」シリーズなどで知られるが、1998年に刊行された写真集『萩の日々』(講談社)に連なるような、日々目にした光景を撮影し続けたスナップショットの独特の切り口にも惹かれるものがある。今回は中判カメラとデジタル一眼レフカメラを併用して、萩を中心として津和野、美東、周南、北九州の各市まで撮影の範囲を広げ、春から秋にかけてゆったりと流れる時間のなかでの人々の暮らし、子どもたち、植物や昆虫、街の光景などを丁寧に、だがのびやかな眼差しで捉えている。被写体の微妙な陰翳を、そっと包み込むように捉えた写真群を眺めていると、呼吸がすっと楽になるような気持ちのよさを味わうことができた。
タイトルの「つきをゆびさす」というのは、仏教用語の「指月」(しがつ)から来ているという。月を指さそうとしても、月を見ることはできずに指を見ることになるということだ。萩市に指月城(萩城の別名)や指月公園があるというだけではなく、どうやらこの言葉を、下瀬はある種の「写真論」として解釈しているようだ。つまり、真実を写そうとしても、写るのは目の前のとるに足らない事象ばかり。だがそのことを嘆くよりは、むしろ「指」そのものの眺めの面白さ、多様性を細やかに見つめ続けることに歓びを感じているのだろう。これから先もずっと長く撮り続けていってほしい写真家のひとりだ。なお本展は、8月8日~21日に大阪ニコンサロンに巡回する。
2013/07/29(月)(飯沢耕太郎)
浜口陽三、池内晶子、福田尚代、三宅砂織「秘密の湖」
会期:2013/05/18~2013/08/11
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション[東京都]
東京・水天宮前のミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションで開催された「秘密の湖」展は、同館が所蔵する銅版画家、浜口陽三の作品に、三人の現代美術作家の新作をあわせた展覧会だ。そのうち、1975年岐阜県生まれの三宅砂織の作品は、フォトグラムの技法で制作されている。普通、フォトグラムは写真の印画紙の上に何かを置いて光をあて、その輪郭をシルエットとして写しとることでつくられる。ところが三宅の場合、フォトグラムのために用いられる主な材料は、彼女自身が透明なシートの上に描いたドローイングなのだ。それらを印画紙の上に配置し、さらにガラス玉や模造宝石のようなオブジェをちりばめて光に曝す。結果として、できあがってくるのは、写真とも絵画ともつかない、何とも奇妙な手触りを備えた画像である。
もうひとつ重要なのは、三宅のドローイングの元になっているのが写真だということだ。彼女が自分で撮影したものもあるし、友人からもらったスナップ写真、古書店や蚤の市などで購入した古写真(ファウンド・フォト)もある。実際の風景を描くのではなく、写真をドローイングに“翻訳”していく、そのプロセスが制作に組み込まれ、さらに予測不可能な光の拡散や滲みが作用することで、彼女の作品は確実に写真的なリアリティを獲得している。見方によっては、本物の写真よりもより写真らしく見えてしまうものもあるのがとても興味深かった。このような写真と絵画の融合の試みは、なかなか面白い表現の可能性を孕んでいるのではないだろうか。
なお、赤い絹糸を結び合わせて、繊細な神経の震えが形をとったような空間を構築する池田晶子、本のページに無数の針穴を穿ったり、原稿用紙の枡目を切り抜いたりして、日常の事物を魔術的に変容させる福田尚代の作品も、それぞれ見応えがあった。三人の女性作家の「秘密の湖」を垣間見るような、どこかエロチックな視覚的経験を味わわせてくれる好企画だと思う。
2013/07/28(日)(飯沢耕太郎)
古巻和芳 展 絹の国の母たち
会期:2013/07/10~2013/07/28
ギャラリーあしやシューレ[兵庫県]
「越後妻有アートトリエンナーレ」の作品制作で、2005年から新潟県十日町の蓬平という集落に通い続けている古巻和芳。彼が同地の老人たちから取材した生糸や絹にまつわるエピソードと、実家が呉服屋を営む彼自身の記憶が融合して、本展の作品は生まれた。今から50年以上前に自分が育てた繭から取った糸で自らの花嫁衣装を作った女性からその衣装を借り、長さ4メートルの生糸の束と共に展示したインスタレーション、絹糸をまとった木製トルソ、古巻呉服店の在庫の着物や反物を撮影し、白生地に投影した映像作品、古い鏡台の薄型テレビを組み込み、着物姿の女性たちが髪をくしけずる・ほどく様子を映し出す映像作品など、作品はいずれも上質で、表現する必然性を感じさせるものばかり。彼の個展を見るのは久々だったが、やはり実力のある作家だと改めて感じた。
2013/07/27(土)(小吹隆文)
曽谷朝絵「宙色(そらいろ)」
会期:2013/07/27~2013/10/27
水戸芸術館[茨城県]
虹色に輝くバスタブや水滴をはらんだガラス窓など、光あふれる光景を描いてきた曽谷の大規模な個展。初めのほうの展示室では清冽なタブローが並び、途中には色とりどりのシートを波紋状に切り抜いて壁や床に貼ったインスタレーションの部屋もある。圧巻は、天井から吊るした鏡の球体にアニメーションを投影し、展示室全体に色彩を反映させた新作の映像インスタレーション《宙》。ひととおり見て歩くと、虹色の絵画に始まり、着色シートを切り抜いて貼ったインスタレーションに移行し、アニメによる映像インスタレーションに到達したことがわかる。平面(2次元)→立体(3次元)→映像(時間)と一歩ずつ着実に進歩しているし、そのチャレンジングな姿勢には感心するが、しかし映像だけ見ると、どこかで見たようなありふれたイメージのように感じてしまう。唯一無二のイメージを確立した絵画に比べ、映像だとだれでもできそうに思えてしまうのだ。言い換えれば、それだけ絵画で光を表わすのが難しく、だからこそ価値があったのであって、最初から光である映像で光を表現しても珍しくないということだ。もちろん彼女自身そんなことは百も承知で、いまさら映像に転向するつもりはないだろうし、あいかわらず絵も描き続けている。とくに最近の絵はこれまでと違った方向性を感じさせ、期待がもてる。
2013/07/27(土)(村田真)