artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
木村大作+金澤誠『誰かが行かねば道はできない』
発行所:キネマ旬報社
発行日:2009年6月
富山で開催された建築学会のイベントで、映画『劔岳』を監督した木村大作氏と対談を行なう機会があり、その準備もあって本書を読んだ。本来、木村は監督というよりも、カメラマンとして長く映画に関わっている。黒澤明の作品を担当し、さらに『八甲田山』のような厳しい仕事を手がけ、その存在が知られるようになった。これは金澤誠による詳細なインタビューを通じて、さまざまな映画の撮影や現場の様子がわかる本である。建築・都市の視点から興味深かったのは、『野獣狩り』(1973)や『誘拐』(1997)だった。いずれも都市を舞台にした映画だからである。だが、驚かされたのは、重要なシーンがすべて許可を得たものではなく、ゲリラ的に撮影されていたということだ。とくに『誘拐』は、大胆に銀座や首都高速を使っている。これはメディア・スクラムもテーマとしており、マスコミ役、カメラマン役(本物のカメラマンにあちこちから応援してもらったという)、群衆を含め、現地集合、現地で流れ解散だった。日本映画ではめずらしく大胆に都市を使う映画だと思っていたら、こういう背景があったわけである。現場で警察をおしとどめながら、会社で責任をとる覚悟で、この映画は制作された。最近は山形などの地方でフィルム・コミッションも増えたが、アメリカとは違い、一般的に日本の都市は映画の制作に非協力的であるのが理由らしい。日本では、『機動警察パトレイバー』の映画版のように、アニメでないと、すぐれた都市映画がつくりにくいのも、うなづけよう。しかし、香港という都市空間を魅力的に映像化した作品、ウォン・カーウァイの『恋する惑星』(1994)のように、世界の各都市にひとつずつ、こういう作品があると楽しい。東京も、もっと実写による都市映画が登場すれば、ブランド力をあげることにつながるのではないか。
2010/09/30(木)(五十嵐太郎)
内田樹『下流志向』
発行所:講談社
発行日:2007年1月
著者と対談する機会があり、まとめて何冊か再読したり、新たに読んだ。正直、『下流志向』は、セールス的には売れる書名だろうが、三浦展『下流社会』にあやかったようなタイトルで避けていた。しかし、今回手にとって読んでみると、乾久美子さんが推薦していたとおり、確かにおもしろい。現代の日本では、自らの意思で知識や技術の習得を拒否し、階層降下していく子どもが(史上初めて?)出現したという。内田は、それは子どもが最初から消費主体として形成されるからだと考察する。本書は、内田の著作『こんな日本でよかったね』でも触れていたテーマをふくらませた教育論だが、筆者の経験に照らし合わせても、共感できる部分が多い。一番納得したのは、「学校で身につけるもののうちもっとも重要な『学ぶ能力』は、『能力を向上させる能力』というメタ能力」だという指摘だ。つまり、数値で計測できる知識や技術の習得ではない。本書は、グローバリズムやアメリカ的な成果主義を批判する一方、ある意味では前近代的なコミュニケーションの復活も唱えている。近年、宮台真司や東浩紀も父として発言することから、こうした立場に近づいているのを考えると、興味深い同時代の現象だ。内田が直接的に建築に触れることはないが、現代の住宅は家族だけで構成されており、他者がいないという主張は、プログラム論に接続するだろう。実際に内田氏と彼の自邸+道場を設計中の光嶋裕介氏を交え、トークを行ない、感心させられたのは、自らの本で述べていることを実践していること。カタログから建築家を選ぶのではなく、たまたまの出会いから若手建築家に設計をぽんと依頼したこと。そして(構造主義的に?)他者が考える内田の家を受け入れつつ、パブリックを内包し、まちに還元するみんなの家をめざしていること。このドキュメントも書籍化されるらしく、建築の完成と出版が楽しみである。
2010/09/30(木)(五十嵐太郎)
藤本壮介『建築が生まれるとき』
発行所:王国社
発行日:2010年8月25日
藤本壮介の、ここ10数年の文章からまとめられた著作集である。第一部は、基本的にそれぞれ作品について書かれた文章であり、第二部は、主に藤本が感動した建築や出来事について書かれている。半分作品集的であり、半分論考集的でもある本である。ところで、藤本にとって「言葉」とは何なのだろうか?本書の最後にそのことが触れられている。それは設計を行なう際の「他者」であり「対話の相手」であるという(「言葉と建築のあいだ」)。これは考えてみると意外な言葉である。なぜなら、言葉を発するのは自分であり、つまりは自分が他者だと言っているからである。ただ、ここに藤本の創作に対する姿勢が現われているように思う。藤本の建築は迷いが少ない、つまり、とてもストレートに伝えたいことが表現されているように見える。ただ、それだけでは藤本の建築が持つ微細な複雑性とでもいうべきものが、どうやって現われてきているのか説明し切れない。おそらく、それが「言葉」との対話から生み出されていると言えるのではないか。藤本は「言葉」も「建築」も分かりやすく、的確で、力強い。しかし、両者のあいだには、やはり微妙なずれがあり、そのずれをめぐって、藤本は絶えず問いを繰り返し、その整合性や関係性を問い続けている。それが、真に藤本の建築の強さになっているのではないだろうか。だから本書は、藤本の建築作品と双対をなしていると言ってよいだろう。
2010/09/20(月)(松田達)
大山顕『高架下建築』
発行所:洋泉社
発行日:2009年3月18日
文句なく面白い。ウェブサイト「住宅都市整理公団」の総裁であり、団地愛好家、工場愛好家として知られる大山顕による写真集。大阪、神戸、首都圏における鉄道高架下につくられた建築群が集められ、その見方や独自の分析も施されている。いわゆる「建築」ではない、「建物」の振る舞いの面白さを見るという点では、アトリエ・ワンによる『メイド・イン・トーキョー』が思い浮かぶ。しかし、アトリエ・ワンが「建物」のさまざまな使われ方の面白さを見ることで、ビルディング・タイプの新しい組み合わせを見出していくのに対し、大山は「高架下建築」というひとつのビルディング・タイプにこだわる。観察術という意味では、今和次郎の考現学や藤森照信らの路上観察学にも通じるところがあるだろう。しかし、路上観察がその対象を観察によって見つけるのに対して、大山の場合は先に観察すべき対象がはっきりしている。もっとも大山のスタンスをよく示す言葉は「萌え」だろう。これまでも、団地、工場、ジャンクションといったひとつのビルディング・タイプに「萌え」てきた。東浩紀的に言えば、大山は「高架下建築言語」ともいうべき「データベース」を見出しながら、その組み合わせが織り成す「小さな物語」としての高架下風景を提示し、そこに「萌え」ている「オタク」という意味で、極めて「ポストモダン」的な写真集なのである。
2010/09/15(水)(松田達)
カタログ&ブックス│2010年9月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
じぶんを切りひらくアート──違和感がかたちになるとき
表現方法や考え方もまったく違う、アーティストと呼ばれる人たちへのインタビュー集。奥の深い話だけではなく、子どもの頃の話や、どのようにしてアーティストになったかなど、わかりやすい話を多く収録。
美術手帳 2010.9 特集 妹島和代+西沢立衛 SANAA
妹島和世と西沢立衛による建築ユニット、SANAAの特集号。2010年プリツカー賞を受賞した彼らのこれまでの作品を振り返るとともに、最新のインタビューを掲載。
建築が生まれるとき
建築家・藤本壮介の著作集。第一部では、著者自身が手がけたほぼすべてのプロジェクトについての解説が多数の図版とともに掲載され、作品集のような趣になっている。個々の建築についての断片的な文章を年代順に整理することで、各プロジェクト相互の繋がりが浮き彫りになる。第二部では、著者が感動した建築や出来事について書かれた文章がまとめられている。
三輪眞弘音楽藝術 全思考 一九九八-二〇一〇
音楽とは何なのかと考える、現代音楽の作曲家三輪眞弘。彼の作品解説、制作の方法、対談、雑誌に発表したテキストなど、さまざまなアプローチからの文章を掲載。
東京──変わりゆく町と人の記憶
三十年前の東京に生きる人々と街の表情を、臨場感あふれる写真と取材記事により22のシーンに写し取る。木場、東京証券取引所、神田青果市場、相撲部屋、喫茶店、床屋、風呂屋、かつぎ屋さんなど、今ではもう見ることのできない多くの懐かしい情景が蘇る。建造物資料としても貴重。[秋山書店サイトより]
写真空間4 特集 世界八大写真家論
誰もが写真を撮れる時代に、しかし人々を圧倒する「作品」を撮り続ける写真家たち。見る者を魅了してやまないエグルストン、ショア、グルスキー、森山大道、中平卓馬などの代表的な写真家8人と作品を紹介し、多様な角度から作家と作品の核心を照らし出す。[青弓社サイトより]
ゼロから始める都市型狩猟採集生活
〈都市の幸〉で暮らす。そのとききみは、政治、経済、労働、あらゆるものから解放され、きみ自身にしかできない生活を獲得するだろう。「0円ハウス」で注目を集める著者による、都市で創造的に生きるための方法論。[太田出版サイトより]
反アート入門
「アート」という言葉が氾濫している今、アートとはどういうものか、という問いに挑んだ一冊。美術批評家・椹木野衣による「あまりに根源的な(反)入門書」。
死にゆく都市、回帰する巷 ニューヨークとその彼方
ニューヨーク在住の気鋭の批評家による、初のエッセイ集。00年代末、激動のアメリカ─その渦中から垣間見えた「世界変革」の可能性とは?「世界民衆」たちが響かせる豊穣な鼓動に耳を澄まし、「死にゆく都市」への眼差しのもと、来るべき「巷としての都市」への夢想をここに開始する。[以文社サイトより]
2010/09/15(artscape編集部)