artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
長島有里枝『SWISS』
発行所:赤々舎
発行日:2010年7月2日
文章家としての長島有里枝の才能に気づいたのは、2009年に刊行された『背中の記憶』(講談社)を読んだ時だ。『群像』に連載された短編をまとめたもので、幼い頃からの家族、近親者、友人たちの記憶を、糸をたぐるように辿り直した連作である。視覚的記憶を文章として定着していく手つきの、鮮やかさと細やかさにびっくりした。思い出したのは幸田文の『みそっかす』や『おとうと』といった作品群で、はるか昔に起こった出来事に対する生理的反応や感情の起伏を、正確に、くっきりと描写していく才能には、天性のものがあるのではないだろうか。同時に、長島の文章にはどこかスナップショットのような爽快さが備わっており、彼女の写真作品と共通する感触もある。
その長島の新作写真集が赤々舎から刊行された『SWISS』。2007年に5歳の息子とともに、スイスのエスタバイエ・ル・ラックにあるVillage Nomadeという芸術家村に3週間滞在した時の記録だ。日記と写真のページが交互に現われる構成になっており、ここでも日記のパートに彼女の文章力がしっかりと発揮されている。記述そのものは、芸術家村で出会った人びととの交友や、父親と別に暮らすことを選びとったばかりの息子との、3週間の間に微妙に変化していく関係のあり方が淡々と綴られているだけだ。だが、庭に咲き乱れる花々や室内の光景を中心に撮影した写真と、重なり合ったりずれたりしながらページが進むうちに、静かな生活の中に湧き起こる感情のさざ波が、生々しい実感をともなって感じられるようになってくる。そのあたりの呼吸が実に巧みで洗練されている。これまでよりもやや抑え気味に、被写体を凝視するように撮影された写真も、しっとりとした味わいで見応えがある。写真と文章とが、さらにみずみずしい関係を構築していく可能性を感じさせる仕事といえるだろう。
なお、特筆しておきたいのは、寄藤文平による造本・デザインのアイディアの豊かさと新鮮さ。紙質やレイアウトに気を配りつつ、物語を包み込む器をダイナミックに仕上げている。表紙の色が20パターンあり、自由に選べるというのも、あまり聞いたことがない。
2010/08/25(水)(飯沢耕太郎)
カタログ&ブックス│2010年08月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
Magical Mysterious Mushroom Tour(マジカル・ミステリアス・マッシュルーム・ツアー)
著者である飯沢耕太郎が世界中のカルチャーシーンからきのこを探し出し、きのこを主役にした絵本やきのこグッズの紹介。いしいしんじの短編「きのこ狩り」、マジック・マッシュルームの研究者R・ゴードン・ワッソンの『ライフ』に掲載された記事「魔法のきのこを求めて」の全訳など、きのこづくしの一冊。
Juvenile
RAT HOLE GALLERYで開催している綿谷修展「Juvenile」にあわせ、写真集を刊行。夏のウクライナで出会ったティーンエイジャーたちを、数年にわたって撮影したカラー写真55点を掲載。批評家・倉石信乃氏による寄稿「外の子供」も収録。
island
表現者による、表現者のための、表現の場を作るべく、機関誌『island』を発刊致します。
We are alive on the earth.
We are family in the world.
Let's make a big ring for our FUTURE
この言葉は、未来美術家・遠藤一郎が、彼の作品の中に記したものです。われわれはこの星でひとつである、未来へ手に手を取り合おう、というこの言葉の背景には、この星で暮すひとりひとりが主体者であり(alive)、ひとりひとりが表現者である(make)という想いが込められています。[islandサイトより]
ロボットと美術 機械×身体のビジュアルイメージ
2010年7月10日から8月29日まで青森県立美術館で開催されている展覧会「ロボットと美術 機械×身体のビジュアルイメージ」のカタログ。ロボットと美術の関わりの歴史を図版、テキストで紹介している。
2010/08/17(火)(artscape編集部)
杉浦貴美子『壁の本』
発行所:洋泉社
発行日:2009年9月3日
杉浦貴美子による、壁の写真ばかりを集めた本。「壁写真家」である杉浦は、ベルリンで見つけたある壁が抽象絵画のようだったことをきっかけに、まちで出会うさまざまな壁の写真を撮り始めた。それを集めたのが本書であり、まさに抽象絵画と言えるような、美しい壁写真が続く。「麻布十番」「千歳烏山」などの地名は書いてあるので、それだけでもその壁がどこにあるのか、想像力をかきたてられる。ごくごく普通の町並み、普通の建物の、しかもヒビや錆び、シミのたくさんある「傷んだ」壁から、これだけの美しい写真をたくさん切り取ることができることは、正直言って驚きである。写真だけではなく、壁コラムや壁素材についてのABC、そして壁鑑賞の方法の手順まで付いているのが、単なる写真集とは異なるところであり、この本のもうひとつの魅力と言えるところであろう。
2010/08/03(火)(松田達)
細田雅春『文脈を探る どこへ行く現代建築』
発行所:日刊建設通信新聞社
発行日:2008年7月26日
本書は、2004年1月から2008年4月まで『日刊建設通信新聞』で掲載された、細田雅春による時評をまとめたものだ。ゼロ年代に入り、『バリュー流動化社会』(2004)では、グローバルな資本主義の世界におけるバリュー流動化を指摘していたが、本書はその後に起きた社会の動向を受けた建築・都市論になっている。いわば、天声人語的な時評はクロニクルに並び、年の変わり目には、当時の状況を思い出せるよう、扉のページに社会の世相や事件の一覧を記す。いずれの文章にも共通しているのは、耐震偽装やサブプライムローンの問題や景観論、ときには展覧会など、具体的なトピックをとりあげ、そこから建築の話題を展開していくこと。建築家は単に商品を扱うパッケージデザイナーではないという。佐藤総合計画の社長だが(本書の刊行時は副社長)、細田が拝金主義的な都市開発やミニ開発を批判し、本来の都市のあり方を論じているのは印象的である。アトリエ系ではなく、大手の設計組織のトップだからこそ、建築に対する資本の影響をダイナミックに感じているのだろう。また、アルゴリズムは都市に貢献するか?など、若手の視線からのアーキテクチャ礼賛論ではなく、大人の視点から語っているのも興味深い。
2010/07/31(土)(五十嵐太郎)
三浦丈典『起こらなかった世界についての物語』
発行所:彰国社
発行日:2010年8月10日
タイトルだけを見ると、まるで文学の本のようだが、本書はいわゆるアンビルドのドローイング集であり、時空を超えて、建築や美術を横断するような内容になっている。古いものでは、かつてアタナシウス・キルヒャーが想像したノアの方舟の図や、ジョン・ソーンのドラフトマンだったJ・M・ガンディーなども含む。小さな絵本風の美しい装幀で、筆者もこうした本を書いてみたかったと、つい思い出してしまった。実現しなかった建築の世界は、ユートピアへの扉になるからである。それぞれのエッセイからは客観的な解説というよりも、建築家の人となり、あるいはその家族のこと、また著者の個人的なエピソードなどを語り、対象への強い思い入れを感じさせる(もしキルヒャーに会ったら、はなしが尽きなかったはずだという!)。74年生まれの筆者が選ぶ、まったく今風ではないセレクションも興味深い。ポール・ルドルフやエミリオ・アンバースのドローイングから始まるのだが、彼らは筆者の世代にとっても、すでに古い建築家である。ゼロ年代のリアルといった議論が飛び交うなかで、ユートピア的な懐かしささえ覚える本だ。
2010/07/31(土)(五十嵐太郎)