artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
米山勇、高橋英久、田中元子、大西正紀、チームけんちく体操『けんちく体操』
発行所:エクスナレッジ
発行日:2011年4月23日
本書は、古今東西の有名建築を身体で表現するものだ。もともとは、1998年に江戸東京博物館の学芸員、米山勇が発案し、後にmosakiの二人組(田中元子と大西正紀)が参加して、今回の出版につながった。初めて「けんちく体操」の概念を知ったのは、数年前だったと記憶しているが、筆者も90年代の後半に似たような試みをやったことがある。飲み会を盛り上げるイベントなのだが、あらかじめ紙によく知られた建築の名前を書き、それを引いた別の人が身体で表現するという建築のジェスチャーゲームだ。当時、磯達雄氏と建築家の設計した別荘に学生らと泊まったとき、あるいは太記祐一氏がドイツに留学するときのイベントにおいて実践している。もっとも、「けんちく体操」は飲み会の芸とは違う。体操着をまとい、野外で行なう、とても健康的なエクササイズだ。
2011/05/10(火)(五十嵐太郎)
吉野英理香『ラジオのように』
発行所:オシリス
発行日:2011年3月10日
ブリジット・フォンテーヌの名曲をタイトルにした吉野英理香の新作写真集の巻末には、2009年1月から2010年7月までの日記の抜粋がおさめられている。それがめっぽう面白くて、つい読みふけってしまった。かったるいような、妙に冷めたような文体がなかなか魅力的だ。
その2010年1月3日(日)に、次のような記述がある。
「本庄に帰る高崎線の二つ手前の深谷あたりで、車窓に流れる景色を見ながら、写真をカラーにしてみようと思いつく。暗室もいらないし、現像液をつくったり、使用後の液を捨てたり、あの煩わしい作業がなくなることを考えたら、なんて身軽なことか。」
写真家が何かを変えていくきっかけは、こんなふうに何気なくやってくるということだろう。吉野はそれまでのモノクロームフィルムをカラーに変えて撮影しはじめる。日々出会った雑多な場面を積み上げていくやり方に変わりはないが、そこにはどことなく「身軽な」雰囲気があらわれてきている。調子っぱずれの色や形が散乱する画面は、以前のモノクロームのスナップよりも風通しがよく、軽快なビートで貫かれているように見える。
日記と写真を照らし合わせてみると、吉野の、独特の角度を持つ観察眼も浮かび上がってくる。2010年5月29日(土)の記述。豆腐屋で自分の前に並んでいた「白いノースリーブのブラウスを着た女性の、内側に着ているキャミソールの白と黒の紐がどこまでも延々とねじれていく」。この通りの場面が写っているのだが、たしかにそのねじれたキャミソールの紐から眼を離せなくなってしまう。写真と文章をもっと積極的に併置してみるのも面白そうだ。
2011/05/09(月)(飯沢耕太郎)
松本典子『野兎の眼』
発行所:羽鳥書店
発行日:2011年4月15日
奈良県吉野郡天川村。まだ行ったことはないのだが、以前からずっと気になっていた。紀伊半島のほぼ中央に位置し、龍神信仰で知られる大峯山龍泉寺があるこの村は、その名の通り天から流れ落ちる水がゆるやかに巡って、森羅万象を生気づけているような場所なのではないかと思う。写真を撮影する条件はいろいろあるが、土地そのものが発するパワーを、どんな風に受けとめて投げ返すのかも大事なポイントになるのではないか。この天川村に住む少女を撮り続けた松本典子の写真集『野兎の眼』を見ながらそんなことを考えた。
松本は1997年頃、村の秋祭りで14歳の少女に出会った。その瞬間に「何か大きなものにつながっている」気がして、思わず「10年間写真を撮らせて」と話しかけていたのだという。彼女の両親が東京から天川村に移り住んでいたこともあって、それから帰省するたびに待ち合わせて、年に1~2回くらいのペースで彼女を撮影し続けていった。まだ幼さが残っていた少女はみるみるうちに成長し、妖艶な大人の女性になり、結婚し女の子を産む。その10年間のめまぐるしい変化とともに、おそらく千年、二千年といった単位でゆるやかに移り動いていく森や大地や海のたたずまいが対比的に捉えられている。とはいえ、少女も自然もどっしりと安定しているのではなく、微かに震えながら明滅を繰り返しているような「生きもの」として見えてくることには変わりはない。写真集を見た後もその余韻は続いていて、なんだか舟旅を終えた後のように、体に揺らぎが残っている気がしてくる。たしかに「10年」という区切りはつき、写真集も見事に仕上がったのだが、まだここで完結したという感じがしないのだ。少女とその娘の行く末を見つめ続けることで、さらなる「天川サーガ」を編み上げることはできないのだろうか。
2011/04/30(土)(飯沢耕太郎)
カタログ&ブックス│2011年4月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
これが写真だ! 2 クロニクル2010
「artscapeレビュー」連載中の写真批評家・飯沢耕太郎氏による、1年間のレビューをまとめた一冊。2010年に本サイトに掲載された約150本のレビューを一挙掲載。2009年からは約50頁のボリューム増。各展覧会ごとに見出し付加し、可読性もアップした。「写真を巡る時代状況のドキュメント 超保存版クロニクル第2弾!」
artscapeレビュー:飯沢耕太郎
http://artscape.jp/report/review/author/1197769_1838.html
西山美なコ/〜いろいき〜壁の向こう側
現代日本文化のキーワード「かわいい」や「ピンク」「装飾性」を全面に押し出した作品を発表し続けるアーテイスト、西山美なコ。「壁画作品」「レフ・ワーク」「〜いろいき〜」「シュガーワーク」「学生時代のピンクの作品」「大人のピンク」「ニットカフェ・イン・マイルーム」……。時間軸を遡行しながら、自身の「西山美なコワールド」を縦横に語った特別講義。好評の神戸芸術工科大学レクチャーシリーズIIの第4弾。[新宿書房サイトより]
KOTOBUKI クリエイティブアクション 2008-2010
2008年から開始された「KOTOBUKI クリエイティブアクション」の三年間の活動をまとめた記録集。KOTOBUKI クリエイティブアクションはアーティストやクリエイターをはじめとしてさまざまな形で文化芸術に携わる活動の担い手たちが日本三大ドヤ(簡易宿泊施設)街のひとつである横浜・寿町エリアを舞台に活動を試みたものです。これまでのリサーチ的な活動から実際の制作、発表まで年間を通して行なわれているプロジェクト記録の他、スタッフやアーティストによる座談会なども収録されています。[寿クリエイティブアクションサイトより]
Booklet 19 視×触──視ること、触れること、感じること
「見ること」はもっとも明晰かつ高いリアリティをもった感覚として、人間の理性と洞察力の比喩として諸感覚の位階の最上位を占め続けてきた。「触れる」ことは「感じる」ことそのものであり、感情にまで直接に達する「感じ」の領域本体を形成していた。あらゆる知覚がバーチャルな次元と結びつかざるを得ない現状にあって、われわれが自分たちにとっての「現実」をどこに置くか、情報化・バーチャル化する世界の中で感情を持つ存在としてどのように生きていけばいいのか、という本質的な問いに取り込むことが求められている。[慶應義塾大学アート・センターサイトより]
ARCHIBOX in JAPAN
南洋堂書店企画の建築トランプ第2弾。今回は、選者に建築史家の倉方俊輔氏、イラストをグラフィックデザイナーのTOKUMA氏が担当。日本の近代建築を中心に、4つの年代と13のビルディングタイプから選ばれています。前回とはまた違った建築セレクトとイラストで楽しみながら建築を学べます。[南洋堂書店サイトより]
足ふみ留めて──アナレクタ1
彗星のように出現して思想・文学界を驚倒せしめた孤高の俊傑、佐々木中。『夜戦と永遠』以前から『切りとれ、あの祈る手を』へ向かう力強く飄然と舞いふみ留められた躍動する思考の足跡。[河出書房新社サイトより]
もうすぐ絶滅するという紙の書物について
老練愛書家2人による書物をめぐる対話。「電子書籍元年」といわれる今こそ読んでおきたい1冊! インターネットが隆盛を極める今日、「紙の書物に未来はあるのか?」との問いに、「ある」と答えて始まる対談形式の文化論。東西の歴史を振り返りつつ、物体・物質としての書物、人類の遺産としての書物、収集対象としての書物などさまざまな角度から「書物とその未来について」、老練な愛書家2人が徹底的に語り合う。博覧強記はとどまるところを知らず、文学、芸術、宗教、歴史と、またヨーロッパから中東、インド、中国、南米へとさまざまな時空を駆けめぐる。[阪急コミュニケーションズサイトより]
2011/04/15(金)(artscape編集部)
湯沢英治『BAROCCO 骨の造形美』
発行所:新潮社
発行日:2011年2月25日
『BONES 動物の骨格と機能美』(早川書房、2008)に続く湯沢英治の2冊目の写真集である。前作と同様に黒バックで動物、鳥類、魚類などの骨を克明に撮影しているのだが、印象はだいぶ違う。骨のシンメトリックな構造や「機能美」を中心に撮影していた前作と比較すると、この写真集では「われわれ人間には思いもよらない、歪んだ曲線の組み合わせ」が強調されている。そこにはたしかに「不規則・風変わり・不均等」を特徴とするバロック的な美意識に通じるものがありそうだ。実際に、おそらく非常に小さなものと想像される骨の断片が、われわれの常識をくつがえす液体的とでもいえそうな流動的、有機的なフォルムを備えている様が、湯沢の丁寧な撮影によって浮かび上がってきていた。
骨というテーマに新たな一石を投じるいい仕事だが、これをもう一歩先に進めたらどうなるのかとも思う。写真集全体の造りは、あくまでも学術的な研究をベースにしており、生物学的な「正しい骨の配置」の規範を踏み越えることはない。さらに「BAROCCO」的な要素を強めて、複数の骨を組み合わせてオブジェ化し、ありえない生物の骨格をつくり出すようなところまでいけないのかとつい夢想してしまうのだ。以前、湯沢に話を聞いたところ、彼のなかにもアートと生物学との境界線を引き直すことへの葛藤があるようだ。僕はもっと思い切って、アート寄りの作品に向かってもいいのではないかと思うのだが。
2011/04/02(土)(飯沢耕太郎)