artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
宇野常寛編『ゼロ年代のすべて』
発行所:第二次惑星開発委員会
発行日:2009年12月31日
世代交代を印象づける編集方針になっており、なるほど90年代から活動している論客で、この本にも参加しているのは、宮台真司と東浩紀ぐらいである。あれほど80年代から90年代を席巻したニューアカデミズム、あるいは『へるめす』や『批評空間』的な布陣は皆無だ。サブカルチャーを中心にさまざまなジャンルを総括しているが、建築や都市と関連が深いのは、「〈アーキテクチャ〉再考──建築・デザイン・作家性」の鼎談と、「『郊外の現在』──ジモト・ヤンキー・グローバリゼーション」だろう。実はいずれも筆者の仕事が参照されており、前者ではスーパーフラットをめぐる建築論、後者では『ヤンキー文化論序説』に触れている。10年前の出来事がもう歴史化されていることに加え、そのまま伝わらないことを興味深く思った。少なくとも、スーパーフラットと建築論を接続するときに、筆者は繰り返し、ひとつはファサードの表層に対する操作、もうひとつはプログラムや組織におけるヒエラルキーの解体を指摘したはずだが、五十嵐は表面性しか触れていなかったことになっている。つまり、スーパーフラット論も表層的に読まれたと言えなくもないが、まあ、歴史とはそんなものだ。ショッピングセンターこそ考えるべきというきわめてゼロ年代的な主張が、10年後どのような成果をあげるかに期待したい。かつて森川嘉一郎が建築は終わるとうそぶいた議論は、それこそ建築界において定期的に登場するオオカミ少年的な言説だったのに対し、藤村龍至らの批判的工学主義ラインは新しい職能のあり方を具体的に想像しており、生産的である。ところで、60年代から70年代にかけても、建築家は都市計画、高層ビル、工業住宅など、幾つかのジャンルに接近しようと野心を燃やしたが、いずれも撤退した。敗北の歴史が続く。今度こそは成功して欲しい。お手並み拝見である。なお、ゼロ年代の「すべて」において、現代美術がごくわずかな記述しかないことも気になった。編集者サイドが興味をもっていなかったのかもしれない。ともあれ、短いテキストでは、外部と接続する村上隆がいなかったゼロ年代という総括がなされている。単純にアートの世界が不毛だったのか、それともアートの言説をサブカルチャー論壇に送り込む新しい論客が登場しなかったからなのか。どうも後者のような気がする。少なくとも、建築界は人文系にプラグ・インする藤村龍至を輩出した。
2010/01/31(日)(五十嵐太郎)
五十嵐太郎『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』
発行所:彩流社
発行日:2010年1月28日
建築の人の言葉は、分かりにくいとよく言われる。また建築論は、同業者のみに向けた内容で、閉じていると言われることもある。しかし本書の大きなテーマは、題名にもあるように建築と社会との回路のつなぎ方であり、建築が閉じた世界に留まらないための開かれた議論が展開されている。実際、文章もわかりやすく、終わりに行くほど文章が平易なっており、読むスピードに加速がつく。著者は建築史出身であり、前半歴史編、後半現代編と時系列を持っているが、取り上げられる事例はむしろ従来の建築史に現われてこないものばかりだ。新宗教の建築であったり、靖国神社であったり、学生の卒業制作であったり、またグーグルストリートビューに対する考察まで現われる。しかしそれこそが著者の方向性を示している。閉じた建築史を開き、また「建築」という概念の境界自体も大きく広げていくことによって、自然に建築と社会との交わりが見えてくる。特に後半「旅」を通じて出会った物事について、広範囲に触れられていたことも印象的だ。前半は建築理論の話も多いが、後半は理論化する以前の思考が展開される。それは著者が建築や都市を、写真や図面を見て頭で考えるよりも、足で歩いて体験して考えるという「行動する批評家」であることを示しているだろう。建築分野から社会に対し、多くの問題提起も投げかけられている。
2010/01/28(木)(松田達)
『山と建築』vol.1「スイスと日本の山岳建築」
発行所:信州大学工学部建築学科土本研究室
発行日:2009年12月25日
信州大学で行なわれた国際山岳建築シンポジウム信州2008の記録をベースにした本。おそらく普通は目につかない本であろうから、ここで紹介したい。スイスからは、グラウビュンデン州の建築家アルマンド・ルイネッリと、美術史家レッツア・ドッシュが来日した。グラウビュンデン州は、ピーター・ズントーを生んだ土地で、また多くの質の高い建築もある。 日本からは、信州大学の坂牛卓、梅干野成央らが参加し、土本俊和がコーディネートを務めた。グラウビュンデン州はアルプスに囲まれ、独特の地域的な文化を育んできた。その山岳建築と、長野県を中心とした日本アルプスの山岳建築を比較するという、一見アクロバティックであるが、興味深い試み。実際、いくつかの共通点が見いだされている。そして距離的に離れたローカルな場所同士をつなぐ試みともいえよう。
2010/01/22(金)(松田達)
中沢新一『アースダイバー』
発行所:講談社
発行日:2005年5月30日
縄文海進期の地図を現在の東京に重ね合わせることによって見えてくる、新しい東京論。氷河期の後の縄文時代は、氷河が溶け、海面がかなり上がっていた。現在の東京の下町一帯は海で、山の手にも奥深くまで海が入り込み、フィヨルド上の地形となっていた。中沢新一は、その縄文の東京にダイビングし、大地に耳を傾ける。中沢によれば、縄文時代の洪積層と沖積層の境界を書き込んだ地図に、神社や古墳など霊的なものが感じられる場所をプロットしていくと、決まってそれらは両者の境界、つまりフィヨルドの岬の部分に位置しているのだという。そしてそこだけ時間の流れが遅れているのだと。このアース・ダイビング・マップを持って、中沢は東京を歩き回り、エロスとタナトスの香りに満ちた文体で、都市の姿を描き直す。さて、本書自体は5年前に出版された本であり、すでによく知られている本であろう。ところで、建築分野で同じような視点で都市を捉えようとしている二組挙げておきたい。まず皆川典久を会長とし、石川初を副会長とする東京スリバチ学会(2004-)。中沢が突き出した形の岬に注目するのに対し、スリバチ学会はすり鉢状にへこんで囲まれた場所に注目して都市を見る。また宮本佳明、中谷礼仁、清水重敦らは、『10+1』37号(2004)で「先行デザイン宣言」を行なった。宮本は過去のかたちに影響を受けた風景のほころびを「環境ノイズ」と呼び、そのエレメントを集める。中谷は都市に潜在する過去の形質を「先行形態」と呼び、過去と現在との関係を検討する歴史工学という学問分野を立ち上げた。いずれも現在に過去が大きく食い込んでいることに注目して都市を見る視点であり、2004年から2005年頃、新しいタイプの都市論が同時期に現われてきたことは興味深い。
2010/01/20(水)(松田達)
カタログ&ブックス│2010年1月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
杉本博司 今児島──アート・建築・拾集
2009年4月25日から5月17日まで大原美術館で行なわれた「杉本博司 今児島──アート・建築・収集」展のカタログ。この展覧会では杉本博司の写真は勿論、自身の制作の思想の基となる拾い集めた物の展示を行なっている。カタログではそれらを杉本氏自身の撮影とキャプションで構成されていて、作品の内面性を感じることが出来る。
世界の、アーティスト・イン・レジデンスから
世界中から集まったクリエイターたちが制作や発表を行なう活動、アーティスト・イン・レジデンス。通称「AIR」。この本ではカタログのように、アーティストやAIRの活動紹介を行なっている。巻末には厳選された520件のAIRの連絡先が掲載されている。
THE JOY OF PORTRAITS/Keizo Kitajima
2009年5月22日から7月5日までラットホールギャラリーにて開催された、北島敬三個展「PORTRAITS」を記念し発売された写真集。第1巻には1992年にはじめられ現在もつづくポートレートシリーズ「Portraits」が、第2巻には、「Tokyo 1979」「NewYork 1981-1982」「U.S.S.R. 1991」などが収められている。全2巻ケース入り、限定1,500部。
Any:建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008
20世紀最後の10年に開催された建築と哲学をめぐる国際会議Any Conference──日本語版議事録のみに収録された全討議を集成。磯崎新、浅田彰、柄谷行人による2008年の討議を新たに収録、建築─批評─哲学が直面する現在的課題に迫る[本書帯より]。
ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり 10 years after Any
本書に収録された磯崎新、浅田彰によるテキストは、1991年から2000年まで世界の諸都市で開催された、建築と哲学を討議する《Any Confernce》のために共同で執筆されたものである。巻頭に、現在の建築状況を解読する磯崎新の書き下ろし論考を収録[本書帯より]。
2010/01/15(金)(artscape編集部)