2024年02月15日号
次回3月1日更新予定

artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

もじ イメージ Graphic 展

会期:2023/11/23~2024/03/10

21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー1&2[東京都]

漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、アラビア数字、漢数字と種類が圧倒的に多く、組み方も縦組と横組、さらにルビ振りまであり、日本語の文字は世界でも稀に見るほど複雑だ。かつてデザイン誌で記事を書いていた頃から、私はこの投げかけをずっとしていた。本展ではこうした背景を踏まえつつ、DTPが台頭し始めた1990年代以降のグラフィックデザイン現代史を紐解いていく。


展示風景 21_21 DESIGN SIGHTギャラリー1[撮影:木奥恵三]


そもそも西洋諸国が母国語を書き表わす欧文体は、文字の種類や数が限られているうえ、文字自体が意味をもたない表音文字である。代わりに彼らは書体の種類を豊富にもち、書体を使い分けることで、文字自体に意味をもたせようとする。一方で日本語の仮名に意味はないが、漢字に意味はある。つまり日本は表音文字と表意文字の両方を母国語にもつ国なのだ。漢字の国、中国には表意文字しかない。我々日本人はこうした状況に何の違和感も感じていないが、日本のグラフィックデザイナーは、程度の差こそあれ、つねに複雑さと格闘しながら文字をコントロールし表現してきたに違いない。


展示風景 21_21 DESIGN SIGHTギャラリー2[撮影:木奥恵三]


DTPの登場により、印刷入稿までの作業は楽になったのかもしれないが、果たして表現の幅は広がったのだろうか。本展のギャラリー1に展示された、1990年代以前のポスターなどのグラフィックデザイン作品を眺めて改めて思案する。コンピューターがない頃はないのが当たり前で、グラフィックデザイナーは自らの手でいくらでも工夫してはさまざまな表現に挑んでいた。1990年代以降、グラフィックデザイン表現が過渡期を迎え、さらにデジタルメディアやグローバル化への対応が課せられて、技術は進んだが、むしろ彼らにとっては困難な状況となったのかもしれない。ギャラリー2から展開される約50組のクリエイターによる作品を眺めながらそう感じてしまった。新たな表現を楽しんでいるとも言えるが、もがいているようにも映る。文字とビジュアルとを一体化させた表現や、フォントから脱した手書き風文字、一種のノスタルジーを誘う看板文字など、日本語の文字表現が混迷をきわめているように思えるのだ。そんな見方をするのは私だけだろうか。もちろん複雑であればこそ、豊かで面白い表現が可能にもなる。混迷する道を通り抜けた後、21世紀の日本でもしかすると世界が見惚れるグラフィックデザイン表現が開花するのかもしれない。


展示風景 21_21 DESIGN SIGHTギャラリー2[撮影:木奥恵三]



もじ イメージ Graphic 展:https://www.2121designsight.jp/program/graphic

2023/12/06(水)(杉江あこ)

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大正の夢 秘密の銘仙ものがたり展

会期:2023/09/30~2023/12/24

弥生美術館[東京都]

もう十数年前になるが、私が着物にハマるきっかけをつくってくれたのが銘仙だった。着物好きの友人らに連れられてたまたま入ったアンティーク着物店で、ひと目惚れしたのである。その艶感のある生地や鮮やかな色柄に、その頃、着物にさほど興味がなかった私でも心惹かれたことを覚えている。本展のチラシにも「アンティーク着物ブームの牽引役」と記されているように、銘仙は平成・令和の“大人女子”にも、大正・昭和初期の女学生にもときめきを与え続ける着物なのだろう。現に会場では銘仙の着物姿で来館する女性たちをたくさん見かけた。


展示風景 弥生美術館


本展では、銘仙蒐集家・研究家の桐生正子が保有するコレクション約600点のなかから厳選された約60点の銘仙を観ることができる。銘仙とは絣の手法を用いた平織りの絹織物の一種のことで、着物のなかでもカジュアルな普段着やお洒落着に当たる。総覧すると、改めて銘仙の色柄の斬新さを思い知った。大きな格子の上に西洋花や蝶、孔雀の羽などが配された文様をはじめ、アメリカン・アールデコ風、ロシア・アバンギャルド風、カンディンスキー風など、当時、貪欲に西洋の文化を取り入れた様子が伝わってくる。驚いたのは、「エリザベス女王戴冠式文様」である。それはウェストミンスター寺院や華やかな王冠が大胆にレイアウトされた着物だった。1953年に遙か遠くの英国で行なわれた出来事さえも文様として取り入れたのだ。


エリザベス女王戴冠式文様女児四つ身(1953-54)


こうした背景には、1904年にセントルイス万国博覧会を見学した図案家や染織業者が西洋花を文様に取り入れるようになったこと、大正末期から化学染料が導入され、より鮮やかな発色が可能になったことなどがあるという。また何より大正デモクラシーが吹き荒れる世の中で、女性解放運動が盛んになり、女学生たちも大いに触発されたことが大きいのではないか。彼女たちは最先端のファッションを積極的に求め、それに応えたのが銘仙だった。同時代には洋装のモガが銀座を闊歩したと言われるが、それはごく一部の女性に限られ、実のところ銀座を歩く大半の女性たちが身にまとっていたのは銘仙だったという。誤解を恐れずに言えば、銘仙は着物におけるパンクファッションやストリートファッションだったのではないか。現代では正月や成人式などハレの場でしか着る機会がなくなり、着物全般が保守的な傾向にあるが、銘仙には普段着だったからこそ花開いた自由で闊達な精神があった。


市松格子に孔雀羽柄の着物+袴[撮影:上林徳寛]


格子にアゲハの着物 帯留には女学校から贈られた校章入り[撮影:上林徳寛]



大正の夢 秘密の銘仙ものがたり展:https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yayoi/exhibition/now.html

2023/12/06(水)(杉江あこ)

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111年目の中原淳一展

会期:2023/11/18~2024/01/10

そごう美術館[神奈川県]

女性ファッション誌の金字塔とも言える『それいゆ』を生み出した中原淳一。来年で生誕111年を迎えるにあたり、彼のクリエイションの全貌を紹介する展覧会が横浜で開かれている。本展を見るまで『それいゆ』の誕生にまつわる逸話を私は知らなかったのだが、実は終戦からちょうど1年後の1946年8月15日、「再び人々が夢と希望を持って、美しい暮らしを志せる本をつくりたい」という思いから発刊されたのだという。あれ? どこかで聞いたような話……と思ったのは、やはり戦後間もなくに創刊された生活総合誌『暮しの手帖』が頭をよぎったからだ。これは「もう二度と戦争を起こさせないために、一人ひとりが暮らしを大切にする世の中にしたい」という理念のもと、花森安治が初代編集長を務めた雑誌だった。どちらも動機が似ているだけでなく、編集長が企画から執筆、編集、イラストレーションもこなすマルチクリエイターという点でも共通する。この気鋭の男性編集長二人によって、当時、多くの女性たちが心を救われたのではないかと想像する。


「子供は大人のおさがりばかりで楽しく暮らす」(『それいゆ』第16号原画/1951)© JUNICHI NAKAHARA/HIMAWARIYA


花森が生活を実直に見つめたのに対し、中原はもっと文化的な側面から暮らしの豊かさを追求したようだ。ファッションやインテリア、美容、手芸、文学、音楽、美術などをテーマに、美の本質を読者に伝え続けたのである。その象徴的なメッセージが、花を飾る気持ちを忘れないことだった。この清貧で崇高な志に触れ、ひれ伏したくなる気持ちに駆られる。時代背景に大きな違いがあるとはいえ、現代の女性ファッション誌のなんと即物的であることよ。


《SOLEIL PATTERN》(『それいゆ』第25号口絵原画/1953)© JUNICHI NAKAHARA/HIMAWARIYA


また、『それいゆ』の魅力は中原がイラストレーションに描いた独特の楚々とした女性像にもあった。読者は彼女らを眺めてファッションの見本にし、生き方の手本にしたのだろう。時代が進むにつれ、『それいゆ』に代わって台頭する一般の女性ファッション誌ではモデル写真が誌面を飾るようになるのだが、読者の夢と憧れを凝縮している点で両者に変わりはない。いつの時代もこうした役割を担うのは女性ファッション誌であり、今後、メディアのあり方が変わったとしても完全になくなることはないのだろう。


それいゆ1954年秋号 表紙 © JUNICHI NAKAHARA/HIMAWARIYA



111年目の中原淳一展:https://www.sogo-seibu.jp/yokohama/topics/page/sogo-museum-junichi-nakahara.html


関連レビュー

花森安治の仕事─デザインする手、編集長の眼|福住廉:artscapeレビュー(2017年04月01日号)
生誕100周年記念──中原淳一展|SYNK:artscapeレビュー(2013年03月01日号)

2023/12/01(金)(杉江あこ)

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倉俣史朗のデザイン─記憶のなかの小宇宙

会期:2023/11/18~2024/01/28

世田谷美術館[東京都]

倉俣史朗の著書に『未現像の風景─記憶・夢・かたち』(住まいの図書館出版局、1991/初版)がある。そのなかで、父が勤める理化学研究所内の社宅で幼い頃を過ごしたことが語られる。敷地内に散らばっていた薬瓶などが、自身の原風景にあると告白するのだ。そうした記憶や夢を倉俣は創作の源泉にしたとされるが、本展はこの点に切り込んだ貴重な展覧会だった。断片的に描き留められたままのスケッチや夢日記などの一部が公開されており、それらに触れながら作品を観ることで、倉俣の内面世界に入っていくような気持ちになれた。

会場にはかの有名な造花の薔薇を閉じ込めたアクリルの椅子「ミス・ブランチ」が3脚並ぶほか、「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」「硝子の椅子」「引出しの家具」「変型の家具」など、倉俣が遺したまさに夢見心地な家具がいくつも展示されていた。幼い頃に辛い戦争体験をしたからこそ、自由を強く望み、重力からの解放を謳った倉俣は、つねに記憶や夢とつながりながら、詩的な表現へどんどん向かっていった。当時もいまも、ここまで自らの美学に徹せられるデザイナーはほとんどいないからこそ、倉俣は伝説であり続けるのだろう。


倉俣史朗《ミス・ブランチ》(1988)富山県美術館蔵[撮影:柳原良平]© Kuramata Design Office


倉俣史朗《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》(1986)富山県美術館蔵[撮影:柳原良平]© Kuramata Design Office


「ISSEY MIYAKE」をはじめ、店舗のインテリアデザインを数多く手掛けた倉俣は、商業デザインは消費されるからこそ実験できる場と捉えていたようだ。クライアントの要望よりも自身の作家性を重視し、そのデザインが世間で話題になることで、結果的にクライアントを成功へと導けた。そんな好都合な仕事が許されるデザイナーはどのくらいいるのだろうか。いや、デザイナーではない。現代の常識からすれば倉俣はアーティストなのだ。アーティストゆえに熱狂的に愛され、伝説になり得た。彼が活躍した時代が高度経済成長期からバブル経済期にかけてだったことや、そのバブル絶頂期に若くして逝去したことも影響している。もし彼が現代まで生きていたとしたら……? その後に訪れる不況の世の中をどのように渡り歩いたのだろうか。いつまでも淡い夢を見続けられたのだろうか。儚い束の間の仕事だったために、倉俣が遺した作品はとても純度高く、いつまでも風化することがないのである。


倉俣史朗 ショップ「スパイラル」(1990)[撮影:淺川敏]© Kuramata Design Office


倉俣史朗 イメージスケッチ「ミス・ブランチ」(1988頃)クラマタデザイン事務所蔵 © Kuramata Design Office



倉俣史朗のデザイン─記憶のなかの小宇宙:https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00216


関連レビュー

浮遊するデザイン──倉俣史朗とともに|SYNK:artscapeレビュー(2013年09月01日号)

2023/12/01(金)(杉江あこ)

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生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ

会期:2023/10/06~2023/12/03

東京国立近代美術館[東京都]

棟方志功といえば、版木にスレスレまで顔を近づけてものすごい勢いで一心不乱に彫刻刀を動かす姿や、太い丸眼鏡にもしゃもしゃの髪、子供のように無邪気な笑顔の人物を思い浮かべる人は多いのではないか。そうしたキャラクターが立っている点で、彼は唯一無二の版画家であるように思う。年老いてなおあのような笑顔の持ち主だったということは、周りからずいぶん愛されていたのではないかと想像する。少なくとも東京で交流していた、柳宗悦をはじめとする民藝運動の人々は彼をとても可愛がり、重用していたことで知られる。


棟方志功ポートレート[撮影:原田忠茂]


本展は棟方が生まれ育った青森、版画家として才能を広げた東京、戦時中に疎開していた富山と、縁のある三つの地域に焦点を当てている。それぞれの地域がいかに「世界のムナカタ」をつくり上げたのかという観点から、「メイキング・オブ・ムナカタ」のタイトルがある。私個人的には、前述したとおり、彼は民藝運動のなかで活躍した版画家というイメージが強かったのだが、今回、新たな見方を得た。それは青森という地域性だ。彼が幼い頃、青森ねぶた祭りの人形灯籠「ねぶた」に影響を受けたという解説を見て納得が行った。そもそも青森は世界遺産にもなった縄文遺跡群があることで知られ、縄文人のDNAが色濃く残る地である。青森ねぶた祭りの迫力や情熱はまさに縄文の血によるものだと言える。実際に棟方の家系がどうだったのかはわからないが、そうした縄文人の感性に感化されて育ったことには違いない。だからこそあの伸びやかで、大らかで、虚心な心持ちの作風が生まれたのではないか。

本展では「板画」や「倭画」などの作品以外に、本の装丁や挿絵、包装紙、浴衣の図案など、意外にたくさん手掛けていた商業デザインの仕事も展示されている。当時、棟方は人気作家だったにもかかわらず、頼まれた仕事をあまり断らなかったからだそうだ。いまもなお唯一無二の版画家であり続けるムナカタの魅力を再認識できる展覧会である。


展示風景 東京国立近代美術館


展示風景 東京国立近代美術館


展示風景 東京国立近代美術館



生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ:https://www.munakata-shiko2023.jp/


関連レビュー

棟方志功と柳宗悦|杉江あこ:artscapeレビュー(2018年03月01日号)

2023/11/03(金)(杉江あこ)

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