artscapeレビュー
倉俣史朗のデザイン─記憶のなかの小宇宙
2023年12月15日号
会期:2023/11/18~2024/01/28
世田谷美術館[東京都]
倉俣史朗の著書に『未現像の風景─記憶・夢・かたち』(住まいの図書館出版局、1991/初版)がある。そのなかで、父が勤める理化学研究所内の社宅で幼い頃を過ごしたことが語られる。敷地内に散らばっていた薬瓶などが、自身の原風景にあると告白するのだ。そうした記憶や夢を倉俣は創作の源泉にしたとされるが、本展はこの点に切り込んだ貴重な展覧会だった。断片的に描き留められたままのスケッチや夢日記などの一部が公開されており、それらに触れながら作品を観ることで、倉俣の内面世界に入っていくような気持ちになれた。
会場にはかの有名な造花の薔薇を閉じ込めたアクリルの椅子「ミス・ブランチ」が3脚並ぶほか、「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」「硝子の椅子」「引出しの家具」「変型の家具」など、倉俣が遺したまさに夢見心地な家具がいくつも展示されていた。幼い頃に辛い戦争体験をしたからこそ、自由を強く望み、重力からの解放を謳った倉俣は、つねに記憶や夢とつながりながら、詩的な表現へどんどん向かっていった。当時もいまも、ここまで自らの美学に徹せられるデザイナーはほとんどいないからこそ、倉俣は伝説であり続けるのだろう。
「ISSEY MIYAKE」をはじめ、店舗のインテリアデザインを数多く手掛けた倉俣は、商業デザインは消費されるからこそ実験できる場と捉えていたようだ。クライアントの要望よりも自身の作家性を重視し、そのデザインが世間で話題になることで、結果的にクライアントを成功へと導けた。そんな好都合な仕事が許されるデザイナーはどのくらいいるのだろうか。いや、デザイナーではない。現代の常識からすれば倉俣はアーティストなのだ。アーティストゆえに熱狂的に愛され、伝説になり得た。彼が活躍した時代が高度経済成長期からバブル経済期にかけてだったことや、そのバブル絶頂期に若くして逝去したことも影響している。もし彼が現代まで生きていたとしたら……? その後に訪れる不況の世の中をどのように渡り歩いたのだろうか。いつまでも淡い夢を見続けられたのだろうか。儚い束の間の仕事だったために、倉俣が遺した作品はとても純度高く、いつまでも風化することがないのである。
倉俣史朗のデザイン─記憶のなかの小宇宙:https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00216
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