artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

ASAHIZA 人間は、どこへ行く

映画美学校[東京都]

東京に移動し、映画美学校にて、藤井光監督のドキュメンタリー『ASAHIZA』の試写会に伴うトークイベントに、高山明とともに参加した。これは南相馬の1923年につくられた芝居小屋が映画館に変わり、1991年まで営業していた朝日座をめぐる人々と、東京からのバスツアーを絡ませた作品である。『ASAHIZA』は、建築こそが記憶の器であり、映画館が、多世代の人々がそれぞれの関わりをもつための中心的で公共的な場として結果的に機能していたことをよく伝える。以前から、被災地で3.11後映画を見ることと、非被災地で3.11後映画を見ることの違いを感じていたが、この映画はツアーの形式をとり、南相馬と東京の人が一緒に朝日座でドキュメンタリー映画の60分版を見るシーンを入れることで、メタ構造的に両者を包含する。そもそも映画館についての映画であることを考えると、二重のメタ構造と言うべきか。途中、朝日座で観客がみな寝ているシーンがあるのだが、同じ夢を共有しているかのようだ。実は『ASAHIZA』は、震災映画としての特殊性は出さず、むしろ日本のどこの地方都市でも起きている郊外化とシャッター商店街化を重ね合わせ、普遍性をもつ。にもかかわらず、これが震災映画として勇気を与えるのは、それでも映画館がまだ残り、今も活動を継続していることではないかと思う。震災は、すでに地方都市で起きている現実を、ある意味で加速させる。人の減少や建物の解体など、10年後に向き合う縮小化の将来を前倒しで招いてしまう。それを考えたとき、南相馬の消えた無線塔に代わり、無名の建築家による近代建築、小さな朝日座が、被災地の人々に愛され、震災を経てもなお、残り続けていることは意義深い。

2014/03/19(水)(五十嵐太郎)

3.11映画祭 特別トーク「新しいフクシマをつくる~福島第一原発観光地化計画~」

3331 Arts Chiyoda[東京都]

アーツ千代田3331の3.11映像祭に併せた特別トークのイベント「新しいフクシマをつくる~福島第一原発観光地化計画~」にて、筆者がモデレータをつとめ、東浩紀がフクイチ計画の概要、井出明がダークツーリズムと震災遺構、津田大介がチェルノブイリと福島ツアーについて語る。昨年、同じ場所でアーキエイドがやはりツーリズムをキーワードに復興計画を語っていたことの続編になるだろう。このトークに備えるべく、ゲンロンによるチェルノブイリ取材のドキュメント『19862011』(小嶋裕一監督)を見る。声や音も入る映像だけに、ダークツーリズム・ガイドの本というメディアでは伝わらない現場のライブな空気感が伝わる。これを見ると、やはりチェルノブイリに行きたくなる。

2014/03/17(月)(五十嵐太郎)

ITOH+BAK「0099」/新平誠洙 岸本光大 展「SURGE/リブログ」/「LOST CONTROL 本田アヤノ+中田有美」

会期:2014/03/11~2014/03/30

海岸通ギャラリー・CASO[大阪府]

京都市立芸術大学出身あるいは同大学院在籍者を中心とする6名が、3つの2人展を同時開催。伊東宣明と朴永孝のユニット「ITOH+BAK」は、00から99までの紙を京都市内各所に配置して、ビデオカメラでズームアウトした映像を1カ所100パターン撮影し、プログラミングを用いてリアルタイム編集する映像作品を出品(画像)。新平誠洙と岸本光大の画家2名は、岸本の作品フォーマットのもとで両者の作品が混在する展示を行なった。また、本田アヤノと中田有美は、それぞれが立体と絵画を持ち寄って空間をつくり上げていた。どの展示も高品質で、スペースを十分に使い切っていたのが素晴らしい。また、作家同士の協力関係が3展とも異なっていた点も興味深かった。

2014/03/14(金)(小吹隆文)

作家ドラフト2014 鎌田友介「D Construction Atlas」展/高橋耕平「史と詩と私と」展

会期:2014/02/08~2014/03/09

京都芸術センター ギャラリー北・南[京都府]

京都芸術センターにて、青木淳が審査員を務めた公募展「作家ドラフト2014」を見る。窓枠などを使う鎌田友介(今回は京都の空襲リサーチを反映した作品)と廃校のドキュメント映像の高橋耕平。青木は多くの応募作から、実際にどう展示されるかをイメージして、二人のプランを選んだという。

写真:鎌田友介「D Construction Atlas」展

2014/03/08(土)(五十嵐太郎)

アメリカン・ホラー・ストーリー/アメリカン・ホラー・ストーリー アサイラム

テレビドラマのシリーズ「アメリカン・ホラー・ストーリー」を見終える。興味深いのは、古い住宅で家族と混じり、ここで亡くなった死者たちが生者のように堂々と歩き回ること。複数の時間と人間が同じ空間に共存する、意外にありそうでなかった設定だ。以前、「非家族と暮らす住宅」というコンペの課題を設定したことがあるが、まさにそれを実現している。映画の『アザーズ』がこれに近かったけれども、生者と死者は交わらない。なにより、「アメリカン・ホラー・ストーリー」は哀しみだけでなく、ときに笑いさえ感じられる。この勢いで同じスタッフによる「アサイラム」のシリーズも見始めた。なるほど、イカレタ人間のオンパレードはすごいが、1作目の「アメリカン・ホラー・ストーリー」における家に縛られた魂の現代的な表現の方がすぐれている。

2014/03/06(木)(五十嵐太郎)