artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

ヨコハマトリエンナーレ2014 華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある

会期:2014/08/01~2014/11/03

横浜美術館、新港ピア[神奈川県]

美術家の森村泰昌がアーティスティック・ディレクターを務めた今回のヨコトリは、その長文の副題だけでなく、作家と作品のセレクトにも大きな特徴があった。ひとつは屋内の展示にほぼ特化したことであり、もうひとつは物故作家も含めたさまざまな時代・世代・傾向の作品を揃えたことである。一見して思ったのは、昨今大流行している地域型アートイベントに見られる、アートを町興しのツールとして扱う風潮、あるいはアートを消費物のように扱う風潮へのアンチテーゼである。しかし、現状批判にばかりとらわれると、森村が掲げたテーマ「忘却」を見失うことになる。森村は、いまの美術界(あるいは世の中)で忘れられがちな、しかし決して忘れてはいけない問題意識を持った作品を取り上げ、その存在を多くの人に気づいて欲しいと思ったのではないか。2つの会場を見終わったとき、そこには森村から観客への切実なメッセージが凝縮しているように感じられた。「アートがアートであり続けるために、見失ってはいけないものがあるはずだ。皆そこに気づいて欲しい」と。

2014/07/31(木)(小吹隆文)

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Lucie & Simon: in search of Eternity

会期:2014/07/10~2014/08/02

TEZUKAYAMA GALLERY[大阪府]

今年の「ART OSAKA 2014」(7/11~13)に企画展で参加したルーシー&シモンが、TEZUKA YAMA GALLERYで個展を同時開催。会期後半に観覧することができた。本展の作品《in search of Eternity》は、パリ市内のなかでも移民や貧困層が多く住む地域を自動車でゆっくり走りながら撮影し、スローで再生したもの。音声は宗教音楽にも似た瞑想的な楽曲が全編を通して流れていた。そこに映し出されているのは、多くの日本人が想像するパリとはかけ離れた情景だが、これもまた現在のパリのリアルな姿なのだ。パリでは現在、土地の高騰が問題視されており、移民や貧困層はますます郊外へ追いやられつつあるという。10年後に同じ地域を撮影すると、全く違う風景が広がっているのかもしれない。なお、本展では別室で写真作品も展示されていた。

2014/07/26(土)(小吹隆文)

靖国・地霊・天皇

会期:2014/07/19

ポレポレ東中野[東京都]

美術家の大浦信行による新作映画。美術評論家の針生一郎や韓国の詩人、金芝河、思想家の鶴見俊輔らを手がかりに、日本近代や天皇制の問題について映画をとおして思索を重ねてきた大浦が、ついに靖国神社について映画を撮った。246万の戦没者を「英霊」として祀る靖国神社の問題は根深い。先の戦争にかかわる歴史認識やA級戦犯の合祀、あるいは政教分離や首相参拝などをめぐって、いまも議論は紛糾している。この映画では、靖国についての持論を開陳する右派と左派を代表する2人の弁護士が、左右の対立によって分割されている問題圏としての靖国を象徴的に体現している。それぞれの言い分には、それぞれの論理と正義、そして情緒が見受けられるため、妥結点を見出すことは容易ではないことがわかる。
ただ、この映画の醍醐味は、そうした政治的イデオロギーの対立を再確認させることではない。むしろ、映画の全編にわたって一貫して描写されているのは、左右対立の図式の下に広がる「血の海」である。決して望まない死に方を強いられた日本兵や、靖国での再会を母に誓いながら死んでいった従軍看護婦たちが残した言葉の数々。彼らの生々しくも痛切な声は、「犬死」や「英霊」といった事後的な「死」の意味づけを突き抜け、私たちの心の奥深くに突き刺さる。それゆえ、靖国神社の祭りや二重橋、繁華街を映した赤みを帯びた映像は、血涙を絞った彼らが死してなお現在の都市を彷徨しているように見えてならない。靖国神社の基底にある「血の海」は、現在の都市風景にまで溢れ出ているのだ。
むろん、「血の海」が直接的に目に見えるわけではない。だが、この映画の詩情性は、あたかもそれが目に見えるように錯覚させる。おびただしい「血の海」に木霊する、激しい憎しみや怒り、そして言いようのない哀しみ。映画の随所で幾度も感じられるのは、それらを発する地霊の気配である。劇団態変を主宰する金滿里の踊りは、大地と密着しながら身体を搖動することによって、地霊たちに呼びかけ、身体に彼らを宿らせているように見えた。地霊が見えるわけではない。だが、気配を感じ取ることはできるのだ。
芸術がある種の感性の技術として育まれてきたとすれば、それは死者たちの沈黙の声に耳を傾け、彼らの気配を察知する経験として位置づけ直すこともできよう。戦争がしたくてたまらない為政者に反逆するには、何よりもこのただならぬ気配を感知する技術を研ぎ澄まさなければならない。芸術の意味は、ここにはっきりある。

2014/07/19(土)(福住廉)

オール・ユー・ニード・イズ・キル

血みどろの描写でノルマンディー上陸を行なう『プライベート・ライアン』+同じ時を反復するタイムリープものだが、これだけ何度も主人公たちが死ぬ、または相棒に殺される映画も珍しいだろう。ゲーム的な設定とはいえ、それを映画的な視覚の面白さに昇華し、ルール変更の終盤まで文句なく引き込まれる。ラストが予想外なら、作品として化けただろう。

2014/07/18(金)(五十嵐太郎)

今井祝雄─Retrospective─影像と映像

会期:2014/07/08~2014/08/02

ARTCOURT Gallery[大阪府]

今井祝雄が具体美術協会時代の白い造形から映像表現に軸足を移した、1970年代の仕事を中心に展覧。作品は、21点組の写真作品《ポートレイト 0~20歳》、1979年に始まり現在も継続しているポラロイド写真の自写像《デイリー・ポートレイト》、テレビの放映で使用されなかったフィルムを素材にした映像&インスタレーション《ジョインテッド・フィルム》(画像)など12点。《デイリー・ポートレイト》が名作なのは言うまでもないが、他の作品にも1970年代の問題意識が濃密に立ち込めており、それを21世紀のいま追体験できることが嬉しかった。こんな機会は滅多にないので、20代・30代の若手作家がひとりでも多く本展を見ておいてくれればよいのだけど。

2014/07/08(火)(小吹隆文)