artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
プレビュー:古都祝奈良(ことほぐなら) 時空を超えたアートの祭典
会期:2016/09/03~2016/10/23
東大寺、春日大社、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、唐招提寺、西大寺、ならまち、他[奈良県]
日中韓の3カ国で、文化による発展を目指す都市を各国1都市選定し、さまざまな文化プログラムを通して交流を深める国家プロジェクト「東アジア文化都市」。今年は日本の奈良市、中国の寧波市、韓国の済州島特別自治道が選ばれた。奈良市の「美術部門」では、奈良を代表する8つの社寺で、蔡國強、川俣正、サハンド・ヘサミヤン(イラン)、アイシャ・エルクメン(トルコ)など国際的に活躍する8組のアーティストがインスタレーションを展開。江戸時代後期からの街並が残るならまちでは、宮永愛子、西尾美也、紫舟など6組のアーティストがサイトスペシフィックな展示を行なう。また、「舞台芸術部門」として、平城宮跡で維新派とSPAC(静岡県舞台芸術センター)、なら100年会館でオペラ「遣唐使物語」の公演が行なわれるほか、「食部門」として、奈良の食のルーツやシルクロードを通じた東アジアの食の変遷、歴史をテーマにした催しも実施される。奈良でこのような大規模プロジェクトが行なわれるのは珍しく、特に8つの社寺が共同歩調をとるのはきわめて稀だ。幸い、電車とバスで会場間を移動できるので、初秋の一日をこのイベントに費やしてみようと思う。
2016/08/20(土)(小吹隆文)
アートと考古学展
会期:2016/07/23~2016/09/11
京都文化博物館[京都府]
考古学のオリンピックと呼ばれる「世界考古学会議」が京都で行なわれることを記念した企画展。考古遺物を展示するほか、アーティストと考古遺物がコラボレーションした作品も展示され、芸術と考古学の共同作業とその可能性が紹介された。参加アーティストは、安芸早穂子、日下部一司、清水志郎、伊達伸明、松井利夫、八木良太の6名。アーティストが考古学をイメージソースとするケースはままあるだろうが、考古学は芸術を必要とするのだろうか。そんな疑念を抱きつつ展覧会を見たが、これがめっぽう面白かった。例えば、純粋に記録のために描かれた遺跡の図面に、ある種の芸術性を認める、陶磁器の断片が見立てひとつで作品に生まれ変わるといった事例が、そこかしこで展開されているのだ。考古学者とアーティストが互いに専門外の領域から刺激を受け、自分のフィールドを広げていく。これこそまさにクリエイティブではないだろうか。
2016/08/09(火)(小吹隆文)
The NINJA ─忍者ってナンジャ!?─
会期:2016/07/02~2016/10/10
日本科学未来館[東京都]
春の「ゲーム」展に続いて、中1の息子と「忍者」展を見に行く。息子はゲームも好きだが、なぜか忍者とかマジックとか大道芸も好きだ。まあだいたいこの年代の男子はチョロいからトリッキーなものに飛びつくもんだ。まず忍者関連のマンガや小説が並ぶ「忍者研究室」を抜けると、メイン会場は「体をきたえよ」「技をきわめよ」「心をみがけ」の3つのステージに分かれている。「体」では、植物の成長にしたがってより高く跳べるようになる「ヒマワリ跳び越え」をはじめ、手裏剣打ちや忍び足を体験。「技」ではさまざまな忍者道具や武器、食料、薬などを紹介。「心」では巨大スクリーンのナンジャ大滝の前で修業するとなにかが起きる、という趣向。かなりゆるいが、いちおう「科学」と名のつく施設なのでいいかげんなことはしていない。最後は忍者認定証をもらって、ショップでレトルトの「忍者カレー」を買って帰った。
2016/08/04(木)(村田真)
宇宙と芸術展
会期:2016/07/30~2017/01/09
森美術館[東京都]
タイミングがあったので、「宇宙と芸術展」@森美術館の内覧会へ。おそろしく混んでおり、とても鑑賞できる状態でない。これならば、普通の日に行けばよかった。現代美術はもちろんあるのだが、むしろ過去の宇宙観を示す絵や観測機器など、歴史の重みをもつ博物館的なコンテンツが結構多く、思っていたよりも面白い。グラッソやティルマンスは最近日本で紹介されたのと同じ作品だった。
2016/07/29(金)(五十嵐太郎)
美術評論家連盟主催 2016年度シンポジウム「美術と表現の自由」
会期:2016/07/24
東京都美術館講堂[東京都]
最初に美術評論家連盟主催のシンポジウムを聞いたのは、たしか1980年代初めのこと。テーマも場所もパネリストも忘れたけれど、司会の岡田隆彦に促され、会場にいた斎藤義重が戦前の日本の構成主義について語ったことは覚えている。つーか、それしか覚えてない。とにかくなんでいま構成主義の話なんかするんだろう、美術評論家たちは時代を超越しているなあと感心したものだ。あ、もうひとつ思い出した。客席がガラガラだったこと。……あれから約35年、シンポジウムは毎年のように開かれているようだが、聞きに行くのは今回が2度目。おそらく毎回空席が目立ったのだろう、案内には「申込不要・当日先着順」と記されていたが、結果的に230席のところに約300人が押しかけるという大盛況だった。これだけ関心が高いということは、それだけ表現の自由に危機感を覚えている人が多いということでもある。ひょっとしたら美術評論家連盟始まって以来、初の時宜を得た企画かもしれない。と無駄話を書いてるうちに字数が少なくなってきた。
まず事例報告として、自分の性器の3Dデータを配布したろくでなし子がわいせつ物陳列罪などに問われた事件、東京都現代美術館の「ここはだれの場所?」展で問題化した会田家の作品撤去騒ぎ、愛知県美術館の「これからの写真」展でクレームがついた鷹野隆大の写真に対する対応、そして、昭和天皇の肖像を使った大浦信行の作品を巡る富山県立近代美術館の迷走などが挙げられた。パネリストは美術評論家の林道郎と土屋誠一、愛知県美の中村史子、栃木県立美術館の小勝禮子、川村記念美術館(元富山近美)の光田由里の面々。30年前に起きた富山を除けばここ1、2年の問題なので、みんな切実感がある。以下、議論を簡潔にまとめる能力がないので、耳に残った言葉を列挙しておく。林「『美術かワイセツか』ではなく『美術だからワイセツではない』でもなく、表現の問題として考えるべき」、土屋「現政権より現天皇のほうがリベラル」、中村「学芸員が作家に対して規制することもあるが、それは学芸員の務めであり、検閲との境は曖昧」「表現は絶対的善ではなく、暴力性がつきまとう」、小勝「図書館は『知る自由』を掲げているが、美術館も見習うべき」、(会場から)ろくでなし子「アメリカやカナダでは英雄扱いされたが、そうなると表現することがなくなる。抑圧されたほうが表現ができる」。表現の自由は、無制限にではないけれど、最大限守られなければならない。そこに美術評論家連盟の果たすべき社会的役割も見出せるだろう。
2016/07/24(日)(村田真)