2022年05月15日号
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artscapeレビュー

わたしは思い出す 10年間の育児日記を再読して

2022年01月15日号

会期:2021/12/04~2022/01/17

デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)[兵庫県]

「震災の記憶の継承」の試みを、ある女性が綴った「育児日記」という極私的な視点をとおして行なうこと。そこに、「日記の再読」「記憶を再び言葉で語り直す」という時差をはらんだ作業を加えることで、日々の感情の起伏のなかに「震災からの距離」を計測すること。思い出すこと、思い出したくないこと、忘れてしまったことの揺らぎのなかに身を置くこと。そこには同時に、直線的な時間の流れ/回帰する記念日の反復性、未来において「過去」として想起される「現在時」など、記憶と時間についての抽象的な省察も含まれる。その作業を、観客の身体経験をとおして共有へと開いていくこと。これらの結節点を描く本展は、秀逸かつ極めて意義深い試みだ。

本展は、2021年2月~7月にせんだい3.11メモリアル交流館で開催された企画展「わたしは思い出す 10年間の子育てからさぐる震災のかたち」の神戸巡回展であり、建築家ユニットのdot architectsが手がける新たな会場構成で展示された。企画者のAHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]はこれまで、家庭や地域に保存された8ミリフィルムや家族アルバムなど、個人的記憶に着目したアーカイブ活動を行なってきた。特に、ゾウの「はな子」とともに写った記念写真を募集し、撮影日の飼育日誌と写真提供者へのインタビューを並置した書籍『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』(武蔵野市立吉祥寺美術館、2017)や、戦時中に子どもたちが戦地の兵士に書き送った「慰問文」を書き写すプロジェクト「なぞるとずれる」では、動物園の人気者のゾウや慰問文という共有化された装置の向こうに、個人史と記憶の集合体としての「日本人の戦中/戦後」像が浮かび上がってくる。



[撮影:AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]]


本展では、仙台の沿岸部に暮らし、震災の9カ月前、第一子を出産した2010年6月11日から育児日記を付け始めた女性が、10年間の日記の再読をとおして語り直した言葉が提示される。それらは「わたしは思い出す、○○○○○を。」というシンプルなフレーズに統一され、断片性や余白が逆に想像力をかき立てる。冒頭には、出産日を「1」とした経過日数が数字で淡々と示されるのみで、具体的な日付はない。だが、30あるいは31ずつ加算されていく数字の列は、わが子の誕生の日付であると同時に震災の月命日でもある「毎月11日」の反復と時間の積層を示す。



[撮影:AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]]


切り詰められた言葉は、とりとめのない日常の断片のなかに、子どもの成長や親離れの瞬間が垣間見える(「549 わたしは思い出す、ステージへ行こうとひっぱる手を。」「1766 わたしは思い出す、まったく振り返らなかったことを。」)。食卓の光景、休日のお出かけ、季候、初めての制服やランドセル。そのなかに混じって、震災の痕跡が間欠泉のように突然顔を出す(「701 わたしは思い出す、ダッシュボードの罹災証明書を。」「2285 わたしは思い出す、常盤道から見えた原子力発電所を。カーテンをかけた。」)。あるいは、日常の光景のなかに不穏な影がよぎるような予感を与えるフレーズもある(「824 わたしは思い出す、ピッ、ピッ、ピッを。」「1645 わたしは思い出す、絵本を持つ手が震えていたことを。」)。2000台、3000台と数字は続き、第二子の誕生が示され、忘却もまた語られる(「2741 わたしは思い出す、忘れてしまうということを。」)。各数字に対応するエピソードの詳細を記した配布資料も用意され、会場内や帰宅後に詳しく読むことができる。



[撮影:AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]]


本展の秀逸さは、各数字とフレーズを、高さ2.7メートルの木材に縦一行で記し、等間隔でずらりと二列に並べた展示構成にある。一見すると、柵や檻、視界を塞ぐ壁を思わせるそれは、ベビーベッドの柵であり、被災した沿岸部につくられた巨大な防潮堤であり、規則的に刻まれる人生の里程標であり、日常の崩壊を防ごうとする心理的な防壁でもある。だが、この「柵=壁」を一周し、中へ入ると、全体が「ハ」の字型になった通路でもあったことがわかる。開けた視界のなか、私は文字を追いながら奥へと進む。そのとき、「日記」という他人に見せることを前提しない個人的な記録は、時間の歩みを歩行で辿る身体化された行為を介して、記憶を共有するための「通路」としてまさに開かれていくのだ。



[撮影:AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]]


ここで興味深いのは、最後の10本が、「3958 わたしは思い出す、   」「3988 わたしは思い出す、   」というように、「空白」のまま示されている点である。記述のラストは、震災から10年目の2021年3月11日を振り返った「3927 わたしは思い出す、誰もいないダイニングで10年前に書いた日記を読み返したことを。」で終了している。この「3927」からさらに30~31ずつカウントされていく数字の列は「4233」で終わり、本展会期終了の2022年1月11日に対応する。空白のまま積み上げられていく数字の列は、「日記の再読作業」終了後も続いていく彼女の人生を表わす。その「空白」は、まだ見ぬ未来の可能性であると同時に、「現在」がやがて記憶の書き込みを待つ余白であること、さらには忘却や、言語化・共有の不可能性の謂いでもあり、多義性に満ちている。「わたしは思い出す、」のリフレインはまた、トラウマ的な記憶の反復的な回帰をも思わせる。「忘れない」ではなく、「思い出す」。その繰り返しがはらむ揺らぎと苛烈さを、本展は神戸というもうひとつの震災の地で示していた。

なお、本企画をまとめた書籍『わたしは思い出す』が、2022年3月に刊行予定されている。


*書籍『わたしは思い出す』の刊行予定は2022年6月11日に変更されました。(2022年1月21日編集部追記)

公式サイト:https://aha.ne.jp/iremember/

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2021/12/24(金)(高嶋慈)

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