artscapeレビュー
京都市立芸術大学芸術資源研究センターワークショップ「メディアアートの生と転生──保存修復とアーカイブの諸問題を中心に」
2016年03月15日号
会期:2016/02/14
元・崇仁小学校[京都府]
アーティスト・グループ、「Dumb Type」の中心的メンバーだった古橋悌二が1994年に制作した《LOVERS─永遠の恋人たち─》(以下《LOVERS》と略記)。水平回転する7台のプロジェクターによって4つの壁に映像が投影される本作は、コンピューター・プログラムによる制御や、観客の動きをセンサーが感知するインタラクティビティが組み込まれ、男女のパフォーマーによる映像と音響の作用に全身が包まれる。この作品を、「トレース・エレメンツ」展(東京オペラシティアートギャラリー、2008年)で見た時の静かな衝撃をよく覚えている。
京都市立芸術大学芸術資源研究センターでは、文化庁平成27年度メディア芸術連携促進事業「タイムベースト・メディアを用いた美術作品の修復/保存に関するモデル事業」として、《LOVERS》の修復を行なった。修復を手がけたのは、アーティストでDumb Typeメンバーの高谷史郎。修復された《LOVERS》の公開とともに、メディアアートの保存修復やアーカイブ事業に取り組むアーティスト、学芸員、研究者による発表とディスカッションが開催された。
修復を手がけた高谷からは、今回の修復の概要と、メディアアート作品に不可避的に伴うテクノロジーの劣化や機材の故障といった問題にどう対応するかが話された。メディアアートの修復作業とは、あくまでも「その時点での技術的ベスト」の状態であり、オリジナルの状態の復元ではなく、どの要素をキープしてどこを変更するかが問われる。さらに、現時点での「修復」の将来的な劣化を想定する必要がある。今回の修復では、主にプロジェクターを最新機器に交換するとともに、「古橋がこう想像していただろう」と考えられるアイデアルの状態を想定し、デジタル化した元のアナログヴィデオの映像をもとに「次の修復」に備えたシミュレーターの作成が行なわれた。つまり、映像をデータとして解析・数値化することで、今回の修復に関わったスタッフがいなくても、プログラマーが読み込んで再現・検証が可能になるという。
このシミュレーターの役割について、同研究センター所長でアーティストの石原友明は、音楽やダンスにおける「記譜」との共通性を指摘した。また、メディアアーティストの久保田晃弘は、メディアアート作品には、技術の更新とともにアップデート・変容していく新陳代謝的な性質が内在しているという見方を提示した。こうした視点によって、メディアアートの保存修復について、時間芸術や無形文化財の保存・継承のあり方と関連づけて考えることが可能になるとともに、現物保存の原則や「オリジナル」作品概念の見直し、技術や情報をオープンにすることの必要性などが求められる。また、ディスカッションでは、これからの課題として、美術館における作品収集の姿勢の柔軟性、メディアアートの修復技術者の養成、「作品の保存修復」を大学教育で取り組むこと、展示状態の記録や関係者のインタビュー(オーラルヒストリー)を集めることの重要性、といったさまざまな指摘がなされた。
タイムベースト・メディアを用いた美術作品の収集・保存に対して美術館が躊躇していれば、数十年前の作品が見られなくなってしまいかねない。これは、将来の観客の鑑賞機会を奪うだけでなく、検証可能性がなくなることで、批評や研究にとっても大きな損失となる。《LOVERS》の場合、エイズの危機、セクシュアリティ、情報化と身体、個人の身体と政治性といった90年代のアートの重要な主題を担っている。歴史的空白を残さないためにも、アーティスト、技術者、美術館、大学、研究者が連携して保存修復に取り組むことが求められる。
暗闇に浮かび上がる、裸体の男女のパフォーマー。水平のライン上を歩き、走ってきてはターンし、歩みよったふたりの像が重なりあい、あるいは出会うことなく反対方向へ歩き去っていく。両腕を広げ、自分自身の身体を抱きしめるように、あるいは不在の恋人と抱擁するように虚空を抱きしめ、孤独と尊厳を抱えて背後の暗闇に落ちていく。歩行と出会い、すれ違いと抱擁を繰り返す生身の肉体を、2本の垂直線がスキャンするように追いかける。線に添えられた、「fear」と「limit」の文字。生きている身体、その究極の証としての愛が、相手に死をもたらすかもしれないという恐怖。情報と愛という二極に引き裂かれながらも、パフォーマーたちの身体は軽やかな疾走を続けていく。今回の《LOVERS》の公開は、修復作業の設置状態での鑑賞だったため、本来は等身大で投影される映像が約半分のサイズであり、床面へのテクスト投影もなかった。今回の修復を契機に、完全な状態での公開が実現することを願う。
2016/02/14(日)(高嶋慈)